繋ぎ目

その朝、家の引き戸は、一度開けたのに二度鳴った。

それが最初の異変だったのだと、私が気づいたのはずいぶん後のことだ。

中学二年の、夏休みに入る三日前の話だ。

私が育ったのは、紀伊の山あいにある音無谷という集落だった。

谷は深く、両側から杉が迫っていて、朝日が差すのは八時を過ぎてからになる。

家は十二軒しかなかった。

その全部が、母屋と蔵と納屋を、同じ形の板戸でつないだ造りをしていた。

雨の多い土地だから、外へ出ずに家の中だけで用が足せるようにしたのだと、祖母は言っていた。

どの戸も同じ木で、同じ大きさで、同じ音で鳴る。

子どものころ、私はよく戸を間違えて、蔵に入り込んで叱られた。

父は私が小さいころに家を出ていて、母と祖母と私の三人暮らしだった。

母は谷の下の茶畑で働いていて、朝は六時前に出ていく。

だから朝の家は、いつも祖母と私だけだった。

祖母は毎年、六月になると土間で梅を漬けた。

塩をまぶした梅の匂いが、夏じゅう土間にしみついていた。

その匂いは、蔵の戸を開けても、納屋の戸を開けても、同じ濃さで漂っていた。

どこにいても同じ匂いがするというのは、子どもには少し落ち着かないものだった。

祖母には、変わった癖があった。

戸を閉めるとき、必ず口の中で「ひとつ」と言うのだ。

開けるときには言わない。

閉めるときだけ、小さく「ひとつ」と唱える。

「ばあちゃん、それ何なん」

「数えとんの」

「何を」

「戸を」

それ以上は答えてくれなかった。

数えてどうなるのか、と聞いても、祖母は梅干しを漬ける手を止めなかった。

「谷のもんは、みな数えるんよ」

実際、隣の家のじいさんも、集会所の戸を閉めるとき、口が動いていた気がする。

当時の私は、年寄りの験担ぎだと思っていた。

前の晩、私は宿題をせずに寝てしまった。

だからその朝は、いつもより十五分遅く起きた。

あとから思えば、その十五分がすべての始まりだったのかもしれない。

祖母はいつもなら、私が土間に降りる前に洗い物を終えている。

けれどその朝は、まだ流しに立っていた。

つまり、家の時間そのものが、少しずれていた。

七月の、蒸し暑い朝だった。

味噌汁の匂いがまだ土間に残っていて、蝉が鳴きはじめる前の、いちばん静かな時間だ。

私は台所で麦茶を飲み干し、鞄を肩にかけた。

祖母は流しで茶碗を洗っていた。

母は先に畑へ出ていた。

土間に降りて、スニーカーのつま先を三和土でとんとんと叩いて調整する。

それから引き戸に手をかけて、いつも通り左へ引いた。

ガラガラ、と鳴った。

戸は開いた。

けれど、そのあとにもう一度、ガラガラ、と鳴った。

戸は一枚しかないのに、二度鳴ったのだ。

変だとは思った。

思ったが、遅刻しそうだったので、そのまま外へ出た。

外は、玄関だった。

目の前に土間があり、三和土があり、下駄箱があった。

さっきまで自分が立っていた、うちの玄関だ。

私は一歩、前に出た。

床の冷たさが、スニーカー越しに伝わってくる。

振り返った。

そこも玄関だった。

振り返っても玄関、前を向いても玄関だった。

引き戸一枚を挟んで、まったく同じ土間が向かい合っている。

下駄箱の上の、母が挿した木槿の花まで同じだった。

私は声を出そうとして、出なかった。

喉が、乾いた紙のようになっていた。

最初にしたのは、確かめることだった。

こちらの土間を歩き、戸を抜け、向こうの土間を歩く。

二度、三度と行き来した。

どちらの土間にも、同じ位置に同じ傷がついていた。

柱の下のほうに、私が小学生のとき自転車のペダルでつけた傷だ。

それが両方にある。

祖母を呼ぼうと思って、口を開けた。

だが、どちらの家の奥にも、人の気配がなかった。

茶碗を洗う水の音が、していない。

蝉も鳴いていない。

耳が痛くなるほど、静かだった。

下駄箱の上の木槿は、両方とも同じ角度でかしいでいた。

花びらの縁が、同じように茶色く縮れている。

作り物ではないのに、鏡に映したような一致だった。

私はもう一度、向こうの土間へ行き、下駄箱を開けてみた。

祖母の下駄が、片方だけなかった。

こちら側の下駄箱には、両方そろっていた。

違うのは、それだけだった。

たったそれだけの違いが、いちばん怖かった。

そのとき、三和土の濡れた跡に気がついた。

朝、私が水を撒いた跡だ。

そこに、靴跡があった。

私の靴跡が、二人分あった。

同じ大きさで、同じ溝の形で、けれど向きが逆だった。

一組は外へ向いていて、もう一組は、家の奥へ向いていた。

私は外へ向かって歩いた覚えしかない。

どれくらいそこに立っていたのか、わからない。

腕時計を見ると、七時四十二分だった。

家を出たのは七時四十分のはずだった。

