首刈り地蔵に供えたおにぎり

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小学四年の秋、両親が離婚して、俺は母に引き取られた。

行き先は、母の実家だった。東北の山あいにある、ひどく寂れた町だ。

その町には、首刈り地蔵と呼ばれる、首のない地蔵が三体あるという。

家はまばらで、商店は小さなスーパーが一軒と、コンビニもどきが一軒あるだけだった。

夜は八時を過ぎると、通りに人影がなくなる。

窓から見える山の稜線は、日が落ちると、空と区別がつかなくなった。

転校した小学校は、全学年あわせても二十人に満たなかった。

俺と同じ学年の子どもは、自分を入れて四人しかいない。

母は町の病院で、看護師として働きはじめた。

じいちゃんは畑を、ばあちゃんは台所を守っている家だった。

じいちゃんの手は節くれだっていて、爪の間に、いつも土が入っていた。

夕飯のあと、じいちゃんは縁側で、ちびちびと茶碗酒を飲んだ。

町には、蛙の声さえしなくなる夜があった。

静かすぎて、自分の耳鳴りが聞こえるほどだった。

越してきた日の夜、そのじいちゃんが、俺を縁側に呼んだ。

「ひとつだけ、覚えとけ」

「何を」

「公園の奥の林に、地蔵さまが三体ある。首のない地蔵だ」

「首がない?」

「首刈りさまと呼ぶ。あそこには、絶対に、お供えをするな」

理由は、教えてくれなかった。

じいちゃんの目は、笑っていなかった。

俺は、うなずくしかなかった。

理由は、同級生が教えてくれた。

転校して二週間ほど経った、昼休みのことだ。

「おまえ、首刈りさまのこと、じいちゃんから聞いたか」

そう言ったのは、隣の席の健太だった。

「お供えはするなって」

「それだけか。教えてやるよ」

健太は、声を落とした。

「あそこにお供えをして、誰かの名前を言ってお願いするとな」

「うん」

「その人が、いなくなるんだ」

「いなくなるって、どういうこと」

「分かんない。ただ、いなくなる。町の人は、みんな知ってる」

俺は、笑おうとした。

健太は、笑わなかった。

窓の外では、校庭の隅の鉄棒が、秋の風に鳴っていた。

健太は、それから少しだけ、離れた席に座るようになった。

教えたことを、後悔しているようにも見えた。

放課後、ひとりで見に行った。

小さな公園の奥に、細い踏み跡があった。

林の中は、昼なのに薄暗く、湿った土の匂いがした。

三体の地蔵は、膝丈ほどの石でできて、横一列に並んでいた。

どれも、首から上が、ない。

切り口は、刃物で削ったように、なめらかだった。

指で触れてみようとして、やめた。

触れたら、何かが分かってしまう気がした。

苔が、肩のあたりまで、緑色に這い上がっている。

足元には、供え物の跡がなかった。

花の一本も、落ちていない。

それなのに、地蔵の足元の土だけは、不自然に平らに均されていた。

誰かが、毎朝、ならしているように。

そのことが、かえって不気味だった。

町の人たちは、その林の前を通るとき、決まって足を速めた。

ばあちゃんは、買い物の帰りでも、公園を大きく迂回した。

遠回りになるのに、一度も近道を使わなかった。

母に聞いても、「あの林には、行っちゃだめ」としか言わなかった。

母の声は、いつもより少し硬かった。

俺は、その理由を、考えないようにした。

同じように、見てはいけないものと向き合う話は、深夜一時の廊下の足音にも綴りました。

首刈り地蔵の足音

越してきて一年半ほど経った頃のことだ。

一学年上の子に、いじめられるようになった。

名前は隆。体が大きくて、笑い声がやたらと高い子だった。

隆の家は、町の入り口の電器店だった。

店の前を通ると、いつも、テレビが一台だけ、音なしで点いていた。

きっかけは、思い出せない。たいしたことではなかったのだと思う。

靴を隠された。ノートに落書きをされた。

給食の牛乳を、頭から掛けられた日もあった。

下校の道で、後ろから何度も背中を小突かれた。

俺は、その子のことが大嫌いだった。

いなくなってほしいと、本気で思った。

その思いは、毎晩、膨らんでいった。

布団の中で、天井の木目が、隆の顔に見えた。

その夜、布団の中で、首刈り地蔵のことを思い出した。

お供えをして、名前を言って、お願いする。

健太の声が、耳の奥でよみがえった。

次の週の、お弁当の日。

母が持たせてくれたおにぎりが、二つあった。

俺は、それを食べずに我慢した。

昼になると、腹が鳴った。

同級生のパンの匂いが、やけに鼻についた。

それでも、手をつけなかった。

下校の途中で、林へ入った。

三体の地蔵の前に、おにぎりを、ひとつずつ置いた。

石の肌は、冷たかった。

置いたおにぎりの白さが、苔の緑の中で、不自然に浮いていた。

手を合わせた。

「隆に、いなくなってもらってください」

声に出して、そう言った。

