
これは私が高校三年だった一九九六年十一月の出来事である。
私の町は山に囲まれた田舎で、放課後に遊ぶ場所といえば、人気のない廃神社しかなかった。
多い日で七人、少ない日で三人。
私たちはそこに集まり、煙草を吸い、酒をこっそり飲み、ときにはギター弾き語りで夜をつぶした。
廃神社は民家から遠く、参道の雑草は膝まで伸びている。
人目を気にせず過ごせるという一点で、高校生の私たちにとって理想の溜まり場だった。
※
その日、私とA・B・Cの四人は、午後四時過ぎに学校を出て神社へ向かった。
季節は初冬。
吐く息が白く、缶ジュースの温もりが指先に嬉しい頃だった。
境内の段差に腰を下ろして雑談をしていると、参道の枯葉を踏む音が聞こえた。
「ザッ ザッ ザッ ザッ」
てっきり遅れて来る仲間だと思った。
ところが姿を現したのは、七十代ほどの小柄な老女だった。
私たちは一斉に黙り、物陰から成り行きをうかがった。
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老女は賽銭箱の前に立つと、聞き取れない古語のような節で祈りを捧げた。
一分ほどで手を合わせ終えると、革の小さな鞄を賽銭箱の裏にそっと置き、そのまま振り返らずに去って行った。
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「人が来るなんて初めてだな」
「今の呪文、ヤバくね?」
冗談めかした声が震えていた。
だが、皆の視線は鞄に釘付けだった。
私は嫌な胸騒ぎを覚えたが、Aが興味本位で鞄を持ち帰ってしまった。
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まず出てきたのは黄ばんだ新聞。
日付は一九七二年四月。
見出しには「大型タンカー座礁」「覚醒剤密輸容疑者逮捕」の文字が踊っていた。
次に出てきたのは古い財布。
異国の紙幣が一枚と、読めない文字のお守り、ほぼ判別不能のレシート、そして厚紙に書かれた五文字の走り書き。
「ハコヲアケルナ」
Bが声を上げた瞬間、Aはさらに底から木箱を取り出した。
掌に乗るほどの大きさで、漆黒の艶と朱の線刻が禍々しかった。
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私は本能的に制止した。
「やめろ。どうせ碌な物じゃない」
Cも顔を青くして頷いた。
しかしAとBは理性を失い、箱を地面に叩きつけ、互いに奪い合いながら開封を試みた。
目は血走り、口からは意味不明の唸り声。
私とCは凍りついたまま、止める術を失った。
※
異常さに耐えかね、私は助けを呼びに走る決断をした。
午後五時を回り、境内は急速に薄暗くなる。
階段を駆け下りた私の視界に、あの老女が映った。
神社を見上げ、皺だらけの口元を吊り上げて笑っている。
ぞっとしながらも自転車をこぎ、最寄りの友人D宅へ向かった。
Dは私の形相を見て事態の深刻さを理解し、Eにも連絡を取ってくれた。
※
二十分後、Dと私は再び神社に戻った。
老女の姿は消えていた。
しかし階段を上り切った瞬間、私の記憶は途切れる。
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目を開けると、白い天井があった。
全身が痛み、右脚はギプス、左腕には包帯。
私は事故で四日間意識を失っていた。
※
母に問いただすと、帰宅中だった私・A・B・Dにトラックが突っ込み、AとBは即死、Dは重体だという。
だが私は「神社で箱を――」と説明し、話が噛み合わなかった。
※
翌朝、CとEが見舞いに来た。
Cは泣きながら「怖くてAとBを置いて逃げた」と告白した。
「二人とも箱を開けようとして叫び続けていた」と。
Eは「夜の神社で ‘別の連中’ がうごめいていたから退散した」と証言した。
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警察の事情聴取では、事故前後の記憶が曖昧だとしか述べられず、木箱の話は相手にされなかった。
トラック運転手は精神疾患の兆候があり、事故後に自殺未遂。
Dも意識が戻らぬまま逝った。
Cは四年後に投身自殺。
私は罪悪感と恐怖から地元を遠ざけ、東京で大学生活を送った。
※
十二年後。
父の葬儀で久々に帰省した私は、どうしてもあの神社に足が向かった。
驚いたことに、境内は綺麗に復興し、若い巫女と私服の神主が管理していた。
私は一部始終を打ち明けた。
神主は静かに頷き、こう語った。
「その箱は〈忌箱〉と呼ばれます。
冥界の門を閉じ込めた器。
開けた者を取り込み、現世に災いを招くと伝わっています。
前任の神職も三年前、箱を扱って失踪しました」
そして厳粛な祓詞を奏上し、私に「忘れなさい」と告げた。
※
帰京後、私は三日に一度、断片的な悪夢を見る。
夢の中でAとBは箱をこじ開け、黒い煙に包まれる。
私とDは止めようとして揉み合い、車道へ飛び出す。
そこへトラックのライト――。
目覚めるたび、夢か記憶か判然としない。
もしあれが真実なら、事故は不可抗力ではなかったのかもしれない。
※
私はいまだ忌箱の真相を知らない。
だがひとつ確信している。
あの日、境内に落ちた木箱は、開いてはならないものだった。
思い出すたび、耳の奥であの老女の笑い声がこだまする。
そして今夜もまた、忌箱の蓋が開く夢にうなされるのだ。