二分しか経っていないことが、かえって現実味を奪った。

私は一度、向こう側の土間で靴を脱ごうとした。

脱いで上がれば、そこは自分の家のはずだ。

けれど、片方の靴紐をほどきかけて、手を止めた。

上がってしまったら、もう戻れない気がしたのだ。

あのとき靴を脱がなかったのが正しかったのかどうか、いまでもわからない。

怖くなって、私は戸をいったん閉めた。

閉めてしまえば、この変な繋がりも切れると思ったのだ。

ガラガラ、と音がした。

そして、もう一度開けた。

今度は、普通に外だった。

庭の百日紅が咲いていて、日が杉の上に上がりかけていた。

蝉が鳴いていた。

私は息を吐いて、そのまま走って学校へ行った。

学校に着いたとき、私はまだ息が上がっていた。

下駄箱の自分の場所に、上履きがきちんと揃えて入っていた。

前の日、私は上履きを教室に置きっぱなしにしたはずだった。

そのことを、そのときは深く考えなかった。

その日から、少しずつ、いろいろなものが違っている。

最初に気づいたのは、教室に入って三分後だった。

隣の席にいるはずの里中が、いなかった。

机ごとなかった。

「里中は」

前の席の子に聞いた。

「誰それ」

「里中や。バスケ部の」

「うちのクラスに、そんなやつおらんよ」

その子は本気で不思議そうな顔をしていた。

出席簿を見せてもらった。

里中という名字は、どこにもなかった。

昼休みに、私は図書室へ行った。

確かめたいことがあった。

卒業アルバムの棚から、去年の分を引き出した。

一年生の集合写真を、端から順に指でたどっていく。

里中の顔は、どこにもなかった。

人数を数えると、私の記憶より一人少なかった。

写真の下に並んだ名前の列も、その分だけ短かった。

司書の先生が「何か探しとるん」と声をかけてきた。

「去年の写真、撮り直したりしました」

「そんなん、するわけないやろ」

先生は笑って、棚の埃を払った。

私はアルバムを戻して、廊下へ出た。

廊下の窓から見える山の形が、少しだけなだらかだった気がした。

気がした、というだけで、確かめようがなかった。

次は、地図だった。

社会の時間に、教科書の日本地図を開いた。

北の端に、北海道がなかった。

正確に言えば、島はあるのだが、名前が違っていた。

「蝦夷州」と印刷されていた。

州、という単位を、この国は使わないはずだった。

私は指でその字をなぞりながら、教師の声を聞いていた。

教師は普通に授業をしていた。

誰も、何も、おかしいと思っていなかった。

帰り道、信号を見上げた。

赤と、白と、紫だった。

進んでいいのは白だった。

みんなが白で渡っていくのを、私はしばらく歩道から見ていた。

ひらがなも、いくつか足りなかった。

「む」「あ」「い」に当たる形が、どの看板にもない。

あるはずのものがないというのは、ないはずのものがあるより、ずっと気持ちが悪い。

帰り道、隣の家の前を通ったら、じいさんが庭で草を焼いていた。

煙が低く這って、谷のほうへ流れていた。

「おかえり」

「ただいま」

じいさんは私の顔をちらりと見て、鎌を持つ手を止めた。

「今朝、おまえんとこの戸、二回鳴っとったな」

私は足を止めた。

「聞こえたん」

「谷は音が回るでな」

じいさんはそれだけ言って、また草をかき集めはじめた。

少し歩いてから、背中越しに声が追いかけてきた。

「うちの兄も、昔、二回鳴らしたことがあるわ」

振り返ったときには、じいさんは煙のむこうにいた。

それ以上は、何も言わなかった。

家に帰ると、祖母がいた。

流しで茶碗を洗っていた。

朝と同じ姿勢で、同じ音で。

「ばあちゃん」

私が呼ぶと、祖母は振り返った。

そして、私の顔をしばらく見た。

眼鏡の奥の目が、ゆっくり動いた。

「あんたで、三人目やね」

祖母は、そう言った。

「なに」

「戸を、二度閉めたやろ」

私は返事ができなかった。

祖母は手を拭いて、土間の柱のほうを見た。

「この谷の戸はな、みな同じ顔しとる。せやから、数えるんよ」

「数えたら、どうなるん」

「どの戸から出たか、憶えとける」

祖母は、それから静かに言った。

「一度閉めた戸を、もういっぺん開けたらあかん。あれは、戻り戸ゆうんよ」

祖母が数えていたのは、戸の枚数ではなかった。

その意味が呑み込めるまでに、私は何日もかかった。

祖母は「ひとつ」としか唱えない。

二度目を唱える機会が来ないように、暮らしていたのだ。

じいさんの兄がどうなったのかは、誰も教えてくれなかった。

仏壇に写真がないことだけは、あとで知った。

位牌もない、と母が言った。

「おらんようになった人は、拝みようがないもんね」

母はそのとき、洗濯物を畳む手を止めなかった。

それから、私は谷の古い記録を見たことがある。

