危険な好奇心(前編)

裏山

小学生の頃、親友二人(慎、淳也)と学校の裏山に秘密基地を作っていた。それなりに本格的なもので、板を打ち付けて雨風を防げる三畳ほどの広さの小屋だった。

放課後にそこでオヤツを食べたり、エロ本を読んだり、まるで俺達だけの家のように使っていた。ハッピーとタッチと名付けた野良犬2匹もそこで飼っていた。

小学5年生の夏休み、秘密基地に泊まって遊ぼうということになった。お互い親には「◯◯の家に泊まる」と嘘をつき、小遣いを掻き集めてオヤツ、花火、ジュースを買い、修学旅行よりワクワクしていた。

夕方の5時頃に学校で集合し、裏山へ向かった。山に入ってから一時間ほど登ると俺達の秘密基地がある。

基地の周辺はハッピーとタッチの縄張りでもあるため、基地に近くなると、どこからともなく2匹が尻尾を振りながら迎えに来てくれる。

俺達は2匹に「出迎えご苦労!」と頭を撫でてやり、うまい棒を1本ずつあげた。

基地に着くと荷物を小屋に入れ、まだ空が明るかったので、すぐそばにある大きな池で釣りをした。まあ、釣れるのはウシガエルばかりだったけど。

釣りをしていると、次第に辺りが暗くなり出したので、俺達は花火を始めた。俺達よりも2匹の野良の方がはしゃいでいた。結構買い込んだつもりだったが、30分もしない内に花火も尽きて、俺達は一旦小屋に入った。

