その朝、家の引き戸は、一度開けたのに二度鳴った。
それが最初の異変だったのだと、私が気づいたのはずいぶん後のことだ。
※
中学二年の、夏休みに入る三日前の話だ。
私が育ったのは、紀伊の山あいにある音無谷という集落だった。
谷は深く、両側から杉が迫っていて、朝日が差すのは八時を過ぎてからになる。
家は十二軒しかなかった。
その全部が、母屋と蔵と納屋を、同じ形の板戸でつないだ造りをしていた。
雨の多い土地だから、外へ出ずに家の中だけで用が足せるようにしたのだと、祖母は言っていた。
どの戸も同じ木で、同じ大きさで、同じ音で鳴る。
子どものころ、私はよく戸を間違えて、蔵に入り込んで叱られた。
※
父は私が小さいころに家を出ていて、母と祖母と私の三人暮らしだった。
母は谷の下の茶畑で働いていて、朝は六時前に出ていく。
だから朝の家は、いつも祖母と私だけだった。
祖母は毎年、六月になると土間で梅を漬けた。
塩をまぶした梅の匂いが、夏じゅう土間にしみついていた。
その匂いは、蔵の戸を開けても、納屋の戸を開けても、同じ濃さで漂っていた。
どこにいても同じ匂いがするというのは、子どもには少し落ち着かないものだった。
祖母には、変わった癖があった。
戸を閉めるとき、必ず口の中で「ひとつ」と言うのだ。
開けるときには言わない。
閉めるときだけ、小さく「ひとつ」と唱える。
「ばあちゃん、それ何なん」
「数えとんの」
「何を」
「戸を」
それ以上は答えてくれなかった。
数えてどうなるのか、と聞いても、祖母は梅干しを漬ける手を止めなかった。
「谷のもんは、みな数えるんよ」
実際、隣の家のじいさんも、集会所の戸を閉めるとき、口が動いていた気がする。
当時の私は、年寄りの験担ぎだと思っていた。
※
前の晩、私は宿題をせずに寝てしまった。
だからその朝は、いつもより十五分遅く起きた。
あとから思えば、その十五分がすべての始まりだったのかもしれない。
祖母はいつもなら、私が土間に降りる前に洗い物を終えている。
けれどその朝は、まだ流しに立っていた。
つまり、家の時間そのものが、少しずれていた。
七月の、蒸し暑い朝だった。
味噌汁の匂いがまだ土間に残っていて、蝉が鳴きはじめる前の、いちばん静かな時間だ。
私は台所で麦茶を飲み干し、鞄を肩にかけた。
祖母は流しで茶碗を洗っていた。
母は先に畑へ出ていた。
土間に降りて、スニーカーのつま先を三和土でとんとんと叩いて調整する。
それから引き戸に手をかけて、いつも通り左へ引いた。
ガラガラ、と鳴った。
戸は開いた。
けれど、そのあとにもう一度、ガラガラ、と鳴った。
戸は一枚しかないのに、二度鳴ったのだ。
変だとは思った。
思ったが、遅刻しそうだったので、そのまま外へ出た。
※
外は、玄関だった。
目の前に土間があり、三和土があり、下駄箱があった。
さっきまで自分が立っていた、うちの玄関だ。
私は一歩、前に出た。
床の冷たさが、スニーカー越しに伝わってくる。
振り返った。
そこも玄関だった。
振り返っても玄関、前を向いても玄関だった。
引き戸一枚を挟んで、まったく同じ土間が向かい合っている。
下駄箱の上の、母が挿した木槿の花まで同じだった。
私は声を出そうとして、出なかった。
喉が、乾いた紙のようになっていた。
※
最初にしたのは、確かめることだった。
こちらの土間を歩き、戸を抜け、向こうの土間を歩く。
二度、三度と行き来した。
どちらの土間にも、同じ位置に同じ傷がついていた。
柱の下のほうに、私が小学生のとき自転車のペダルでつけた傷だ。
それが両方にある。
祖母を呼ぼうと思って、口を開けた。
だが、どちらの家の奥にも、人の気配がなかった。
茶碗を洗う水の音が、していない。
蝉も鳴いていない。
耳が痛くなるほど、静かだった。
※
下駄箱の上の木槿は、両方とも同じ角度でかしいでいた。
花びらの縁が、同じように茶色く縮れている。
作り物ではないのに、鏡に映したような一致だった。
私はもう一度、向こうの土間へ行き、下駄箱を開けてみた。
祖母の下駄が、片方だけなかった。
こちら側の下駄箱には、両方そろっていた。
違うのは、それだけだった。
たったそれだけの違いが、いちばん怖かった。
そのとき、三和土の濡れた跡に気がついた。
朝、私が水を撒いた跡だ。
そこに、靴跡があった。
私の靴跡が、二人分あった。
同じ大きさで、同じ溝の形で、けれど向きが逆だった。
一組は外へ向いていて、もう一組は、家の奥へ向いていた。
私は外へ向かって歩いた覚えしかない。
※
どれくらいそこに立っていたのか、わからない。
腕時計を見ると、七時四十二分だった。
家を出たのは七時四十分のはずだった。
