死守り

和室

俺のじじいは柔道五段、がっしりした体格で、土と汗の臭いのするでかい背中。日に焼けた顔。

俺がろくでもないことをする度にぶっ飛ばされた、荒れた手。

素直じゃなくて憎まれ口ばかり叩いてた俺は、それでもやっぱりじじいが好きで、だから自分なりに親しみを込めてじじいと呼んでいた。

俺が今も尊敬してやまない、そんなじじいの葬式の通夜での話。

5年前、7月の終り頃。

俺の故郷には、今では薄れたとは言え、それでも土着信仰がまだ残っている。

俺の地元の場合はかなり異様で、四方が襖になっている部屋を締め切り、仏(この時はじじい)を中心に安置し、血縁の男4人がそれに背を向け、四方に座るというもの。

更にこの時、各々が白木の柄の小刀一振り(村で神事用に管理している)を傍らに置く。

当時、高校生になったばかりだった俺は、それが何の意味かは知らなかったが、その座る役目「死守り(しもり)」をするよう祖母に言われた。

「お前はじじいの若い頃に瓜二つだ。継いだ血は濃い。お前にしかできん」と。

要するに、鬼除けなんだそうだ。魂を喰らわれないようにと。

死守りをするに当たっての決まりがある。

・何があっても後ろを振り向いてはいけない

・誰に名を呼ばれても応えてはいけない

・刀を完全に鞘から抜き放ってはならない

の三つ。

寝ないとかは大前提で、死守り以外の人間にも、その部屋には決して近付くなとか、襖や扉を開け放つなとか、色々と決まりがあるらしい。

訳が解らなかったが、尊敬していたじじいの通夜、ひとつくらいじじいの為に立派に成し遂げてやろうと、杯に注いだ酒を飲まされた後、死守りに臨んだ。

じじいの弟、じじいの息子(叔父)が2人、そしてじじいの長女(母)の子の俺。

俺の座ったのは、丑寅の方位だった。

部屋の中は真っ暗で、空気はひんやりしていた。線香の匂いと、襖の向こうで祖母が数珠を擦るじゃりじゃりという音が不気味だった。

暗闇に、死者を囲んで夜明けまで。

叔父さん達の欠伸とか、衣擦れの音とか、虫や蛙の声が聞こえる。

十畳ほどの部屋は暗くて自分の手も見えなかった。

どれだけ時間が経ったか分からない。

暗闇の先、不意に目の前の襖が「ガタンッ」と音を立てて揺れた。ビクリとして顔を上げる。

同時に、俺のすぐ後ろで「ごそり」と音がした。心拍数が跳ね上がった。

なんか、まずいぞ、まずい。決して振り向いてはならない。

叔父さん達の息を呑む気配がする。聞こえているのか。

何も見えないのに、目ばかり見開いていた。瞬きすら忘れて。

嫌な汗が吹き出て、息が上がる。体が固まったみたいに、指の一本も動かせなかった。

あれだけ響いていた虫の音も蛙の声も、ぴたりと止んでいたのを覚えている。

また目の前の襖が「ガタンッ」と鳴った。全身が粟立った。

すぐ後ろでは、死守り以外の何かが時折「ごそり」と音を立てる。

俺はもう泣きそうで、逃げ出したくて、それでも身体はぴくりとも動かず、本当にちびりそうだった。

後ろからは「ごそり、ごそり」という音が聞こえる。

不意に声がした…気がした。

「抜け」

再び体が跳ね上がる。ああ、動く。

相変わらず目は真正面から動かせずに、手探りで小刀を取った。

情けないほど震える手を柄に掛けて、深呼吸して、半身抜いた。決して抜き放たぬこと。

三度正面の襖が、今度は更に大きな音で、外れるんじゃないかというくらいに「ガンッ!」と鳴った。

震えで刃と鞘が当たってガチガチ音を立てていた。

後ろの物音と、その主の何かも消えていた。終わったのか。

落ち着いてくる頃には、また虫の音が響いていた。

夜が明けて、祖母が死守りの終わりを告げる鈴を鳴らした時、俺を含めた死守り全員、振り向く気力も無く前につんのめって、そのまま寝てしまったらしい。

しばらくして祖母に起こされた。

「よう頑張った。持って行かれずに済んだ。よう頑張った」

祖母は泣きながら、俺に手を合わせて何度も頭を下げた。

その時になって初めてじじいを振り向くと、少し口が開いていて、掛け布団が少し崩れていた。

後になって聞くと、じじいの死んだ年はよく解らないが色々と「マズイ」時期だったらしく、本来なら叔父の子(俺の従兄弟、成人)だったはずが、じじいとよく似ている俺が丑寅に座る羽目になったらしい。

ひいじじいが死んだ時は、何事も無く朝を迎えたそうだ。

もし「持って行かれた」ら、じじいはどうなっていたんだろう。

そしてあの時聞こえた「抜け」という声。

あの声は、俺以外の死守りの声でも、そしてじじいの声でもなかった。

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