夜の秘密基地というのはみんな初めてで、山の奥地だから明かりと言えば月明かりのみ。聞こえるのは虫の鳴き声だけ。

マグライト1本の薄暗い小屋に三人。最初は皆で菓子を食べながら好きな子の話、先生の悪口などで盛り上がっていた。

しかし静まり返った小屋の周囲から時折聞こえる、池に何かが落ちる音や何かの動物の足音のような音に、俺達は段々と心細くなってきた。

次第に「今、なんか音したよな」「熊いたらどーしよ」など不安を漏らすようになった。

時間は午後21時過ぎ。小屋の中は蒸し暑く、蚊もいて、とても眠れるような状況ではないように思えた。

すっかり夜の山の雰囲気に飲まれてしまい、みんなこの冒険を後悔していた。

明日の朝までどう乗り切るかを俺達は話し合い、結局、なんだかんだ言い訳をして山を下りることした。

マグライトの明かりを頼りに、早歩きで下山を始めた。暫くはハッピーとタッチが俺達の周りを走り回っていたので心強かったが、やがて2匹は小屋の方に戻って行った。

普段何度も通っている道でも夜は全く別の空間にいるみたいだった。獣道を足を滑らさぬよう無言で黙々と歩いていた。

その時、慎が俺の肩を後ろから掴み「誰かいる」と囁いた。

俺達は瞬間的にその場に伏せ、ライトを消した。耳を澄ますと確かに足音が聞こえる。

「ザッ、ザッ」

二本足で茂みを進む音。その音の方を目を凝らして、その何者かを見つけようとした。

俺達から2、30メートル程離れた茂みに、その何者かは居た。

懐中電灯片手に、もう一方の手には長い棒のようなものを持ち、その棒でしげみを掻き分け、山を登っているようだった。

俺たちは恐怖したが、その何かが「人間」であること。また相手が「一人」であることから、それまでの恐怖心はなくなり、俺たちの心は幼い「好奇心」で満たされていた。

危険な好奇心。今では悔やむことしかできない。

俺が「あいつ、何者だろ…尾行する?」と呟くと、二人は「もちろん」と言わんばかりの笑顔を見せた。

微かに見える何者かの懐中電灯の明かりと草を書き分ける音を頼りに、俺達は慎重に慎重に後をつけて行く。

その何者かは、半時間ほど山を登り続けた。

俺達はその後30メートル程の所にいたので、そいつの性別はもちろん様子も全く分からない。やがてそいつは立ち止まって背負っていた荷物を下ろし、ゴソゴソしている。

「アイツ一人で何してるんだろ? クワガタでも獲りに来たんかなぁ」と俺は言った。

「もっと近づこうぜ!」と慎が言う。

俺達は枯れ葉や枝を踏まぬよう、擦り足で身を屈ませながら ゆっくりと近付いた。怖くはなかった。ただ頭の中で、その何者かにどんな悪戯をしてやろうかと考えていた。

その時、

「コン!」

と甲高い音が鳴り響いた。心臓が止まるかと思った。

「コーン!」

また鳴った。一瞬何が起きたか解らず、淳也と慎の方を振り返った。すると淳也が指差し、

「アイツ、なんかしとる!」

と言う。

俺はその何者かの様子を見た。

何かを木に打ち付けていた。手元は見えなかったが、それが『呪いの儀式』ということはすぐに分かった。

…と言うのも、この山は昔から『藁人形』に纏わる怪談がある。あくまで都市伝説的な噂だと、その時までは思っていたが…。

俺は恐くなり「逃げよ」と言ったが、慎が

「あれ、やっとるの女や。よー見てみ」

と小声で言い、淳也が

「どんな顔か見たいやろ? もっと近くで見たいやろ?」

と悪ノリして、慎と淳也はドンドンとその女との距離を狭め始めた。俺は気が進まなかったが、後でヘタレ扱いされるのも癪だったので渋々二人の後を追った。

その女との距離が縮まるたびに木を打ちつける音以外に聞こえてくるものがあった。女がお経のようなものを呟いていた。

少し迂回して、俺達はその女の斜め後の木の陰に身を隠した。

その女は肩に少し掛かるぐらいの髪の長さで、痩せ型。若くはない。足元に背負って来たリュックと電灯を置き、写真のような物に次々と釘を打ち込んでいた。すでに6、7本打ち込まれていた。

その時だった。

「ワン!」

俺達は驚いて振り返った。そこにはハッピーとタッチが尻尾を振ってこっちを見ていた。

次の瞬間、慎が「わぁー!!」と変な大声を出しながら走り出した。

振り返ると、女が片手に金槌を持ち「アーッ!!」という奇声を上げ、こちらに向かってもの凄い勢いで走って来る。

俺と淳也もすぐさま立ち上がり慎の後を追い走った。

しかし、俺は左肩を後ろから鷲づかみされ、凄い力で後ろに引っ張られた。バランスを崩して仰向きに転がった俺の胸に強い衝撃が走り、俺は胃の中のもの吐きかけた。

転んだ俺の胸を女が足で踏みつけた。女は歯を食いしばり、歯軋りをしながら「ンッーッ」と何とも形容しがたい声をあげて踏みつけた足を左右にグリグリと動かした。

痛みは無かった。恐怖で痛みは感じなかった。女は小刻みに震えているのが解った。恐らく怒りと興奮の絶頂なんだろう。俺は女から目が離せなかった。離した瞬間、頭を金槌で殴られる。殺されると思った。

そんな状況でも、いや、そんな状況だったからだろうか、女の顔はハッキリと覚えている。

年齢は四十ぐらいだろうか。痩せた顔立ち、目を剥き、少し受け口気味に歯を食いしばり、小刻みに震えながら俺を見下す。

鬼の形相だった。

女が俺の胸を踏みつけながら、背を曲げ、顔を少しずつ近付けて来た。その時、タッチが女の背中に乗り掛かった。

女は俺を押さえていた足を踏み外し、よろめいた。そこにハッピーも走って来て、女にまとわりついた。

恐らく、2匹は俺達が普段遊んでいるため人間に警戒心が無いのだろう。俺はその隙に慌てて起きて走り出した。

「早く!早く!」と離れたところから慎と淳也がこちらをライトで照らしていた。俺は明かりに向かい走った。

「ダンッ」

後ろで鈍い音がした。

俺は振り返る余裕も無く走り続けた。

山を抜けた時には午前0時を回っていた。

足音は聞こえなかったが、あの女が追い掛けてきそうで俺達は慎の家まで走って帰った。

慎の家に着き、俺は何故か笑いが込み上げてきた。極度の緊張から解き放たれたからだろうか? しかし、淳也は泣き出した。

俺が不審に思っていると、慎が俺に「お前があの女から逃げれたの、ハッピーとタッチのおかげやぞ。お前があの女に後から殴られそうなとこ、ハッピーが飛び付いて、代わりに殴られよったんや」

