山遊び

鳥海山写真2012.09.24-サンミッシェル教会 -

子供の頃の話。

大して遊べる施設がない田舎町だったので、遊ぶと言えば誰かの家でゲームをするか、山や集落を歩いて探検するかの2択くらいしかする事がなかった。

小学校が休みの日、最初は友だちとゲームしたりして遊んでたんだが、どうにも飽きてしまってどっか面白いところは無いかって話になった。

俺は、近所にうちの爺さんがよく山菜を取りに入っている山があるのを思い出した。

よくふきのとうやキノコをザルいっぱいに取って、家に持って来てくれていたんだ。

それでその山に行って山菜とかを取りに行くかという事になった。

一旦みんな家に帰って、山歩き道具を自転車に詰め込んでその山に向かった。

途中まではアスファルトの道路があるんだが、その先は何もない。

あとは薄ら暗い杉の森が広がっているだけだ。

どこから入ろうかと思案に暮れていると、友だちの一人が草むらの先にけもの道を見つけた。

午後15時くらいなのに、陽があまり差し込まなくて暗い。

用意がいい俺たちは懐中電灯を点けて進むことにした。

その山は、入って見ると思いのほか鬱蒼としていて山菜取り、なんて雰囲気ではなかった。

懐中電灯片手に草むらをかきわけて進む。

ちょっとした探検みたいで、小学生の俺たちは目的を忘れて奥へ奥へと入っていった。

暫く行くと唐突に草むらがない空間に出た。

俺たちは山の奥に自分たちしか知らない空間を見つけたという喜びで舞い上がった。

ここをしばらく探索の拠点にしようよと言って、そこで普段禁じられてるサバイバルゲームみたいなことや、花火やらでしばらく盛り上がった。

そんな折、友だちの一人が不意に声をあげた。

やっていなかった夏休みの宿題の再提出の期限が明日だった、と言い出したのだ。

もういいじゃん、一日くらい変わらないよ、とみんな言ったが、そいつは先生が怖いから、と言って先に抜けることになった。

そんな事をしている内に暗くなってきて、その日は帰ることになった。

当然、この日の事は友だちだけの秘密って事になった。

山を出る頃には真っ暗になっていたが、こういう山歩きには慣れていたので、特に問題なく山を抜けることが出来た。

ちょっと不気味な雰囲気になってきてはいたが、みんなバカ話に夢中でそんなこと気にもしなかった。

でも、自転車を停めたところに着いた時、話は止まった。

あいつの自転車まだ置いてあるじゃん。

携帯なんてなかった時代だ。

一回外で離れてしまえば、家に着くまで連絡の取りようがない。

小学生の俺たちは声をあげてそいつの名前を呼んだ。

一人が山に入って探そうって言い出したが、それは別の友だちに止められた。

もしかしたら自転車を置いて車で近くまで迎えに来てもらったかもしれないという話も出た。

何せ広場からここまではさっき通ったけもの道を真っ直ぐ来るだけなんだから、迷う訳がない。

落ちて迷い込むような淵も窪みも無い。だからそうに違いない、という事だったのだ。

そして俺たちはとにかくそいつの家に確かめに行くことにした。

だけど、そこに友だちはいなかった。

自分たちの遊びを隠すこともできず、友だちの親父さんに事情を話した。

親父さんは顔色を変え、寄り合いまで車で行ってしまった。

俺たちはどうして良いか分からず、とにかく帰ることにした。

家で事情を話すと、普段じゃ考えられないくらいこっぴどく怒られた。

他の友だちもそうだった。

その時はただ友だちと危険な遊びをしたこととか、友達を見捨てて帰ったことを責められたんだ、と思っていたが、爺さんが事情はまるっきり違うことを教えてくれた。

あの山には昔、この地方を治めていた城の出城があり、この地方が近くの有力な大名に呑み込まれる際に、真っ先に焼け落ちたところで、その跡地は今でも草木が生えないと伝わっているという事。

うちの爺さんはその供養で山に時折入っては神酒を撒いたりしているそうだ。

そんな所で花火やら戦の真似事をしていたら、連れて行かれる者が出ても仕方が無い、と静かに言ったのだ。

果たして友だちはまだ見つかっていない。

俺たちはあの時、山に入って探しにいくべきだったのだろうか?

関連記事

病院の老婆

一年程前の話です。当時、私はとある病院で働いていました。 と言っても看護師ではなく、社会福祉士の資格を持っているので、リハビリ科の方でアセスメントやケアプランを作ったり、サービス…

何で戻ってくるんだ

3年程前の話。私は今でも、バイク好きで乗ってるんですけど、3年前は俗に言われる走り屋って奴だったんです。 その時行ってた峠の近くに湖があって、そこに大きな橋がかかってるんです。 …

第二次世界大戦(フリー素材)

再生

祖父が戦争中に中国で経験した話。 日本の敗色が濃くなってきた頃、祖父の入っていた中隊は中国の山間の道を南下していた。 ある村で一泊する事になり、祖父達下士官は馬小屋で寝る事…

縁側(フリー写真)

田舎にワープ

自分でも今だに信じられない話。俺が小学二年生の夏の話。 弟と兄弟喧嘩をした時、両親は理由も聞かず、長男だからという理由で俺だけを叱った。 正座させられた俺に、両親の後ろに回…

笑い声

僕がまだ子供だったころ、寝るときになるといつもある ”笑い声“ が聞こえていたんだ。 5、6歳のときには、廊下に響き渡る笑い声で、夜中に目を覚ますことも度々あったよ。 母に…

イタチの仕業

祖母の葬式の晩の事。 田舎の古い屋敷で壁3面ガラス張りの小さな和室に1人だった。長い廊下の突き当たりの座敷には祖母が安置されていた。 裏の山には江戸時代からの一族の墓が並び、近くの公園…

エスカレーター

私がビル警備員のバイトをしていた時の話です。 場所は都内のSデパートですが、当時でも既に一般的な設備は乏しく防火シャッターの開閉は勿論、エスカレーターやエレベーターの設定変更等も…

ドルフィンリング

ドルフィンリング

ドルフィンリングというイルカの形をした指輪が流行った大昔の話。 当時、私は小学校低学年でした。10歳年の離れた姉はいわゆる不良で、夏休みになるとほぼ毎晩不良仲間を家に連れて来ては…

今の死んだ人だよな

この4月の第3土曜日のことなんだが、自分は中学校に勤めていて、その日は部活動の指導があって学校に出ていた。 その後、午後から職員室で仕事をしていた。その時は男の同僚がもう二人来て…

カーテン(フリー素材)

宗教施設での心霊体験

これはとある宗教施設に3ヶ月ほど滞在していた時の話です。 その施設は鉄筋の4階建てになっていて、過去に男性が飛び降り自殺をしたという物件でした。 宿泊施設なので管理人と世話…