ナレーションの声
公開日: 怖い話 | 死ぬ程洒落にならない怖い話
小学5年生の頃、アメリカでワールドカップが開催された。
だからという訳ではないけど、幼馴染のNとよく近所の公園でサッカーをしていた。
ある日、「たまには別の公園でやろう」という話になり、自分たちの行動範囲外である、まだ行ったことのない公園まで行ってみることになった。
その公園は昼間でも薄暗くジメジメしていて、何となく神社の敷地を思い起こさせた。
俺もNもその薄気味悪い雰囲気が大層気に入り、かなり遠いにも関わらず自転車で度々遊びに行くようになった。
※
何度目かのある日、Nとその2歳下の弟のTとその公園で遊んでいると、50歳くらいのおっさんが近寄って来た。
髪は長く黒々としていたけど、皺が深くて歯はボロボロで、涎の臭いをさせていたのを覚えている。
そのおっさんと何を話したのかは忘れてしまったけど、その日3人でおっさんの家に行くことになった。
おっさんの家は公園のすぐ側で、通された部屋の窓からさっきまでいた公園が見えた。
部屋にはテレビがあり、勝手にNがスイッチを入れてチャンネルを変えたりしていた。
俺はおっさんのことを、その醸し出す雰囲気から知的障害者だと思っていた。
それはNも同じで、後日「あのおっさんは知的障害者だよな」と言っていた。
おっさんはビデオがあるから見ようと言い出し、Nからリモコンを受け取ると画面を切り替えた。
テープは予めセットされていたらしく、すぐに再生された。
※
それはかなり古いビデオで、内容は東京オリンピックにまつわるドキュメンタリーだった。
会場の建設風景や土地の区画整理、交通網の見直し作業などの様子をナレーションが説明していた。
何分昔の事だから、そのビデオの断片しか覚えていないところが多い。
ただ競技やその結果も盛り込んだ内容で、オリンピック開催当時を振り返る形のドキュメンタリーだったのではないかと思う。
しかし、それであっても古いビデオであるのは(ナレーションの語り口からしても)間違いないと思う。
最初、そのナレーションは普通の男性の声だったが、20分くらい経つと音が飛んで暗転し、しばらくして画面が正常に戻ると、ナレーションが子供の声になっていた。
後から無理やり加工したものだとすぐに解った。子供の声も素人臭かった。
「これ、おっちゃんの子の声」
そうおっさんが嬉しそうに俺やNを見て言う。
「へ~」とか「そうなんだ」とか当たり障りの無い返事をしたが、この古いドキュメンタリーを編集し、ナレーションを自分の息子の声に変えるという無意味さと、その気色の悪さに鳥肌が立った。
NもNの弟Tもそう思ったのか、おっさんに話し掛けられた顔が引き攣っていた。
尚もビデオは続き、結局1時間半くらい見ていたと思う。
おっさんはビデオを熱心に見ているふりをしている俺たちの顔を、終始満足気に眺めていた。
もう辺りも暗くなったという事で、「親が心配している」などと言い、半ば逃げるように帰った。
帰り道、「もうあの公園には行けないかもなあ」と話していた。
※
数日後、事件が起きた。
Nが夜の20時を過ぎても帰って来ないというのだ。
N母から心当たりはないかと聞かれ、真っ先にあの公園とおっさんが浮かんだが、あれ以来俺もNも公園には近付いていない。
その証拠に、失踪当日NはTと二人で近くの池にザリガニ釣りに行き、Tに先に帰るように言ったきり行方不明になったらしい。
普通に考えれば水難事故だが、その池は天気次第ですぐに干上がるような水溜り程度の池で、当日もやはり膝下以下の水位しかなかったという。
即日池浚いが行われたが、やはり何も見つからなかった。
俺は絶対にあのおっさんが関係していると思ったが、大人たちには言い出せなかった。
もし関係が無かったら、あのおっさんは知的障害者だから差別だなんだと大問題になる…などと考えたからだ。
※
N失踪の次の日、意を決しておっさんの家に向かった。あまりの緊張のため、どういう経緯でおっさんの家に上がることができたのか、実のところよく覚えていない。
しかしとにかくおっさんの家に着いた俺は、目論見通り家に入ることに成功した。
そして予想はしていたが、やはり「ビデオを見よう」と言う。
満面の笑みでリモコンをいじっているおっさんに「Nは来てない?」とさり気なく聞いてみた。
「前一緒に来てたヤツなんだけど」
「知らない来てない」
おっさんは心底無関心な顔で答え、画面が切り替わるとパッと笑顔になった。
そしてお待ちかねのものが始まったぞとばかりに画面を指差す。
やはり前回と同じく薄気味悪いドキュメンタリーが始まり、またあの子供のナレーションを聞くのは憂鬱だなあと思いながらビデオを見ていた。
そして前回と同じところで、音が飛んだ。画面が潰れ、暗転。
そろそろナレーションが切り替わると身構えていたにも関わらず、心臓が飛び出るかと思った。
この前見た時の子供のナレーションが、Nの声に変わっていたのだ。
意味不明の出来事にパニックになったが、Nの声が少し震えているようだったのが忘れられない。
とにかく早く逃げようと、震える腰を浮かせた俺におっさんが嬉しそうな顔で、