すると淳也も泣きながら「あの女、タッチの事も、タッチも…うっ…」と泣き崩れた。

後から慎に聞くと走り出した俺を後から殴ろうとした時、ハッピーが女に飛び付き、頭を金槌で殴られた。

女は尚も俺を追い掛けようとしたが、足元にタッチがジャレついてきて、タッチの頭を金槌で殴った。

そして女は一度俺らの方を見たが、追い掛けてこず、ひたすら2匹を殴り続けていた。

淳也はハッピーとタッチの様子を確認すると言って聞かなかった。慎も朝になったらまた山に入ろうといった。俺も同意するしかなかった。

興奮のため明け方まで眠れず、朝から昼前まで仮眠を取り、俺達は山に向かった。三人とも、あの「五寸釘の女」に備え、バットとエアガンを持参した。

山の入口に着いたが、慎が「まだアイツがいるかも知れん」と言うので、いつもとは違うルートで山に入った。

昼間は山の中も明るく、蝉の泣き声が響き渡り、昨夜の出来事など嘘のような雰囲気だ。

だが「五寸釘の女」に出くわした地点に近付くにつれ緊張が高まり、俺達は無言になり、足取りも重くなった。

少しずつ昨日の出来事が鮮明に思い出す地点に差し掛かった。バットを握る手は緊張で汗まみれだ。

例の木が見えた。女が何かを打ち付けていた木。

少し近付いて俺達は言葉を失った。

木には4、5歳ぐらいの女の子の写真が、無数の釘が打ち付けられていた。

いや、驚いたのはそれではない。その木の根元にハッピーの変わり果てた姿があった。

舌を垂らし、血まみれで、眉間に一本、釘が刺されていた。

俺達は絶句し、近付いて凝視することが出来なかった。早くも蝿や見たことのない虫がたかっていて、生物の「死」の意味を俺達は始めて知った。

俺はハッピーの変わり果てた姿を見て、今度、五寸釘の女に会えば、次は俺がハッピーのように…と思い、すぐにでも家に帰りたくなった。

その時、淳也が「タッチ…タッチの死体が無い!タッチは生きてるかも!」と言い出した。

すると慎も「きっとタッチは逃げのびたんだ!きっと基地にいるはず!」と言い出した。

三人で秘密基地へと走り出した。

秘密基地が見える場所まで走って来たが、慎が急に立ち止まった。

俺と淳也は「五寸釘の女?」と思い、慌てて身を伏せた。黙って慎の顔を見上げると、慎は「…なんだあれ?」と基地を指差した。俺と淳也はゆっくり立ち上がり、基地を眺めた。

何か基地に違和感があった。何か…。

基地の屋根に何か付いている。

少しずつ近付いて行くと、基地の中に昨夜忘れていた淳也のいつも持ち歩いている巾着袋が基地の屋根に無数の釘で打ち付けてあるではないか!

俺達は驚愕した。

この秘密基地、あの五寸釘の女にバレたんだ!

慎が恐る恐る、バットを握り締めながら基地に近付いた 。

俺と淳也は少し後方でエアガンを構えた。基地の中に五寸釘の女がいるかもしれない。 慎はゆっくりとドアに手を掛けると同時に、すばやく扉を引き開けた。

「うわっ!」

慎はその場に尻餅を付きながら、ズルズルと俺達の元に後ずさりをしてきた。

俺と淳也は何に慎が怯えているのか解らず、取り敢えず銃を構えながら基地の中をゆっくりと覗いた。

そこには変わり果てたタッチの姿があった。

「うわっ!」

俺と淳也も慎と同じような反応をとった。

やはりタッチも眉間に五寸釘が打ち込まれていた。

俺はその時、思った。あの五寸釘の女はキチガイだ!普通、こんなことまでしないだろう。とてつもない人間に関わってしまったと、昨夜、この山に来た事を心から後悔した。

暫く三人ともタッチの死体を見て呆然としていたが、慎が小屋の中を指差し、「おい!あれ…」。

俺と淳也は黙りながら静かに慎が指差す方向を覗き込んだ。

基地の中…。

壁や床板に何か違和感が…何か文字が彫ってある…近付いてよく見てみた。

『淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺淳也呪殺…』

無数に釘で『淳也』『呪』『殺』と壁や床に彫ってあった。

淳也は「え??」と固まった。なぜ名前がバレているのか!

