あれは、私がまだ学生だった頃、北陸のある街での出来事だ。
季節は冬で、その晩は朝から、鉛色の空がずっと雪を降らせていた。
私は同じ高校だった友人と二人、用事のついでに、繁華街をぶらついていた。
アーケードの軒先で雪をよけながら、温かい飲み物でも、と店を探していた。
その途中で、ばったりと、別の旧友に出くわした。
高校を出て以来、一度も会っていなかった、同じクラスの男だった。
思えば、その日は朝から、どこか妙な一日だった。
出かける前、家の電話が一度鳴って、出ると誰も応えず、すぐに切れた。
気のせいだと思って、私は雪の中、街へ出た。
今になって思えば、あれが始まりだったのかもしれない。
※
「おう、久しぶりじゃないか」と、どちらからともなく声が出た。
私たちは高校時代、写真部で一緒だった六人組だった。
写真部といっても、真面目に活動していたわけではない。
放課後の暗室にこもって、現像液の匂いの中で、くだらない話をするのが好きなだけの集まりだった。
赤い安全灯の下で、印画紙に像が浮かび上がる瞬間を、皆で息を詰めて見守った。
Kは、その中でもいちばん腕が良くて、人の表情を撮るのが上手かった。
誰も気づかないような、ふとした横顔を、Kはそっとシャッターに収めた。
卒業のとき、Kは一人ひとりに、その人が写った写真を一枚ずつ手渡してくれた。
私の手元にも、あのとき貰った一枚が、今も残っている。
※
卒業してからは、誰もが散り散りになり、連絡も自然と途絶えていた。
そんな相手と、雪の繁華街で偶然会うとは、思ってもみなかった。
懐かしさのあまり、私たちは近くの喫茶店に入り、しばらく話し込んだ。
街で出くわした旧友は、Sといった。
卒業後は遠くの町で働いていて、その日はたまたま、所用で帰省していたのだという。
「こんな雪の日に、お前らに会うとはな」と、Sは目を丸くしていた。
偶然にしては出来すぎだと、その時から、私はどこか落ち着かなかった。
湯気の立つコーヒーを前に、昔話はいつまでも尽きなかった。
窓の外では、相変わらず、雪が静かに降り続けていた。
※
話の流れで、その旧友の下宿が近くにあると分かった。
せっかくだから、と、私たちは三人で、彼の部屋へ向かうことになった。
古いアパートの一室は、写真の現像液の匂いが、かすかに残っていた。
壁には、高校の頃に撮った白黒写真が、何枚も画鋲で留めてあった。
六人で写った、文化祭の集合写真もあった。
それを見ながら、私たちは、また昔の話に花を咲かせた。
※
日が暮れて、外はますます雪が深くなっていった。
そろそろ帰ろうかと思っていた頃、不意に、部屋の戸が叩かれた。
入ってきたのは、写真部の、もう一人の仲間だった。
彼はこの下宿に、ちょくちょく顔を出していたらしい。
「なんだ、勢ぞろいじゃないか」と、彼は雪を払いながら笑った。
これで、六人のうち四人が、この狭い部屋に集まったことになる。
後から戸を叩いて入ってきたのは、Mだった。
Mは昔から、誰よりも勘の鋭い男で、その晩もどこか様子がおかしかった。
「なんとなく、ここに来なきゃいけない気がしてな」と、Mは妙なことを言った。
用があったわけでもないのに、足が勝手に向いたのだと。
私たちは笑ったが、内心では、誰もが少しずつ、落ち着かなくなっていた。
※
誰からともなく、不思議だな、という言葉が漏れた。
卒業以来、誰とも連絡を取っていなかったのに。
それが、たった一日のうちに、次々と顔を合わせている。
「あとは、KとTが来れば、あの六人が揃うのにな」
誰かが冗談めかして、そう言った。
その時はまだ、ただの偶然だと、皆が笑っていた。
※
けれど、私の胸の奥には、小さな違和感が居座っていた。
これだけの偶然が、こんなにも都合よく重なるものだろうか。
窓の外の雪は、いつのまにか、音を吸い込むように降り積もっていた。
部屋の中の四人の声だけが、やけにはっきりと響いていた。
話題はやがて、自然と、その場にいない二人のことに移っていった。
「そういえば、Kの奴、最近どうしてるんだ」と、誰かが言った。
それきり、Kの話になると、皆の口が、なぜか重くなった。
※
誰かが、Kの実家に電話をかけてみようか、と言い出した。
古い黒電話の受話器を取り、番号を回したが、その夜は一度も、相手が出なかった。
呼び出し音だけが、虚しく鳴り続けていたのを、今でも覚えている。
時計の針は、もう深夜を回ろうとしていた。
それでも、誰も帰ろうとは言い出さなかった。
雪のせいか、外へ一人で出ていくのが、なぜか躊躇われたのだ。
※
話が途切れ、ふと静かになった、そのときだった。
アパートの外の通りで、車が一台、急に停まる音がした。
続いて、慌ただしい足音が、階段を駆け上がってくる。
戸が、乱暴に開けられた。
