海から来たるもの

a3f18de8

普段付き合いのいい同僚が、何故か海へ行くのだけは頑として断る。

訳を聞いたのだが余り話したくない様子なので、飲ませて無理やり聞き出した。

ここからは彼の語り。ただし、酔って取り留めのない話だったので、俺が整理してる。

まだ学生だった頃、友人と旅に出た。たしか後期試験の後だったから、真冬だな。

旅とは言っても、友人の愛犬と一緒にバンに乗って当てもなく走っていくだけの気楽なもんだ。

何日目だったか、ある海辺の寒村に差し掛かったころ既に日は暮れてしまっていた。

山が海に迫って、その合間にかろうじてへばり付いている様な小さな集落だ。

困ったことにガソリンの残量が心もとなくなっていた。

海岸沿いの一本道を走りながらGSを探すとすぐに見つかったのだが、店はすでに閉まっている。

とりあえず裏手に回ってみた。

玄関の庇から、大きな笊がぶら下がっている。

出入りに邪魔だな、と思いながらそれを掻き分けて呼び鈴を鳴らしてみた。

「すんませーん。ガソリン入れてもらえませんかー?」

わずかに人の気配がしたが、返事はない。

「シカトされとんのかね」

「なんかムカつくわ。もう一度押してみいや」

「すんませーん!」

しつこく呼びかけると玄関の灯りが点き、ガラス戸の向こうに人影が現れた。

「誰や?」

「ガソリン欲しいん…」

「今日は休みや」

オレが言い終える前に、苛立ったような声が返ってくる。

「いや、まぁそこを何とか…」

「あかん。今日はもう開けられん」

取り付く島もなかった。諦めて車に戻る。

「これだから田舎はアカン」

「しゃーないな。今日はここで寝よ。当てつけに明日の朝一でガス入れてこうや」

車を止められそうな所を探して集落をウロウロすると、GSだけでなく全ての商店や民家が門を閉ざしていることに気付いた。

よく見ると、どの家も軒先に籠や笊をぶら下げている。

「なんかの祭やろか?」

「それにしちゃ静かやな」

「風が強くてたまらん。お、あそこに止められんで」

そこは山腹の小さな神社から海に向かって真っ直ぐに伸びる石段の根元だった。

小さな駐車場だが、垣根があって海風がしのげそうだ。

鳥居の陰に車を止めると、辺りはもう真っ暗でやることもない。

オレたちはブツブツ言いながら、運転席で毛布に包まって眠りについた。

何時間経ったのか、犬の唸り声で目を覚ましたオレは、辺りの強烈な生臭さに気付いた。

犬は海の方に向かって牙を剥き出して唸り続けている。

普段は大人しい奴なのだが、いくら宥めても一向に落ち着こうとしない。

友人も起き出して闇の先に目を凝らした。

月明りに照らされた海は、先ほどまでとは違って、気味が悪いくらい凪いでいた。

コンクリートの殺風景な岸壁の縁に蠢くものが見える。

「なんや、アレ」

友人が掠れた声で囁いた。

「わからん」

それは最初、海から這い出してくる太いパイプか丸太のように見えた。

蛇のようにのたうちながらゆっくりと陸に上がっているようだったが、不思議なことに音はしなかった。

と言うより、そいつの体はモワモワとした黒い煙の塊のように見えたし、実体があったのかどうかも分からない。

その代わり、ウウ…というか、ウォォ…というか、形容し難い耳鳴りがずっと続いていた。

そして先ほどからの生臭さは、吐き気を催すほどに酷くなっていた。

そいつの先端は海岸沿いの道を横切って向かいの家にまで到達しているのだが、もう一方はまだ海の中に消えている。

民家の軒先を覗き込むようにしているその先端には、はっきりとは見えなかったが明らかに顔のようなものがあった。

オレも友人もそんなに臆病な方ではなかったつもりだが、そいつの姿は、もう何と言うか「禍々しい」という言葉そのもので、一目見たときから体が強張って動かなかった。心臓を鷲掴みにされるってのは、ああいう感覚なんだろうな。

そいつは、軒に吊るした笊をジッと見つめている風だったが、やがてゆっくりと動き出して次の家へ向かった。

「おい、車出せっ」

友人の震える声で、ハッと我に返った。

動かない腕を何とか上げてキーを回すと、静まり返った周囲にエンジン音が鳴り響いた。

そいつがゆっくりとこちらを振り向きかける。

(ヤバイっ)

