あの時の背中(ナナシシリーズ7)

公開日: ナナシシリーズ

献花(フリー写真)

気ままな学生生活も終りに近付き、いつしか学校を卒業し、仲の良かったクラスメイト達とも連絡を取り合ったのは最初だけ。

僕も進学先の場所に合わせて一人暮らしを始め忙しかったこともあり、次第にみんなと疎遠になって行った。

『あいつ』ともある一件以来、何の接触も持たなくなった。当然と言えば当然のことだ。

仲良くしていた日々を思えば懐かしくもあり、愛しくも感じる。

でも『あいつ』のしたことが正しかったと言い切る自信は無かったし、許せないと感じる僕も居た。

そんなことを時折考えながら過ごしていた、ある日。

今からまだ二年程前のことだ。僕は卒業に向けて提出物の準備をしていた。

進学するつもりは無く、就職することを決めていたため、それに関する膨大な書類や何枚もの履歴書、就職希望先に関する資料などが山のようにあった。

それに一から目を通し、書く物は書き、提出する物は分けて…そんな作業をしていたら、ふと地元に帰りたくなった。

現実逃避がしたかったのだと思う。その日の内に荷物をまとめて、ギリギリ最終列車で地元に向かった。

列車に揺られながら、窓から段々と見えて来る地元の風景に胸が踊った。見慣れた風景なのにやたらと懐かしい。

その時、ふと巨大な墓地が見えた。地元にある霊園だ。

真っ暗なのにはっきり見えたのは、提灯を持った行列のようなものがあったからだった。

初めは人魂かと思ったが、列車が近付くにつれて、人間が提灯を持ち並んで歩いているのが分かる。

「こんな時間に墓参りか…?」

僕は気になって、駅に着くなり荷物を持ったまま霊園へ向かった。

霊園に着くと、提灯の集団は見えなくなっていた。どうやら大分先に進んで行ったらしい。

放って置けば良いものを、何故かやたらと気になって、僕は先へ進んだ。

『あいつ』とも、よくこうやって好奇心で墓場に来たな…なんて思いながら。

そして、霊園の真ん中まで進んで来たところで集団を見つけた。

老若男女問わず提灯を持って並び、何か楽しげに話している。

僕は墓に隠れて話を盗み聞いた。すると、

「ここは俺の墓」「これは私」

「僕のはここにはないみたい」「なら先に進もう」「そうしようそうしよう」

そんな会話が聞こえて来た。逃げなきゃいけない、と思った。

霊にせよ生きている人間にせよ、あんな会話をしている時点でまともじゃないのは確かだ。

集団が会話に夢中になっている今なら、逃げられる。僕は走り出す姿勢を取った。

その時…。

「お兄ちゃん、何してるの?」

酷くノイズの掛かったような声。見上げれば、幼い女の子の顔が墓石の上から覗いていた。

そこでもう、あの集団はこの世のものではないと確信した。

だって、この女の子は顔形から見てせいぜい3、4歳。そんな女の子が、どうして大人の僕が隠れていられるほど大きな墓石の上から顔を出せるのか。しかも、顔だけ。

数年ぶりに感じた恐怖に、僕は一目散に走って逃げた。集団が追い掛けて来るのが分かる。ノイズ掛かった声も聞こえる。

ただひたすら怖かった。あの頃は、危ない時は隣に『あいつ』が居た。でも今は居ない。

だからあの集団に捕まった後のことを考えると、洒落にならない恐怖だった。

霊園が、道が長い。逃げても逃げても道がある。それでも泣き喚きながら逃げた。だが、

「あっ」

何かに躓いた。転んで、座り込んだ。ああ、もうだめだと思った。躓いたのは墓石。後ろから追い掛けて来る提灯の光。

「くそっ」

躓いた墓石を、座り込んだまま蹴飛ばした。その時。

「罰当たりな奴だな」

聞き覚えのある声がした。視線を上げると、嘘だろう? 『あいつ』が居た。

「ナナ…シ…?」

あの頃より少し大人びたナナシが居た。苦笑して、僕に手を差し出す。

「惚けてる場合か。走れ」

追い掛けて来たぞ、と呟いて、ナナシは僕の手を引いて走った。ああ、この背中だ。

いつも厄介なことをやらかしては、ヘラヘラ笑いながら僕の手を引いて逃げた背中。

どんなに怖くても、この背中を追い掛けていれば安心だった。

現に一人で走っていた時の耐え難い恐怖は、安心感に変わっていた。

走って走って、霊園を抜けた。霊園を抜けるともう提灯は追い掛けては来なかった。

僕一人だったなら確実に捕まっていただろう。

ナナシに物凄く感謝した。ありがとうと何度も呟いて、泣いた。

「もう怖くないよ。怖いものは、もう居ない。怯えなくていい」

ナナシは言った。僕は、余計に泣いた。

僕は知っている。本当にそう言って欲しいのは、いや、本当にそう言って欲しかったのは、あの頃のナナシだったこと。

ヘラヘラ笑いながら怯えていた、幼かったナナシだったこと。

なのにあの時、僕はそれに気付かずにナナシを頼ってばかりでいた。あの時、気付けていれば、ナナシはあんなことをしなくて済んだのに。

僕が許せなかったのは、あの時のナナシではなく、あの時の僕だったのだ。僕は、目の前のナナシに何度も謝った。

ナナシは大人になっても、やはりヘラヘラ笑っていた。

「じゃあ、気を付けて」

ナナシは僕を駅まで見送ると、ヘラヘラ笑いながら帰った。僕も手を振り、駅からタクシーで実家に帰った。

またナナシとあの時のように友達に戻れるかもしれないと、少し期待を抱きながら。

次の日、僕は母の言い付けで祖父母の墓参りに行かされた。場所はあの霊園。

正直行きたくなかったが、仕方なく行った。

昼間で明るいと霊園は綺麗に手入れされていて、少しも不気味ではなかった。

中程まで進むと、僕は何かに躓いた。昨日の墓石だ。

「昨日も今日も、蹴飛ばしてゴメンな」

そう謝り、墓石を見た。

そして、僕は泣いた

そこには紛れもなく、ナナシの名前が刻まれていた。

一年前の昨日に、亡くなっていたのだ。

僕は泣いた。泣いて泣いて泣き喚いた。

僕の親友は、もうどこにも居ない。

あの背中は、もうどこにも無い。

結局、僕は一度もナナシを救ってやれないまま、最後までナナシに救われていた。

僕と、僕の親友の話は、これでおしまい。

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