その時、慎が「淳也の巾着や、巾着に名前書いてあるやん!」

俺は目線を屋根に打ち付けられた巾着に持って行った。無数に釘で打ち付けられた巾着には確かに

『五年三組○○淳也』

と書かれている。

いきなり淳也は泣き出した。

俺も慎も泣きそうだった。学年と組、名前が五寸釘の女にバレてしまったのだ。もう逃げられない。俺や慎の事もすぐにバレてしまう。

頭が真っ白になった。俺達はみんなハッピーやタッチのように眉間に釘を打ち込まれ、殺される。慎が言った、

「警察に言おう!もうダメだよ、逃げられないよ!」

俺はパニックになり「警察なんかに言ったら、秘密基地の事とか昨日の夜、嘘付いてここに来た事バレて親に怒られるやろ!」と冷静さを欠いた事を言った。

当時は何よりも親に怒られるのが一番恐いと思っていたのもあるが。

ただ、淳也はずっと泣いたまま。何も掛ける言葉が見つからなかった。

淳也は無言で打ちつけられた巾着を引きちぎり、ポケットにねじ込んだ。

俺達は会話が無くなり、取り敢えず山を降りた。俺はどこからか五寸釘の女に見られている気がしてビクビクしていた。

山を降りると慎が「もう、この山に来るのはやめよ。暫く近づかんといたら、あの五寸釘の女も俺らの事を忘れよるやろ」と言った。

俺は「そやな、んで、この事は俺らだけの秘密にしよ!誰かに言ってるのがアイツにバレたら、俺ら殺されるかもしれん」

慎は頷いたが淳也は相変わらず腕で涙を拭いながら泣いていた。

その日、各自家に帰り、その後、その夏休みは三人で会うことはなかった。

新学期になったが、淳也はあの出来事以来具合がよくないということで、暫く学校に来なかった。

この頃から学校で奇妙な噂が流れ始めた。

「学校の通学路にトレンチコートを着た中年の女が学童を一人一人睨むように顔を凝視してくる」

という噂だ。

その噂を聞いた俺は激しく動揺した。そのトレンチコートの女とあの五寸釘の女が容易に結びついた。それに俺は唯一、あの女に間近で顔を見られている。

慎は「大丈夫!夜やったし見えてないって!それにあの日見られてたとしても、忘れてるって!」と俺を落ち着かせてくれようとした。

何よりも嫌だったのが、俺と慎は通学路が全くの正反対。俺と淳也は近所なのだが、淳也が休んでいるため、俺は一人で帰らなければいけない。

俺は「暫く一緒に帰ろうよ!俺、恐い」と慎に頼んだ。慎は少し呆れた顔をしていたが「淳也が来るまでやぞ!」と言ってくれ、その日から、帰りは俺の家まで慎が付き添ってくれる事になった。

その日は結局、学校で噂のトレンチコートを着た中年女には会わなかった。次の日も、その次の日も会わなかった。しかし、学校では相変わらず「トレンチコート女」の噂は囁かれていた。

ある日、珍しくNとS、それに俺と慎の四人で一緒に下校した。

Nは体がデカく、Sはチビ。実写版のジャイアンとスネオみたいな奴ら。すでに俺と慎の中で「五寸釘の女」のことは風化しつつあった。

学校で噂の「トレンチコート女」が実在したとしても、あの五寸釘の女とは全くの別人と思えていた。

その日は四人で駅前にガチャガチャをしに行こうという話になり、いつもと違う道を歩いていた。

これが間違いだった。

楽しく四人で話しながら歩いていると、Sが「あ、あれトレンチコート女ぢゃね…」と言う。Nも「ホンマや!」と騒いだした。

俺もそちらのほうを見る。その女はトレンチコートを羽織り、残暑のアスファルトの道で、ただ、突っ立っていた。うつむいて表情は全く解らない。俺は心の中で(別人であってくれ!)と願った。

慎が、小声で「目、合わせるなよ!」と言ってきた。

少しずつ、女との距離が縮まって行く。緊張が高まった。女は微動たりせず、ただ、うつむいていた。

女との距離が5メートル程になった時、女は突然顔を上げ、俺達四人の顔を見つめてきた。そして、次に俺達の胸元に目線を移したのが分かった。

名札を確認しているんだ!

俺は平常心を保つのに必死だった。垣間見たその女の顔に心臓が大きく脈打つ。間違いない。「五寸釘の女」だ!

