ダレモイナイヨ
ある年の夏の終わり頃の事でした。
私が住宅街の中にポツンとあるカフェバーで働いていた時の話です。
その店はあまりお客も来ず、私と友人達の恰好の溜り場となっていました。
ある時、いつものように開店準備をしているところに、友人が彼女を伴いやって来ました。
普段は私達の笑いの中心にいるとても明るい奴なのですが、その日に限って妙に無口で顔色も悪いように見えたので、少し心配になったのを覚えています。
取り敢えず、私は声をかけました。
「どうした? 元気ないじゃん。何かあったのか?」
「ああ、すげぇー怖い事があった…」
「何だよ、怖いことって。また幽霊か?」
「……」
しかし、それっきり彼は黙り込んでしまいました。
彼女もまた彼に口止めされているらしく、何も話してはくれませんでした。
彼は霊感が強いようで、これまでにも何度か自分の不思議な体験談をしてくれていたので、私としては「ああ、また幽霊なんだな」という感じでした。
ただ今までと違っているのは、いつもは無理にでも聞かせようとするくらいだったのですが、今回は何も話そうとせず、頭を抱えてじっと黙り込んでいるのです。
私は段々好奇心を抑えられなくなり、どうしても聞き出してやろうという気になりました。
その後、何とかその話を聞き出そうと、彼とその彼女にしつこく尋ね続けました。
すると彼はやっと重い口を開き、不思議な体験を語り出したのです。
それは、このような話でした…。
※
その日彼は専門学校の研修旅行を終え、自宅のある駅に到着した時にふと家の鍵を忘れてしまっているのを思い出し、念のため家に電話を入れてみる事にしました。
人の居なくなる事が稀な家なので、やはり数コールで誰か出ました。
「もしもし、俺だけど。いま○○駅。鍵がないから、鍵開けといてよ。お願いねー」
そう一方的に喋ると電話を切ってしまいました。そしてバスに乗り、家路についたのです。
※
家に着くと、困った事に鍵が開いていませんでした。
彼は不信に思い家の周りを見て回りましたが、家の中には人の気配が無く静まり返っていました。
しかし、数分前までは誰かが電話に出ていたので、どこか窓から見えない所に居るのだろうと思いました。
そしてもう一度電話をしてみようと思い、近所のタバコ屋の店先にある公衆電話へと向かいました。
電話をしてみると、また数回のコールで誰かが出ました。
「ガチャッ。…………」
「もしもし、俺だけど」
「…」
「もしもし!もしもし!!」
「………」
「もしもーし!!」
「…………」
「もしもし!俺だってばっ!!」
「……………」
なぜか相手は黙ったままでした。
その後数分置きに電話をしてみたのですが、どうしても通話が出来ない状態なので電話の故障だと思い、家の前で家族を待ってみることにしました。
暫くは家の前で途方に暮れていたのですが、突然、玄関脇に緊急用の予備の鍵を隠してあった事を思い出し、やっと家に入ることが出来たのです。
※
しかし家の中は静まり返っていて、どの部屋にも人の気配はありませんでした。
また、電話にも異常は見られず、きちんと使用できる状態だったのです。
これはおかしいと思った彼は、もう一度だけ公衆電話から電話をかけてみることにしました。
そして、きちんと鍵が掛かっている事を確認し、先程の公衆電話へと急ぎました。
少し緊張しながらダイヤルすると、先程のように誰かが電話に出たのです!
驚きながらもまだ家族の悪戯の可能性を捨て切れなかった彼は、電話の相手に呼びかけたのです。
「もしもし」
「……」
「もしもし、姉ちゃんなんだろ!答えろよ!!」
「……」
「なぁ、誰なんだよ!」
「……」
「オマエ誰なんだよ!!答えろってば!!」
「………」
暫く呼びかけても一向に相手が応答しないので、彼はこれで最後だと思い、こう呼びかけたのです。
「オマエ誰なんだよ。そこにいるのは判ってんだよ!誰かいんだろ!!」
すると、長い沈黙の後、
「……ダレモイナイヨ……」
と、初めて相手が答えたそうです。
今まで一度も聞いたことのない、どこか遠くの方から聞こえてくるような雰囲気の声でした。
彼はびっくりして受話器を叩きつけると、家へと急ぎました。
※
そして、家に着くとすぐさま家中を見て回ったのですが、鍵の開いている窓もなければ、人の気配もしなかったそうです。
しかし一つだけ、彼を再びゾッとさせた事がありました。
それは、居間の電話の受話器が外れて床に置いてあった事です。
私は今だにこの話をしたり聞いたりすると鳥肌が立ち、体中の毛が逆立つのを感じるのです。