
子供の頃は両親が共働きだったので、うちには幼い俺の世話をする『佐々間のおばちゃん』という人が居た。
おばちゃんはちょっと頭が良くなかったせいか仕事は持たず、自分ちの畑とうちのお手伝いで食っているようだった。
おばちゃんの仕事は、学校から帰って来た俺にご飯を作ることと、家の掃除洗濯、あと体が弱く入退院を繰り返していた婆ちゃんの介護だった。
昭和の終わり頃、瀬戸内の小さな町での話だ。
みかん畑と竹藪ばかりの、バスが一日に数本しか来ないような土地だった。
親父は隣町の工場勤めで、お袋は農協のパートに出ていた。
二人とも帰りは遅く、だから俺にとって家の匂いというのは、半分はおばちゃんの作る煮物の匂いだった。
おばちゃんは当時で五十くらいだったと思う。
ずんぐりした体に色の褪せた前掛けをして、いつもゆっくり喋った。
読み書きが苦手で、回覧板はいつも婆ちゃんに読んでもらっていた。
町の子供らにからかわれることもあったが、おばちゃんは怒らず、へらへらと笑っているだけだった。
身寄りはなく、町外れの古い平屋に一人で住んでいた。
一度だけお使いでその平屋を訪ねたことがあるが、家の中は物が少なく、柱時計の音だけがやけに大きかった。
上がり框に、うちの婆ちゃんが編んだ座布団が一枚だけ置いてあった。
うちとの付き合いは婆ちゃんの代からで、婆ちゃんはおばちゃんを「佐々間さん」と呼び、盆と暮れには必ず何かを持たせていた。
婆ちゃんの具合が良い日には、二人で縁側に並んで茶を飲んでいた。
何を話すでもなく、婆ちゃんが漬物を出し、おばちゃんがそれを褒める。
子供の目にも、それは長い付き合いの者同士の、静かな時間に見えた。
学校から帰ると、おばちゃんは決まって台所に居た。
「洋介君、お帰り」と言って、蒸かし芋やら、砂糖をまぶした揚げパンやらを出してくれた。
おばちゃんの作る里芋の煮っころがしは砂糖が強く、お袋のものより甘かった。
俺は正直、そっちの方が好きだった。
冷蔵庫にはいつもぽんジュースの缶が冷えていて、それはおばちゃんが自分の銭で買って来てくれるものだった。
宿題をする俺の横で、おばちゃんは繕い物をしながら、同じ昔話を何度もした。
子供の時分に狐火を見た話と、若い頃に一度だけ汽車で松山に出た話。
その二つだけを、まるで初めて話すように何度もした。
「洋介君はええ子やねえ」
というのが、おばちゃんの口癖だった。
雨の日には、頼んでもいないのに傘を持って校門の前に立っていた。
友達の手前それが少し恥ずかしくて、俺は素っ気なく傘だけ受け取って先に歩いた。
おばちゃんは気にする風もなく、少し後ろをゆっくり付いて来た。
俺の通学路には竹藪があって、おばちゃんの畑はそのすぐ脇にあった。
畑に居る日は、俺が通ると腰を伸ばして、大きく手を振ってくれた。
※
様子が変わり始めたのは、あの日の半月ほど前からだったと思う。
まず、畑に草が目立つようになった。
几帳面に畝を立てていたおばちゃんの畑が、だんだんと荒れていった。
それから、同じことを何度も聞くようになった。
「洋介君、今日は何曜日かね」
と、さっき答えたばかりのことをまた聞く。
俺が答えると、「そうかね、そうかね」と頷いて、また繕い物に戻る。
ある夕方には、帰り支度をした後で、俺の手を両手で包むように握って、
「洋介君は、ずっとこのままでおってくれたらええのにねえ」
と言った。
おばちゃんの手は畑仕事で硬かったが、その日はやけに冷たかった。
一度だけ、竹藪の前で立ち止まっているおばちゃんを見たことがある。
買い物籠を提げたまま、藪の奥をじっと見ていた。
声を掛けると、おばちゃんはいつもの顔に戻って、「ええ竹やねえ」と笑った。
子供の俺は、何とも思わなかった。
ただ、竹を「ええ竹」と言う大人を初めて見たので、それだけ妙に覚えている。
一度、お袋に「おばちゃん、近頃なんか変や」と言ったこともある。
お袋は夕飯の支度の手を止めず、「歳やけんね」と言っただけだった。
※
ある日、俺が学校から帰って来ると、珍しくおばちゃんは居なかった。
代わりにいつも寝たきりの婆ちゃんが起きていて、居間でお茶を飲んでいた。
婆ちゃんが自分で起きて居間に座っていること自体が、うちでは珍しいことだった。
おばちゃんが家に居るのが普通だったので、お婆ちゃんに
「今日はおばちゃんは?」
と聞くと、
「今日はまだ来ていないよ」
と言い、俺を二階に閉じ込めるように押し込んだ。
「今日は誰が来ても降りて来ちゃいけないよ」
と言って、お菓子とぽんジュースを渡された。
「誰が来てもって、誰が来ても?」
と聞くと、お婆ちゃんは少し困ったような顔で「そうだよ」と言い、
「シーッね」
と口に指を当てながら襖を閉めた。
階段を降りていく婆ちゃんの足音が、いつもよりゆっくりだった。
二階の窓からは、暮れていく竹藪の先が見えた。
俺は渡された菓子を開けもせず、しばらくただ持っていた。
※