「これ、おっちゃんの子」
と言うのだ。もう俺は限界を超え、小便を垂れ流しながら玄関まで走った。
走って自転車に飛び乗って立ち漕ぎで逃げた。
最短距離で家に向かわず、迂回して家を目指したのは、恐怖で混乱しつつもあの男に家がバレるのはマズイと思ったからだ。
※
家に着くとすぐ母親に事の顛末を話した。しかし、いまいち懐疑的な顔をするのでNの家に電話したところ、N母が家に飛んで来た。
公園でおっさんに話し掛けられ家に行ったこと、家でビデオを見せられたこと、そのビデオのナレーションがおっさんの子供であるらしいこと、そして今日見せられたビデオのナレーションがNの声に上書きされていたこと、Nの声を自分の息子と言ったこと…。
全てを説明し、Nはあの家にいる(いた)かもしれないと涙ながらに訴えた。N母も興奮状態で、泣きながら聞いてくれた。
俺の母が受話器を取り、「とりあえずうちの人(俺の父)に電話してみる」と言い出した。するとN母が「先に警察に電話して!」と泣きながら叫んだ。
躊躇する母から子機を奪い、俺に「今の話しホントやね?」と念を押し、俺が頷くのを見て110番通報した。
ただ興奮状態だったためN母は俺の家ではなくNの家の住所を告げてしまい、取り敢えず3人でN家に移動することになった。
母は「やっぱりお父さんに連絡する」と言い、先に行くよう告げ家に戻った。
途中N母は「チッ」と舌打ちし「○○(捜査員?)さんにも電話しなきゃ」と一人呟いていた。
※
パトカーがやって来て、パトカーの中で話を聞かれたが、結局俺とN母と遅れて来た母と3人は、警察署に連れて行かれて繰り返し話をすることになった。
その日、警察署から解放され家に帰って今日あったことを父に説明した。
すると父曰く、あそこは部落だということ。
他の部落と違ってある意味保守的で、独自の組合(互助会)を作っている。
昔はよく近隣の集落と揉め事を起こしていたという。
またあのおっさんのことも知っていて、名前をSと言い、うちの家系も古いがSの家も古くからある筈と言っていた。
※
そんな話を聞いていると、家の電話が鳴った。N母だった。
なんと失踪2日目にして、Nがあの池の近くにいるところを警察に保護されたというのだ。
もう夜も遅いということで、俺は家に残され父母がNの家に向かった。
次の日に両親から聞かされた話だと、Nは大分疲れた様子だったらしく、事実1ヶ月間学校を休んだ。その間、俺はNと面会させてもらえなかった。
その後も俺と母は3回ほど警察署に呼ばれたが、当然新しい証言など無く、繰り返し説明するだけだった(俺の感じた限り、俺たちを疑っているとか、狂言だと思っているようには見えなかった)。
その都度、何か判ったことはないかと聞いてみたが、子供に詳しい話をしてくれる筈はなかった。
ただ母は少し教えてもらったらしく、警察が言うには、男の家からNの滞在した痕跡も、件のビデオテープも見つからなかったという。
※
1ヶ月後、学校に復帰したNは、外見上は特に変わった様子もなかった。
ただクラスが違うから実際目にしてはいないけど、保健の授業で急に号泣し、教室を飛び出したことがあったらしい。
それが原因ではないだろうけれど、あの失踪事件以後、Nに対して心無い憶測や中傷があった。
結局Nは6年に上がる前に転校することになった。
※
登校再開後、すぐNに直接あのビデオのナレーションについて聞いてみた。
あのおっさんは本当に無関係なのか、と。
Nは猛烈に激高し、聞き取れないほどの罵声を浴びせられた。
そういうことがあり、今は時期が悪いと距離を置いていると、その後ほどなくしてN母は離婚し、NとTを連れて俺の地区から出て行った。
結局Nとはそれっきりになってしまった。
※
大学生になった俺は、部落の「組合」に話を聞きに行った。
「郷土史の中の部落差別を調べているので、その話を聞かせて欲しい」と電話すると、快く承諾してくれた。
電話で聞いた住所に行くと、初老の男性の自宅で、その人が話をしてくれるという。
親切な応対に少し気が引けたが、N失踪とSという男は関わっていないのか、そもそもSとは何者で、今どこにいるのか、単刀直入に問い質した。
応対してくれた初老の組合員は困惑していたが、詳細を話してくれた。
・Nくんの失踪とSさんは関係ない。Sさんの転居と、Sさんに対する警察の(不当な)家宅捜査が同時期だったのは偶然。
・Sさんは行政保護を受けていない(受けられない)ため、組合が生活の手助けをしていた高齢知的障害者。
・転居先は遠くの施設だが、場所は教えられない。
・既に亡くなっている。
話の内容は概ねこのようなもので、期待したものは何も得られなかった。
しかし無礼を詫びた後の、帰り際のことだった。
5年ほど前、組合事務所にN母が怒鳴り込みに来たことがあって、宥めるのに大変だったという話を聞かされた。
俺は今でも、Nの失踪にSという男が関わっていると思っている。
現在、Nがどこにいるか判らない。でも俺の幼馴染のNは、あの東京五輪のドキュメンタリービデオのナレーションとして、未だ捕らえられたままでいる…などという事を、最近よく考えてしまう。