林が、しんと静まった気がした。

その夜、寝ていると、足音が聞こえた。

ガチャ、ガチャ、と、鎧を着た人が歩くような音だった。

家の周りを、ゆっくり、一周している。

玄関の前で、少し長く止まった。

引き戸が、かすかに軋んだ。

布団の中で、息を止めた。

足音が、窓の下で、止まった。

「……足りない」

低い、濁った声だった。

耳元で聞こえたようでもあり、床下から這い上がってくるようでもあった。

翌朝、俺は気づいた。

地蔵は、三体だった。

おにぎりは、二つしか置かなかった。

ひとつ、足りなかったのだ。

その日、俺は、おにぎりをもうひとつ握ってもらった。

母には、遠足の練習だと嘘をついた。

登校の途中、林へ入った。

二つのおにぎりは、昨日のまま、地蔵の足元にあった。

もうひとつを、残りの地蔵の前に置こうとした、そのときだ。

「こんのクソガキが! 何やっとる!」

背中で、怒鳴り声がした。

振り向く間もなく、頬を思い切り殴られた。

顔見知りの大工の、源さんだった。

俺は、襟首を掴まれて、そのまま家まで引きずられた。

源さんは、じいちゃんとばあちゃんに、何かを怒鳴った。

東北弁がきつくて、半分も分からなかった。

ただ、「お供え」「首刈りさま」という言葉だけが、何度も聞こえた。

じいちゃんは、顔色を失って、畳に額をつけて謝った。

ばあちゃんは、台所の隅で、手を合わせたまま動かなかった。

その横顔は、泣いているのではなかった。

あきらめている顔だった。

その日、隆は、学校を休んでいた。

朝礼で、先生が言った。

「隆くんは、熱が出ています」

その声が、少し震えていた。

一週間後、隆は戻ってきた。

けれど、様子が違っていた。

隆は、窓の外を見つめたまま、足りない、足りない、と小さく繰り返していた。

誰も、隆に近づこうとしなかった。

俺をいじめることも、二度となかった。

いない者として

夕方になると、町の大人たちが、うちに集まってきた。

十人ほどが、座敷に並んで座った。

誰も、俺の目を見なかった。

障子の影が、畳の上に、長く伸びていた。

誰かの咳払いが、一度だけ聞こえた。

じいちゃんとばあちゃんは、ひたすら頭を下げていた。

俺も、一緒に謝った。何を謝っているのかも、分からないまま。

話し合いは、何日も続いた。

そして、うちは「村八分」ということになった。

首刈り地蔵に供え物をした家は、そうなる。昔から、そう決まっているらしい。

村八分がどういうものか、俺は知らなかった。

実際は、想像以上だった。

うちの人間とは、口をきいてはならない。

スーパーでも、コンビニもどきでも、何も売ってもらえなくなった。

町の病院で働いていた母は、解雇された。

最後の日、同僚の誰も、母を見送らなかった。

母は、ロッカーの中身を紙袋にひとつ詰めて、黙って帰ってきた。

俺は、学校に通えなくなった。

家の中で、俺は毎日、柱時計の秒針の音ばかり聞いていた。

郵便受けには、毎朝、塩がひとつまみ入っていた。

ばあちゃんの畑の野菜は、誰にも盗まれず、畑で腐っていった。

夜、窓の外で、人の気配がすることがあった。

覗いても、誰もいない。

塀の根元に、塩の小山が、ひとつ増えているだけだった。

道ですれ違っても、誰もが、目を伏せた。

挨拶をしても、返ってこない。

ばあちゃんが道で会釈をしたとき、相手は立ち止まって、深く頭を下げ返した。

けれど、目だけは、決して上げなかった。

最初は、嫌われているのだと思った。

けれど、あるとき気づいた。

彼らは、怒っているのではなかった。

目を合わせまいと、顔をそらすことに、全力を使っているのだ。

まるで、見てはいけないものから、顔をそむけるように。

冬の朝は、窓ガラスが凍って、外が見えなかった。

見えないほうが、よかった。

町役場へ、母と抗議に行った。

廊下の壁に、古い町内会の集合写真が貼ってあった。

その中で、うちの家族だけが、黒い紙で隠されていた。

窓口の人は、書類から目を上げなかった。

「お引き取りください」と、小さな声で言っただけだった。

東京へ出ようと、母は言った。

じいちゃんとばあちゃんは、首を横に振った。

「この町で生まれて、この町で過ごしてきた。最期も、この町で迎えたい」

「俺たちは大丈夫だ。二人で、東京へ行きなさい」

母は、泣きながら、何度も説得した。

けれど、二人は動かなかった。

俺と母は、冬のはじめに、町を出た。

荷物は、スーツケース二つ。

残していくもののほうが、ずっと多かった。

バスの窓から見えた公園は、薄く雪をかぶっていた。

林の入り口に、誰かが縄を張っているのが見えた。

似た空気の話は、会社の開かずの間の記事にも書いています。

仏間の静けさ

東京では、母がまめに電話をして、食べ物や荷物を送った。

やがて、電話が通じなくなった。

電話線を、切られたらしい。