俺はうつむきながら歩き過ぎた。いつ襲いかかられるかと緊張の極地だった。女のそばを通り抜ける間、ほんの数秒が永遠に感じた。…そして何事もなく女の横を通り過ぎる。

Nが「あの目見たけ? あれ完全にイッテるぜ!」と笑った。Sも「この糞暑いのにあの格好!」と馬鹿にしていた。俺と慎は笑えなかった。Sが続けて言った

「やべ!聞こえたかな? まだ見てやがる!」

俺はとっさに振り返った。「五寸釘の女」と目が合った。女は俺を見つめたまま、その無表情な顔が、ニィっと凄くイヤらしく歪んだ。

俺は生まれて始めて恐怖によって少し漏らしてしまった。バレたのか?俺の顔を思い出したのか?俺の頭はひたすらその事だけがぐるぐる巡っていた。

Nが「うわーっ、まだこっち見てるぜ!S!お前の言った悪口聞かれたぜ!俺知らねーっ!」とおどけていた。

もうガチャガチャどころではない。曲がり角を曲がり、女が見えなくなったところで俺は慎の腕を掴み、

「帰ろう!」

と言った。慎は俺の目を暫く見つめて「あ、お前、今日塾だっけ?帰らなやばいな」と俺に合わせてくれた。

俺達は走った。家とは逆の方向に走りながら、俺は慎に「アイツや!あの目、間違いない!俺らを探しに来たんや!」と悲鳴のような声で言う。

しかし慎は冷静に「マジマジと名札見てたもんな。学年とクラス、淳也の巾着でバレてるし」

俺はそんな落ち着いた慎に腹がたち「どーすんだよ!もう逃げ切れねーよ!家とかそのうちバレっぞ!!」

慎「やっぱ警察に言おう。このままはアカン。助けてもらお」

俺は暫く黙っていた。たしかに他に助かる手はないかもしれないと思った。

「でも、警察に何て言う?」と俺が問うと、慎は「山だよ。証拠を集めよう。あの山に打ち付けられた女の子の写真とかハッピー、タッチの死体、あれを写真に撮って、あの女が変質者っていう証拠を見せれば、警察があの女を捕まえてくれるはずや」

もうあの山に行くのは嫌だったが、納得するしかなかった。

「明日の放課後に裏山に行く」

そう話がまとまり、俺達は家に帰ろうとしたが「五寸釘の女」がどこに潜伏しているか分からないため、俺達は恐ろしく遠回りした。通常なら20分で帰れるところを二時間かけて帰った。

家に着いて俺はすぐに慎に電話した。

「家とかバレてないかな? 今夜きたらどーしよ!」などなど。俺は自分で自分がこれほどチキンとは思わなかった。でも名前がバレ、小屋に呪殺と彫られた淳也もこんな恐怖に怯えてるのだろうか。

慎は「大丈夫、そんなすぐにバレないよ!」と俺に言ってくれた。慎にはずっと励まされているような気がする。

もちろんその日の夜は眠れなかった。わずかな物音に脅え、目を閉じれば、五寸釘の女の顔がまぶたの裏に浮かんだ。

朝が来て、学校に行き、授業を受け、放課後、午後15時半。俺と慎は裏山の入口まで来た。

俺は山に入るのを躊躇した。「五寸釘の女」「変わり果てたハッピーとタッチ」「無数の釘」…頭の中をグルグルと鮮やかにあの夜の出来事が甦ってくる。

俺は慎の様子を伺った。慎は黙って山を見つめていた。慎も恐いのだろう。「やっぱ、入るの恐いな…」と言ってくれ!と俺は内心願っていた。

慎はズボンのポケットからインスタントカメラを取り出し、俺の期待をよそに

「よし」

と小さく呟き、山へ入るとすぐさま走りだした。俺はその後ろ姿に引っ張られるように走りだした。

慎は振り返らずに走り続ける。俺は必死に慎を追った。一人になるのが恐かったから必死で追った。

「あの場所」が 徐々に近付いてくる。

思い出したくもないのに「あの夜」の出来事を鮮明に思い出し、心に恐怖が広がり始めた。恐怖で足がすくみだした時、「あの場所」に着いた。

そう、「五寸釘の女が釘を打っていた場所」「五寸釘の女がハッピー、タッチを殺した場所」「五寸釘の女に引きずり倒された場所」「五寸釘の女と出会ってしまった場所」。

俺はあの女に見られているような気がして周りを見渡した。山の静寂が心に広がった恐怖を増長し、足が震えだす。立ち止まる俺を気にかける様子無く、慎はあの木に近付き始めた。