俺は大人しく炬燵に入りテレビを見ていたのだが、18時近くの薄暗くなった頃におばちゃんの声が聞こえた。
二階と言っても狭い家。玄関に誰が来たかくらいは聞き耳を立てなくても分かる。
「洋介君はまだ帰って来ておらんかねえ」
とおばちゃんが言うので出て行こうかとも思ったが、婆ちゃんの『誰が来ても降りてくるな』という言葉を思い出し、そのまま炬燵でごろ寝を続けた。
おばちゃんの声は、いつも通りだった。
怒っているのでも、泣いているのでもない、いつものゆっくりした声だった。
それがいつも通りであればあるほど、なぜか降りてはいけない気がした。
おばちゃんと婆ちゃんの遣り取りに暫く聞き耳を立てながら、テレビを見続けた。
※
また暫くして佐々間のおばちゃんがやって来た。
「洋介君はまだ帰って来とらんかねえ。三浜屋(俺がよく行っていた駄菓子屋)にも居らんようやが」
すると婆ちゃんが、
「今日はまだやがねえ。友達の所に遊びに行く言うてたから、遅くなるんやないかねえ」
と嘘を吐いた。
婆ちゃんが嘘を言うのを、俺はその時初めて聞いた。
幼心に、俺は匿われてるのだとぼんやり悟り、息を潜めて炬燵に潜り込んだのを覚えている。
三浜屋まで見に行ったのか、と思った。
三浜屋は、おばちゃんの家とは反対の方向にある。
※
日も落ちすっかり暗くなった頃、おばちゃんはまたやって来た。
「洋介君、帰って来たね?」
今度は、聞き方が変わっていた。
帰って来たかね、ではなく、帰って来たね、だった。
婆ちゃんは少しきつい口調で、
「まだよ。まだ帰らんよ。今日はもうご飯いいからお帰りなさい」
と追い返した。
玄関の戸が閉まる音がして、それきり静かになった。
ただ、婆ちゃんが玄関の内側に立ったままでいる気配が、しばらく続いた。
俺はテレビの音を小さくして、画面だけを見ていた。
階下で柱時計が鳴るたび、家の中の静けさが増していくようだった。
※
20時くらいになった頃に父母が帰って来た。
婆ちゃんがのそのそと階段を上がって来て、俺に
「もう降りていいよ」
と言ってきたので、俺はいつもより大分遅めの夕飯を食べた。
台所に立ったのはお袋で、味噌汁の味がいつもと少し違った。
婆ちゃんは箸をほとんど付けず、居間の隅で、外の音を聞いているように座っていた。
親父とお袋が何か小声で話していたが、俺には聞かせてもらえなかった。
※
その晩、近所の竹やぶで佐々間のおばちゃんが亡くなっているのが見つかった。
遺書には、
『希望が無いのでもう逝きます。一人で逝くのは寂しい』
ということが書いてあったらしい。
見つかったのは、あの「ええ竹やねえ」の竹藪だったと、後になって知った。
※
葬式は、うちと近所の数軒だけの小さなものだった。
祭壇の写真は若い頃のもので、俺の知っているおばちゃんとは別人のようだった。
お袋は人前で泣かない人だったが、その日は台所に立ったきり、長いこと出て来なかった。
俺はしばらく、竹藪の脇の通学路を通れなくなった。
遠回りして帰っても、婆ちゃんは何も聞かず、「そうかね」とだけ言った。
おばちゃんの畑は、次の夏には藪に呑まれた。
冷蔵庫のぽんジュースは、いつの間にか補充されなくなった。
誰も、そのことを口にしなかった。
町の大人たちが道端で低い声で何かを話しているのを、その頃よく見かけた。
俺の顔を見ると、みんな決まって話をやめた。
三浜屋の婆さんが、店先で俺の頭をいつまでも撫でたことがあった。
何も言われなかったが、あれはたぶん、あの日のことだったのだと思う。
子供というのは、そういう時の大人の顔を、案外よく覚えているものだ。
※
中学に上がった頃、一度だけ婆ちゃんに聞いたことがある。
あの日、なんで俺を二階に隠したのか。
婆ちゃんは茶を啜って、しばらく黙っていた。
それから、独り言のように言った。
「あの日の佐々間さんはな、目ェが、もうこっちの人の目やなかったんよ」
それ以上は、何も教えてくれなかった。
ただ、「洋介はあの人に可愛がられとったけんね」と言って、また茶を啜った。
寝たきりのはずの婆ちゃんが、なぜあの日に限って自分で起きて、客を待つように居間に座っていたのか。
あの朝、玄関先で何を見て、何を察したのか。
聞けないまま、婆ちゃんも随分前におらんようになった。
あの日の婆ちゃんの歳に、俺もだんだん近づきつつある。
それでも、あの朝の婆ちゃんに見えていたものが何だったのか、俺には未だに分からない。
※
今でも、帰省して竹藪の脇を通ると、腰を伸ばして手を振るおばちゃんの姿を思い出す。
スーパーでぽんジュースの缶を見かけると、あの日、二階で飲まずに握っていた缶の冷たさを思い出す。
遺書の最後の一文を、大人になってから何度も考えた。
あの日おばちゃんは、日が暮れるまでに三度うちに来て、俺のことだけを聞いた。
三浜屋を覗き、友達の家の方まで探しに歩いていたらしいことも、後から聞いた。
身寄りのないおばちゃんは、何を考えて俺を探していたのか。
そう推測するとほんのり怖くてちょっと悲しい。