赤いシャツの女
公開日: 怖い話 | 死ぬ程洒落にならない怖い話 | 長編
二年前の今頃の話。
その日、来週に迎える彼女の誕生日プレゼントを買いに、都内のある繁華街に居た。
俺はその日バイトが休みだったので、昼過ぎからうろうろとプレゼントを物色していた。
『交差点の向こうに、彼女が気に入りそうなアクセサリーのお店があったなあ…』なんて考えながら、そのスクランブル交差点で信号待ちをしていた。
ふと、反対側の歩道の信号待ちをしている人々の、一番右端に居る赤いシャツの若い女性が視界に入った。
その瞬間、背筋がぞわっとする感じがした。視界の一番端に入っただけで直視した訳ではない。と言うか、直視出来ない何かを感じた。
霊感など全く無かったけど、本能的に『あれ、ヤバい』と感じ、信号が青に変わったと同時に、俺は斜め左前側に進路を進めた。
『気のせいかな?』などと自問自答しながら、薄気味悪かったので早くこの場所から離れようと思い、早足で歩いていた。
それでも怖いもの見たさというか、『どんな容姿なんだろ?』というスケベ根性が頭を過り、一瞬だけ目線の先を右側に送った。
ちらっとだけしか見られなかったが、その女性らしき姿はそこには無かった。
すると今度は全身の血が逆流するような身の毛のよだつ感覚を覚え、鳥肌がブワーッと立ち、ガバッと反射的に向き直った。
赤いシャツの女は目の前に居た。
※
セミロングの髪にチェックのミニスカにルーズソックス。
顔立ちや服装から女子高生に間違いないだろうが、生気が全く無い表情から、この世の者ではないと本能的に一目で理解した。
何より、赤いと思っていたシャツは、彼女の首筋に真一文字に入った切り口から流れ出た大量の血が染めていた色だったからだ。
思わず「うっ」と呻く俺の傍らをその娘が通り過ぎる時、頭の中に直接、無数の虫の羽音に似た耳鳴りと共に、低いくぐもった女の声が響いてきた。
その声ははっきりとした言葉として認識出来なかったが、苦しみとか、怨みとか、怒りとか、色々な感情が渦巻いているような、思念みたいな感情が脳にダイレクトに響いてくる感じだった。
気が付くと交差点の途中で硬直し立ち止まっていたらしく、車のクラクションで我に返った。
『…何だ……今の?』
周りを振り返っても赤シャツの女子高生は確認出来ず、白昼夢か幻を見たような感覚で…しかし全身は汗でびっしょりだった。
※
もうなんだかプレゼントを探す気力も失せ、今日は帰る事にした。と言うか、あの一瞬の出来事でどっと疲労感が溢れ、身体を重くしていた。
帰る道すがら、あの娘は一体何だったのかと色々考えていた。
『自殺でもして彷徨っているのか?』とか、『首筋の傷からして誰かに殺害された娘なのか?』とか、『若いのに無念だったろうなぁ』とか…。
何だか無性に悲しくなり、柄にもなくちょっとだけ心の中で手を合わせてみた。
もしかしたらそれがいけなかったのかもしれない。
※
夕方16時頃、へとへとになりながらアパートのドアを開けた瞬間、誰かに思い切り背中を蹴られ、躓きながら両手を付いて玄関に倒れ込んだ。
振り返るとそこには誰も居なかった。すぐさま外の共用廊下を見たが誰も居ない。
『…連れて帰って来ちゃった?』
元々霊感が無いので、交差点で擦れ違って以降、何かを感じる気配は無かった。