二分しか経っていないことが、かえって現実味を奪った。
私は一度、向こう側の土間で靴を脱ごうとした。
脱いで上がれば、そこは自分の家のはずだ。
けれど、片方の靴紐をほどきかけて、手を止めた。
上がってしまったら、もう戻れない気がしたのだ。
あのとき靴を脱がなかったのが正しかったのかどうか、いまでもわからない。
怖くなって、私は戸をいったん閉めた。
閉めてしまえば、この変な繋がりも切れると思ったのだ。
ガラガラ、と音がした。
そして、もう一度開けた。
今度は、普通に外だった。
庭の百日紅が咲いていて、日が杉の上に上がりかけていた。
蝉が鳴いていた。
私は息を吐いて、そのまま走って学校へ行った。
※
学校に着いたとき、私はまだ息が上がっていた。
下駄箱の自分の場所に、上履きがきちんと揃えて入っていた。
前の日、私は上履きを教室に置きっぱなしにしたはずだった。
そのことを、そのときは深く考えなかった。
その日から、少しずつ、いろいろなものが違っている。
最初に気づいたのは、教室に入って三分後だった。
隣の席にいるはずの里中が、いなかった。
机ごとなかった。
「里中は」
前の席の子に聞いた。
「誰それ」
「里中や。バスケ部の」
「うちのクラスに、そんなやつおらんよ」
その子は本気で不思議そうな顔をしていた。
出席簿を見せてもらった。
里中という名字は、どこにもなかった。
※
昼休みに、私は図書室へ行った。
確かめたいことがあった。
卒業アルバムの棚から、去年の分を引き出した。
一年生の集合写真を、端から順に指でたどっていく。
里中の顔は、どこにもなかった。
人数を数えると、私の記憶より一人少なかった。
写真の下に並んだ名前の列も、その分だけ短かった。
司書の先生が「何か探しとるん」と声をかけてきた。
「去年の写真、撮り直したりしました」
「そんなん、するわけないやろ」
先生は笑って、棚の埃を払った。
私はアルバムを戻して、廊下へ出た。
廊下の窓から見える山の形が、少しだけなだらかだった気がした。
気がした、というだけで、確かめようがなかった。
次は、地図だった。
社会の時間に、教科書の日本地図を開いた。
北の端に、北海道がなかった。
正確に言えば、島はあるのだが、名前が違っていた。
「蝦夷州」と印刷されていた。
州、という単位を、この国は使わないはずだった。
私は指でその字をなぞりながら、教師の声を聞いていた。
教師は普通に授業をしていた。
誰も、何も、おかしいと思っていなかった。
※
帰り道、信号を見上げた。
赤と、白と、紫だった。
進んでいいのは白だった。
みんなが白で渡っていくのを、私はしばらく歩道から見ていた。
ひらがなも、いくつか足りなかった。
「む」「あ」「い」に当たる形が、どの看板にもない。
あるはずのものがないというのは、ないはずのものがあるより、ずっと気持ちが悪い。
※
帰り道、隣の家の前を通ったら、じいさんが庭で草を焼いていた。
煙が低く這って、谷のほうへ流れていた。
「おかえり」
「ただいま」
じいさんは私の顔をちらりと見て、鎌を持つ手を止めた。
「今朝、おまえんとこの戸、二回鳴っとったな」
私は足を止めた。
「聞こえたん」
「谷は音が回るでな」
じいさんはそれだけ言って、また草をかき集めはじめた。
少し歩いてから、背中越しに声が追いかけてきた。
「うちの兄も、昔、二回鳴らしたことがあるわ」
振り返ったときには、じいさんは煙のむこうにいた。
それ以上は、何も言わなかった。
家に帰ると、祖母がいた。
流しで茶碗を洗っていた。
朝と同じ姿勢で、同じ音で。
「ばあちゃん」
私が呼ぶと、祖母は振り返った。
そして、私の顔をしばらく見た。
眼鏡の奥の目が、ゆっくり動いた。
「あんたで、三人目やね」
祖母は、そう言った。
「なに」
「戸を、二度閉めたやろ」
私は返事ができなかった。
祖母は手を拭いて、土間の柱のほうを見た。
「この谷の戸はな、みな同じ顔しとる。せやから、数えるんよ」
「数えたら、どうなるん」
「どの戸から出たか、憶えとける」
祖母は、それから静かに言った。
「一度閉めた戸を、もういっぺん開けたらあかん。あれは、戻り戸ゆうんよ」
※
祖母が数えていたのは、戸の枚数ではなかった。
その意味が呑み込めるまでに、私は何日もかかった。
祖母は「ひとつ」としか唱えない。
二度目を唱える機会が来ないように、暮らしていたのだ。
※
じいさんの兄がどうなったのかは、誰も教えてくれなかった。
仏壇に写真がないことだけは、あとで知った。
位牌もない、と母が言った。
「おらんようになった人は、拝みようがないもんね」