何かに気付き、慎はしゃがみ込んだ。

「ハッピー…」

その言葉に俺は足の震えを忘れ、慎の元に歩み寄った。ハッピーは既に土の一部になりつつあった。頭蓋骨をあらわにし、その中心に少し錆びた釘が刺さったままだった。

俺は釘を抜いてやろうとすると、慎が「待って!」と言い、写真を一枚撮った。

慎の冷静さに少し驚いたが、何も言わず俺は再び釘を抜こうとした。頭蓋骨に突き刺さった釘をつまんだ瞬間、頭蓋骨の中から見たことのない数の灰色の虫が溢れ出てくる。

「うわっ!」

俺は慌てて手を引っ込め、立ち上がった。ウジャウジャと湧いている小さな虫が怖く、ハッピーの死体に近付く事が出来なくなった。

それどころか、吐き気でえずいた。慎は何も言わずに背中を摩ってくれた。

俺が落ち着くと、慎はカメラを再び構え「あの木」を撮ろうとしていた。

「ん!? おい!ちょっと来てーや!」

何かを発見し、俺を呼ぶ慎。俺は恐る恐る慎の元に歩み寄った。慎が「これ、この前無かったよな?」と何かを指差す。

その先に視線をやると、無数に釘の刺さった写真が…確か前も…。

いや!写真が違う!

厳密に言うと、この前見た「4、5歳ぐらいの女の子」の写真ではある。その写真が2枚。増えているのだ。

写真の状態からして、ここ2、3日ぐらいに打ち込まれているであろう。この前に見た写真は既に女の子かどうかも分からないぐらいに雨風で表面がボロボロになっている。新しい写真も同じ4、5歳ぐらいの女の子のようだ。

慎はカメラにその打ち込まれた写真を撮った。そして「後は秘密基地の彫り込みを撮ろう」と言い走りだした。俺は近くに五寸釘の女がいるような錯覚がし、一人になるのが怖く、慌てて慎を追った。

秘密基地に近いてきて、俺は違和感を感じ、

「慎!」

と呼び止めた。いつもなら秘密基地の屋根が見える位置にいるはずなのだが、屋根が見えない。慎もすぐに気付いたようだ。このとき脳裏に「五寸釘の女」が過った。

胸騒ぎがする。鼓動が激しくなる。

慎が「裏道から行こう」と言った。俺は無言で頷いた。

裏道とは獣道を通って秘密基地に行く従来のルートとは別に、茂みの中をくぐりながら秘密基地の裏側に到達するルートの事である。

この道は万が一秘密基地に敵が襲って来た時の為に作っておいた道。もちろん、遊びで作っていたのだが、まさかこんな形で役に立つとは…。

この道なら万が一、基地に「五寸釘の女」がいても見つかる可能性は極めて低い。俺と慎は四つん這いになり、茂みの中のトンネルを少しずつ進んだ。

そして秘密基地のすぐ裏に差し掛かった時、基地の異変の理由が解った。

バラバラに壊されている。

俺達が造り上げた秘密基地はただの材木になっていた。

暫く様子を窺ったが、五寸釘の女の気配もないので俺達は茂みから抜けだし、秘密基地「跡地」に到達した。

俺達はバラバラに崩壊された秘密基地を見て、少し泣きそうになった。

「秘密基地」言わば俺達三人と2匹のもう一つの家。

材木の破片の上に大きな石が落ちていた。あの五寸釘の女がこれをぶつけて壊したのだろう。

慎が無言で写真を撮り始めた。そして数枚の材木をめくり「淳也呪殺」と彫られた板を表にし、写真を撮った。わずかな板の隙間からハエが飛び出し、その隙間からタッチの遺体が見えた。

ハッピーとタッチ。秘密基地よりもかけがえの無い2匹を俺達は失った事を痛感した。

慎は一通り写真に収めると

「よし、このカメラを早く現像して警察に持って行こう」

と言った。俺達は山を駆け降りた。

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