『単純に躓いただけか?』と、無理矢理自分に言い聞かせるように部屋に入った。
入ったと同時に部屋の一角に目が行った。
机の上に飾っていた彼女とのツーショット写真が、びりびりに破かれて机の上に散乱していた。
『連れて来たんじゃなくて…今、出て行った?』
虫の知らせか、何か嫌な予感がして俺は彼女の携帯に電話した。
……出ない。
『多分これからバイトだろうから、今電車の中か何かで出られないんだ』とか、また自分で自分に言い聞かせている。
心臓がバクバク鳴っている。俺はもう一度彼女に電話をかける。それでも出ない。
居ても立ってもいられず、取り敢えず彼女の安否を確認したくなって彼女のバイト先へ行ってみようと思った矢先、携帯が鳴った。
『良かったぁ』と思って着信画面を確認すると、非通知の表示だった。
「…もしもし」
返事はない。代わりに電波が悪いのか、スピーカーの向こうからは雑音みたいなノイズしか聞こえて来ない。
「もしもし? ……もしもし!」
何か向こうで話しているような気もするのだが、雑音が酷すぎて聞き取れない。
埒が明かないので携帯を切った。切った瞬間、違和感に気付いた。
『何で着信音鳴ってんだ?』
いつも俺は非通知着信は受信拒否に設定している。ただ拒否に設定していても、ピリリと一瞬だけ音が鳴ってしまう。
だが着信音は非通知だったにも関わらず、俺が出るまでの数秒間鳴り続けていた。
背中を冷や汗が滴るのを感じ、頭の中で『何かヤバい、何かヤバい』と思っていたら、また携帯が鳴った。
非通知だった。
暫く出ようかどうか画面を凝視したまま固まっていたが、意を決して出ることにした。
「……誰?」
相変わらずノイズが酷かったが、向こうの声を聞き取ろうと、受話器に当てた耳に神経を集中した。
「…………ワ……タ……シ…」
怖くて携帯を放り投げた。女の声だった。
何をどう整理して考えれば良いのか分からず、頭の芯がカーッと熱くなり、目眩がして倒れそうになった。
それでも、彼女の身にも何か善からぬ事が起こりそうな不安が拭えず、もう一度携帯を拾い上げアパートを飛び出した。
※
駅に着くと構内アナウンスで、〇〇駅で人身事故のため運転を見合せているとの案内が流れていた。
彼女がバイト先に行くために乗り換える駅だった。
駅に向かう途中、何度も彼女の携帯に電話をしたが応答がない。
人身事故の相手が彼女と決まった訳ではなかったが、半分泣きそうになりながら『無事でいてくれ、人違いであってくれ』と心の底から念じていた。
携帯が鳴った。
非通知だった。
息を飲んで電話に出る。
受話口の雑音も、周りの雑踏の音も耳に届かず、その声だけが頭に響いた。
「…………ワ……タ…シ………ジャ……ダ…メ?」
頭の中が真っ白になった。
得体の知れないモノに逆ナンされてるのか俺は!?
咄嗟に「彼女をどうした!? 彼女をどうした!!!」と叫んでいた。
しかし電話はもう切れていた。
気が動転していたのか、着信履歴からそいつに電話をしてもう一度文句を言ってやろうかと履歴画面を出した。
非通知の着信履歴は一件も無かった。
冷静に考えれば、非通知の相手にこちらから電話は出来ないのだが、着信履歴は残るはず。
だが俺の携帯は昨日の夜から誰からも着信していないのだ。
白昼夢でも見たのか?