集会所の押し入れに、郷土誌の写しが束ねてあった。

明治のはじめに書かれたものらしく、字はほとんど読めなかった。

ただ、同じ言葉が何度も出てくるのはわかった。

「戻り戸」と、「数」だ。

そして、家ごとの人数を書いた表があった。

どの家も、人数の欄の横に、小さく別の数字が添えてあった。

私の家の欄には、三と書いてあった。

表の数字が何を意味するのか、私は長いこと考えた。

家族の人数なら、うちは三人だから合っている。

けれど隣の家は、当時六人いたはずなのに、二と書いてあった。

人数ではなかった。

戻ってきた回数だ、と気づいたのは、大人になってからだ。

実家の台所の柱には、背比べの傷が刻んである。

祖母が包丁の背で、毎年つけてくれた傷だ。

中学二年のところだけ、線が二本ある。

日付が、二日違いで並んでいる。

私が刻んでもらった覚えがあるのは、そのうちの一本だけだ。

母は、何も変わらなかった。

私が違う話をしても、少し笑って聞き流すだけだった。

里中のことを話したときだけ、母は箸を止めた。

「あんた、そんな友達おったっけ」

「おったよ」

「そう」

母はそれ以上聞かなかった。

祖母だけが、ときどき私の顔を見た。

見て、何も言わずに、戸を閉めて「ひとつ」と唱えた。

祖母の遺したものは、驚くほど少なかった。

簞笥の引き出しに、小さな手帳が一冊あっただけだ。

開くと、日付と、数字しか書いていない。

七月十四日、ひとつ。

七月十五日、ひとつ。

何十年分も、ただ「ひとつ」が並んでいた。

けれど、私が中学二年だった年の七月のところだけ、違っていた。

その日は、ふたつ、と書いてあった。

そして翌日から、また「ひとつ」に戻っていた。

祖母は毎日、家の戸の数を確かめて、書き留めていたのだ。

六十年以上、一日も欠かさずに。

何のために、と私が聞ける相手は、もういなかった。

祖母が亡くなったのは、私が二十歳の年だ。

通夜の晩、私は台所の戸を閉めながら、初めて自分で「ひとつ」と唱えた。

声に出してみると、思ったより頼りない音だった。

それでも、唱えないよりはましだった。

高校に上がるころには、私はもう驚かなくなっていた。

信号の白で渡り、蝦夷州の位置を暗記し、足りない三つのひらがなを使わずに作文を書いた。

人はどんなことにも慣れる。

慣れることのほうが、たぶん本当は怖い。

それでも、ときどき確かめたくなる。

大人になってから、図書館で古い地図をずいぶん探した。

どの棚のどの版にも、私の記憶にある名前は載っていなかった。

里中という名字を電話帳で引いたこともある。

この県には、一軒もなかった。

あの朝までは、確かに私の隣に座っていたのに。

いま、私は谷を出て、平屋の借家に住んでいる。

引き戸は玄関にしかない。

それでも私は、閉めるたびに数える。

癖になってしまった。

問題は、その数が、いつまでも「ひとつ」で止まらないことだ。

去年の秋、はっきり数え間違えた日がある。

仕事から帰って、玄関の戸を閉めて、いつも通り口の中で唱えた。

そのとき自分の声が、「よっつ」と言った。

言ってから、背中が冷えた。

ひとつ、ふたつ、みっつ、の記憶が、私にはない。

けれど口は憶えていた。

私は靴も脱がずに、もう一度戸を開けて、外を見た。

アパートの廊下があり、隣の部屋の傘立てがあった。

何もおかしくなかった。

おかしくないことを確かめるために戸を開けたのだと、そのとき気づいた。

つまり私は、また二度開けたのだ。

先月、法事で谷へ帰った。

十二軒あった家は、三軒になっていた。

空き家はどれも、母屋と蔵をつないでいた板戸が外されて、風が抜けるようになっていた。

取り壊しの前に、建具だけ先に売るのだと、母が言った。

「戸がのうなったら、数えようがないねえ」

母は笑ったが、私は笑えなかった。

帰りに、うちの台所の柱をもう一度見た。

中学二年の二本の傷は、まだそこにあった。

下の一本の横に、鉛筆で薄く日付が添えてあるのに、今回初めて気づいた。

祖母の字だった。

その日付は、私が学校で里中を探した日の、前の日だった。

つまり、私より先に、誰かがその柱の前に立っている。

母は今も、あの家にひとりで住んでいる。

電話をすると、いつも同じことを言う。

「あんた、ちゃんと数えとるん」

数えている、と私は答える。

母がその癖をどこで覚えたのか、聞いたことはない。

聞けば、答えが返ってきてしまう気がするからだ。

もう慣れてしまったけれど、朝、玄関を開けるときだけは、いまも一拍、耳を澄ませる。

二度鳴らないことを、確かめるために。

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