町の公衆電話から、ときどき連絡が来るだけで、あとは手紙になった。

ばあちゃんの手紙は、いつも短かった。

別の手紙には、こうあった。

「お母さんの体に、気をつけてください。庭の柿は、まだ落ちません」

「元気にしとります。庭の柿がなりました。三つなりました」

三つ、という数が、なぜか胸に引っかかった。

柿の実の数だと分かっていても。

便箋の端に、それだけ書いてあった。

帰省した夏、電話線を直そうと言ってみた。

あの夏、家の中は、静かすぎた。

柱時計が、止まっていた。

じいちゃんは「このままでいい」と言った。

何もかもを、受け入れているような顔だった。

それから、何年か経った。

俺は、高校生になっていた。

あの町のことは、頭から離れなかった。

悪いことをした、という気持ちではない。

あの夜の足音と声が、今も、時々聞こえるからだ。

何も起こらない。ただ、聞こえるだけ。

それでも、気味が悪かった。

ある日、運送会社から電話が来た。

実家に荷物を届けようとしたが、何度行っても留守だという。

嫌な予感がした。

いや、半分は、そうなのだろうと分かっていた。

母と俺は、すぐに実家へ向かった。

着いたのは、夜遅くだった。

月のない夜だった。

田んぼの蛙さえ、鳴いていなかった。

家には、明かりがなかった。

玄関を叩いても、返事がない。

引き戸は、簡単に外れた。

一歩、中に入った途端、鼻を突く匂いがした。

母が、口を押さえて、震えはじめた。

明かりをつけて、奥へ進んだ。

仏間の襖が、開いていた。

ばあちゃんは、仏壇の前で、座ったまま、冷たくなっていた。

じいちゃんは、同じ部屋の布団の中で、動かなかった。

母は、子どものように泣いた。

仏壇の小皿には、乾いて固くなったおにぎりが、ひとつだけ載っていた。

外に出ようと言っても、その場から動こうとしなかった。

携帯電話が、普及しはじめた頃で、そこは圏外だった。

俺は、いちばん近い交番まで、歩いて行った。

夜道の途中で、一度だけ、後ろを振り返った。

誰もいなかった。

遠くで犬が一声だけ吠えて、すぐに黙った。

警察は、じいちゃんは病気、ばあちゃんは後を追ったのだろうと言った。

そう処理された。

あとで母が、ぽつりと言った。

「最後まで、あの人たちは、この町から出なかったね」

庭の柿の木には、実が三つ、残っていた。

誰にも採られずに、真っ赤に熟れていた。

葬儀はしなかった。

斎場の入り口に、塩の小山が、行儀よく三つ並んでいた。

お坊さんに霊安室で経をあげてもらい、火葬した。

町の人は、ひとりも来なかった。

最後のおにぎり

帰る日、母は、写真を取りに実家へ寄った。

財産はこの家のほかに何もないので、相続はしないという。

母が荷物をまとめている間、俺は町を歩いた。

学校へ行った道。公園のブランコ。

ブランコに揺られながら、考えた。

ブランコの鎖が、冷たかった。

手のひらに、錆の匂いが移った。

この町と、もう一片の関わりも持ちたくない。

このまま帰ってしまえばいい。

母の荷造りは、あと三十分はかかるはずだった。

でも、あの足音と声は、きっと、ついてくる。

だとすれば、やることは、ひとつだった。

林へ入った。

縄のこちら側と向こう側で、空気の温度が違った。

縄は、まだ張られていた。それを、くぐった。

地蔵は、変わらず三体、並んでいた。

首のない肩の上に、ぽっかりと、空が見えた。

首のない肩に、苔が、あの頃より濃く這っていた。

用意してきたおにぎりを、ひとつ、真ん中の地蔵の足元に置いた。

コンビニで買った、鮭のおにぎりだった。

ビニールを剥がす手が、少し震えた。

手を合わせて、何を願おうか、考えた。

鮭の匂いが、冷たい風に混じって、林の奥へ流れていった。

誰を。すぐに思いつく名前は、なかった。

隆の顔が浮かんだが、遠かった。

俺は、誰を恨んでいるのだろう。

あの町の、全員だろうか。

そう思ったとき、口が、勝手に動いた。

「この町の人たちに、みんな、聞こえますように」

自分でも、思いがけない願いだった。

俺は、隆のことを思い出していた。

足りない、足りない、と繰り返していた、あの横顔を。

足音と声が、この町のみんなに、聞こえますように。

林を出ると、公園に、五、六人の大人が立っていた。

見知った顔もあった。向こうも、俺が誰か、すぐに分かったはずだ。

その中に、源さんがいた。

白髪が増え、背が縮んでいた。

俺が近づいていくと、彼らは、こちらを向いた。

誰も、何も言わない。

俺も、何も言わずに、すれ違った。

すれ違いざま、気づいた。

彼らが見ていたのは、俺ではなかった。俺の背後の、林だった。

その晩から、あの足音と声は、聞こえなくなった。

あの町の人たちがどうなったのかは、判らない。

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