何だか分からないが、目を合わせちゃいけない、と直感的に思った。

前だけを見つめ、アクセルを思い切り踏み込んで車を急発進させる。

後部座席で狂ったように吠え始めた犬が、「ヒュッ…」と喘息のような声を上げてドサリと倒れる気配がした。

「太郎っ!」

思わず振り返った友人が「ひぃっ」と息を呑んだまま固まった。

「阿呆っ!振り向くなっ!」

オレはもう無我夢中で友人の肩を掴んで前方に引き戻した。

向き直った友人の顔はくしゃくしゃに引き攣って、目の焦点が完全に飛んでいた。

恥ずかしい話だが、オレは得体の知れない恐怖に泣き叫びながらアクセルを踏み続けた。

それから、もと来た道をガス欠になるまで走り続けて峠を越えると、まんじりともせずに朝を迎えたのだが、友人は殆ど意識が混濁したまま近くの病院に入院し、一週間ほど高熱で寝込んだ。

回復した後も、その事について触れると激しく情緒不安定になってしまうので、振り返った彼が何を見たのか聞けず終いのまま、卒業してからは疎遠になってしまった。

犬の方は、激しく錯乱して誰彼かまわず咬みつくと思うと泡を吹いて倒れる繰り返しで、可哀そうだが安楽死させたらしい。

結局アレが何だったのかは分からないし、知りたくもないね。

ともかく、オレは海には近づかないよ。

以上が同僚の話。

昔読んだ柳田國男に、笊や目籠を魔除けに使う風習と、海を見ることを忌む日の話があったのを思い出したが、今手元にないので比較できない。

関連記事

駅(フリー写真)

不思議な老人と駅

今年の夏に体験した話。雨がよく降る火曜日のこと。その日は代休で、久々に平日をゆっくり過ごしていた。妻はパート、子供達は学校。久しぶりの一人の時間に何をして良いや…

霧の出た山(フリー写真)

首狩地蔵

私の母が通っていた中学校の近くには『首狩地蔵』と呼ばれるお地蔵様があるそうです。そのお地蔵様は藪の奥まった所にあって、近付くと祟りがあると言われているそうです。実際、お…

おどって

一年くらい前に誰かがテレビで喋っていた話。ある女の子が夢を見ていた。夢の中で女の子は家の階段を登っている。すると誰かに足を掴まれた。振り向くと皺くちゃの…

教授のメモ

ある大学の教授が突然、姿をくらませた。教授と同じ研究室の助手は、最初は旅行にでも行ったのだろうと考えたが、大学側に問い合わせても教授の行方は判らないと言う。助手はどうし…

存在しない駅

当時学生だった自分は大学の仲間と大学の近くの店で酒を飲んでいた。結局終電間近まで遊んでて、駅に着いたらちょうど終電の急行が出るところだったので慌てて乗った。仲間内で電車…

憑依

小学校6年の社会の授業の時、突然担任(女・20代・かなり美人)の声色が低くドスの聞いた感じに変わり、目つきもどこか虚空を見ているような感じになり、戦時中の国民学校とかで先生が生徒に訓示して…

終わらない鬼ごっこ

これは俺が小学校6年の時に、同じクラスのSって言う奴との間に起こった出来事です。コイツはいつも挙動不審で訳の分からない奴だった。事業中はいつも寝ていて給食だけ食べていつも帰って…

花(フリー素材)

いっちゃん

妹の話。妹が5歳、自分が7歳の時、伯父が遊びに来た。伯父を見るなり妹は、「がしゃーんがしゃーん、イタイイタイの伯父さん」と言い出した。伯父も両親…

山(フリー写真)

禁断の地

これは俺の祖父の父(曽祖父)が体験した話だそうです。大正時代の話です。大分昔ですね。曾爺ちゃんを仮に「正夫」としておきますね。 ※ 正夫は狩りが趣味だったそうで、暇さえあれ…

六甲山ハイウェイの死神

私には「霊感」という物が全く無く、またそういった類の物も信じてはおりませんでした。「見える」という友人から霊の話を聞いていても、自分に見えないと存在が解らないし、また友人が私を…