母はそのとき、洗濯物を畳む手を止めなかった。
それから、私は谷の古い記録を見たことがある。
集会所の押し入れに、郷土誌の写しが束ねてあった。
明治のはじめに書かれたものらしく、字はほとんど読めなかった。
ただ、同じ言葉が何度も出てくるのはわかった。
「戻り戸」と、「数」だ。
そして、家ごとの人数を書いた表があった。
どの家も、人数の欄の横に、小さく別の数字が添えてあった。
私の家の欄には、三と書いてあった。
※
表の数字が何を意味するのか、私は長いこと考えた。
家族の人数なら、うちは三人だから合っている。
けれど隣の家は、当時六人いたはずなのに、二と書いてあった。
人数ではなかった。
戻ってきた回数だ、と気づいたのは、大人になってからだ。
実家の台所の柱には、背比べの傷が刻んである。
祖母が包丁の背で、毎年つけてくれた傷だ。
中学二年のところだけ、線が二本ある。
日付が、二日違いで並んでいる。
私が刻んでもらった覚えがあるのは、そのうちの一本だけだ。
※
母は、何も変わらなかった。
私が違う話をしても、少し笑って聞き流すだけだった。
里中のことを話したときだけ、母は箸を止めた。
「あんた、そんな友達おったっけ」
「おったよ」
「そう」
母はそれ以上聞かなかった。
祖母だけが、ときどき私の顔を見た。
見て、何も言わずに、戸を閉めて「ひとつ」と唱えた。
※
祖母の遺したものは、驚くほど少なかった。
簞笥の引き出しに、小さな手帳が一冊あっただけだ。
開くと、日付と、数字しか書いていない。
七月十四日、ひとつ。
七月十五日、ひとつ。
何十年分も、ただ「ひとつ」が並んでいた。
けれど、私が中学二年だった年の七月のところだけ、違っていた。
その日は、ふたつ、と書いてあった。
そして翌日から、また「ひとつ」に戻っていた。
祖母は毎日、家の戸の数を確かめて、書き留めていたのだ。
六十年以上、一日も欠かさずに。
何のために、と私が聞ける相手は、もういなかった。
祖母が亡くなったのは、私が二十歳の年だ。
通夜の晩、私は台所の戸を閉めながら、初めて自分で「ひとつ」と唱えた。
声に出してみると、思ったより頼りない音だった。
それでも、唱えないよりはましだった。
※
高校に上がるころには、私はもう驚かなくなっていた。
信号の白で渡り、蝦夷州の位置を暗記し、足りない三つのひらがなを使わずに作文を書いた。
人はどんなことにも慣れる。
慣れることのほうが、たぶん本当は怖い。
それでも、ときどき確かめたくなる。
大人になってから、図書館で古い地図をずいぶん探した。
どの棚のどの版にも、私の記憶にある名前は載っていなかった。
里中という名字を電話帳で引いたこともある。
この県には、一軒もなかった。
あの朝までは、確かに私の隣に座っていたのに。
※
いま、私は谷を出て、平屋の借家に住んでいる。
引き戸は玄関にしかない。
それでも私は、閉めるたびに数える。
癖になってしまった。
問題は、その数が、いつまでも「ひとつ」で止まらないことだ。
※
去年の秋、はっきり数え間違えた日がある。
仕事から帰って、玄関の戸を閉めて、いつも通り口の中で唱えた。
そのとき自分の声が、「よっつ」と言った。
言ってから、背中が冷えた。
ひとつ、ふたつ、みっつ、の記憶が、私にはない。
けれど口は憶えていた。
私は靴も脱がずに、もう一度戸を開けて、外を見た。
アパートの廊下があり、隣の部屋の傘立てがあった。
何もおかしくなかった。
おかしくないことを確かめるために戸を開けたのだと、そのとき気づいた。
つまり私は、また二度開けたのだ。
※
先月、法事で谷へ帰った。
十二軒あった家は、三軒になっていた。
空き家はどれも、母屋と蔵をつないでいた板戸が外されて、風が抜けるようになっていた。
取り壊しの前に、建具だけ先に売るのだと、母が言った。
「戸がのうなったら、数えようがないねえ」
母は笑ったが、私は笑えなかった。
帰りに、うちの台所の柱をもう一度見た。
中学二年の二本の傷は、まだそこにあった。
下の一本の横に、鉛筆で薄く日付が添えてあるのに、今回初めて気づいた。
祖母の字だった。
その日付は、私が学校で里中を探した日の、前の日だった。
つまり、私より先に、誰かがその柱の前に立っている。
※
母は今も、あの家にひとりで住んでいる。
電話をすると、いつも同じことを言う。
「あんた、ちゃんと数えとるん」
数えている、と私は答える。
母がその癖をどこで覚えたのか、聞いたことはない。
聞けば、答えが返ってきてしまう気がするからだ。
もう慣れてしまったけれど、朝、玄関を開けるときだけは、いまも一拍、耳を澄ませる。
二度鳴らないことを、確かめるために。