一瞬、『今日一日の出来事は全て俺が勝手に妄想した絵空事だったのか?』と無理矢理納得しかけた時、再び携帯が鳴った。
着信画面に彼女の名前。
『うわ~、俺やっちまったぁー』とか『そりゃそうだよなぁ~』とか、あまりに現実離れした今日の出来事を、この彼女の電話一つで打ち消してくれる気がして、一気に安堵して電話に出た。
しかし、電話口からは聞き覚えのない、男性の声が聞こえた。
「〇〇警察です。E美(彼女の名前)さんのお知り合いの方ですか?」
「…そうですが?」
「E美さんなんですが、実は先ほど〇〇駅で事故に遇われまして、現在病院に搬送しているところなんですが…」
警察の方の話だと、彼女は駅のホームから転落し、命に別状は無いものの頭に怪我をして意識が朦朧としているらしい。
それで万が一のため身内の方に連絡しようと携帯を拝借し、俺からの度重なる着信履歴に気付き連絡をしてくれたとの事だ。
彼女とは同じ大学だったので、そこに電話をして実家の連絡先を調べてくれと伝え、彼女の搬送先の病院を聞いて電話を切った。
怒りがこみ上げて来る。絶対あいつがやったのだ。
陳腐な三文小説じみているが、『嫉妬心から俺の彼女を殺して俺を奪おうとしているのだ』と、その時は本気で思った。
彼女の容体も凄く気になったが、それよりもまずもう一度あいつに会ってはっきりケリを付けなければと思い、なぜだか俺はもう一度昼間の交差点に向かった。
※
辺りが少し暗くなりかけていたが、昼間よりも信号待ちをしている人達は更に増え、それでも例の場所に同じように赤シャツのそいつは居た。
恐さや不可解さなどを超越して、俺はその時怒りに満ちていたので、そいつに詰め寄って大声で怒鳴っていた。
途中、そいつの隣に居た三人組のホストだか客引きだかが自分達に絡んで来たと勘違いし胸ぐらを掴まれたりしたが、そいつらにも赤シャツの異様な姿が見えたのか、誰も居ない空間に怒鳴っている俺を気味悪がったのか、気が付くと居なくなっていた。
その間も赤シャツのそいつは無表情でただ前だけを向いていた。
俺は少し正気を取り戻し、昼間手を合わせた時の事を思い出して心苦しく感じた瞬間、目の前からそいつはスーッと消えた。
そして、また非通知から着信が入った。
「………」
無言だった。
言いたい事は全て出尽くした感があり、俺も何を言えば良いか分からず無言でいた。
うまく説明出来ないが、別れ話を電話でしているような気まずい雰囲気と言うか、お互いがお互いの次の言葉を待っている状態と言うか…。
相手から嫌な雰囲気が感じられなかったからそう思ったのかも知れないが…。
俺は一人で勝手に『解ってくれたんだな』と解釈し、思わず「ごめんな」と口に出してしまった。
そのまま電話は切れた。
※
後日、彼女の病院にお見舞いに行った。
思っていたよりも彼女は元気で、後頭部を十数針縫ったものの、後は軽い打撲程度で済んだ。
ホーム下に転落こそしたが、電車の到着まではまだ時間があり、駅員が緊急連絡をして最悪の難は免れた。
その後、ホームに居合わせた人達に引き上げられ、病院に運ばれたらしい。
複数の目撃者の証言から、彼女が一人でふらふらとホームから落ちる姿が目撃されており、彼女も模試の追い込みで連日徹夜続きだったらしく、落ちた瞬間の事は詳しくは覚えていないそうだ。
それよりも、ホームから心配そうに声を掛けている人達の狼狽した姿を下から見上げているアングルが新鮮だったとか、彼女は嬉々としながら記憶の断片を思い返すように俺に熱く語っていた。
「なんにしろ無事で良かったよ」
「てゆーか、あたし自殺とか勘違いされちゃってんじゃないかと思うと超~ハズいんだけど(笑)」
「…ところでさ、あと他に何か気付いたとか、変なところとかなかった?」
「ん~、特にない(笑)」
俺は彼女に特に心配を掛けたくなかったから、あの出来事については一切話さなかった。
出来れば、俺一人の思い過ごしか妄想で処理したかった…。いや、あくまでそう自分に言い聞かせたかったからだ。
「あ!そう言えばあの時、変な感じの娘がいた…」
「え!?」
「ホームの上からサラリーマンとか男の人達がわたしを助けようとしてた時なんだけど、その娘一人だけわたしのこと気にもしないで、超~シカトっぽかった」
「そ…その娘……どんな格好してた?」
突然「ピリリッ」と携帯が鳴った。
彼女に病院では携帯の電源は切っておけと突っ込まれ、ゴメンゴメンと謝りながら携帯を取り出した。
非通知着信だったので呼び出し音はすぐ止み、履歴にも着信が残っていた。
そう……もう終わった事なんだな………。
「で、その娘の格好だっけ?」
そう言われて顔を上げた。
携帯を耳に当て、首から流した血でシャツを真っ赤に染めた彼女が、ニヤリと笑って俺を見ていた。
「コンナカンジ」
俺はその場で気絶した。
「マタアエタネ」