立っていたのは、写真部のもう一人、Tだった。
彼の顔は、雪のせいではなく、紙のように白かった。
※
Tもまた、卒業以来、私たちとは会っていなかったはずだ。
それなのに、彼は私たちの顔を見ても、再会を喜ぶどころではなかった。
肩で息をしながら、震える声で、彼はこう言った。
「Kが……Kが、昨日、自分で死んだそうだ」
Kの家から、たった今、連絡があったのだという。
部屋の空気が、すうっと、冷たくなった。
※
Kは、私たち六人の中でも、いちばん穏やかな男だった。
誰の話にも静かに頷いて、いつも一歩引いて笑っているような奴だった。
その彼が、自ら命を絶ったという。
昨日のことだと、Tは繰り返した。
つまり、私たちがこうして次々に集まり始めた、まさにその頃に。
誰も、しばらく、口をきけなかった。
落ち着いてから、私たちは、その日の足取りを、一つひとつ確かめ合った。
誰が、いつ、どんなきっかけで、ここへ来ることになったのか。
するとどの道筋も、ほんの少しの偶然が、いくつも重ならなければ、起こり得ないものだった。
電車が一本遅れていたら。あの角を曲がっていなかったら。
そのどれか一つでも欠けていれば、私たちは、こうして集まってはいなかった。
まるで、見えない誰かが、一人ずつ丁寧に、糸を手繰り寄せたかのようだった。
Mが言った、来なきゃいけない気がした、という言葉が、急に重く響いた。
※
あらためて、その日のことを思い返してみる。
卒業以来、一度も会わなかった六人。
それが、この一日のうちに、五人までが、次々と引き合わされた。
示し合わせたわけでも、誰かが呼んだわけでもないのに。
まるで、見えない手に、たぐり寄せられるように。
※
残る一人、Kだけが、この場にいなかった。
いや、本当に、いなかったのだろうか。
私には、どうしても、そうは思えなかった。
あの穏やかなKが、最後にもう一度、皆に会いたかったのではないか。
だから、自分以外の五人を、こうして一つ所に集めたのではないか。
※
亡くなった友が、メンバーを集めてくれたとしか、私には思えなかった。
声には出さなかったが、その場の全員が、同じことを感じていたと思う。
誰かが、壁の集合写真に、そっと目をやった。
六人で笑っている、あの一枚に。
Kの隣には、ちょうど一人分の、隙間があるように見えた。
※
その夜、私たちは結局、朝まで、その部屋を動かなかった。
誰も、降りしきる雪の中へ、一人で出ていく気にはなれなかったのだ。
明け方になって、ようやく雪はやみ、窓の外がうっすらと白んできた。
私たちは、何も言わず、Tの車で、Kの実家へ向かうことにした。
車内では、誰も一言も、口をきかなかった。
ワイパーが、フロントガラスの薄い雪を、ただ規則正しく払っていた。
※
Kの家の前には、すでに、何台かの車が停まっていた。
玄関には、白と黒の幕が、張られようとしているところだった。
Kの母親が、私たちの顔を見て、ああ、と小さく声を漏らした。
「あの子、最後に、あなたたちのことを、よく話していたのよ」
枕元には、卒業のときに撮った、あの六人の集合写真が置かれていたという。
私は、言葉を失って、ただその場に、立ち尽くすしかなかった。
※
葬儀のあと、私は自分の部屋で、机の引き出しを開けた。
卒業のときにKがくれた、一枚の写真を、久しぶりに取り出した。
それは、私自身が写った写真だった。
暗室の赤い灯りの下で、何かを覗き込んでいる、若い私の横顔。
自分では気づかなかった表情を、Kはちゃんと見ていてくれたのだ。
その写真の裏に、Kの小さな字で、ありがとう、と書いてあるのに、私は初めて気づいた。
あの穏やかな男は、最後まで、仲間のことを見ていたのだと思う。
Kの母親は、私たちに、温かいお茶を出してくれた。
「あの子、友達に恵まれて、幸せだったと思うのよ」と、母親は静かに言った。
誰も、何も言えなかった。
昨夜、あの下宿で感じた偶然の連なりを、誰も口にできなかった。
ただ、Kが最後に、私たちを呼んだのだと、心のどこかで、皆が信じていた。
茶碗から立ちのぼる湯気を、私はぼんやりと見つめていた。
不思議と、恐ろしいとは思わなかった。
背筋に冷たいものは走ったが、それ以上に、胸の奥が、じんと温かくなった。
死んだ者が、生きている仲間を呼び寄せるなどということが、本当にあるのだろうか。
理屈では、説明がつかない。
それでも、あの夜の出来事だけは、私の中で、確かな手触りを持って残っている。
きっと、Kも、あの晩、すぐ近くにいたのだと思う。
私たちの輪の、ほんの少し外側で、静かに笑っていたのだと。
最後にもう一度だけ、仲間の声を、聞きたくて。
あの偶然の連なりは、彼からの、声にならない呼び声だったのだ。
私たちは、その後も、年に一度は集まるようになった。
Kの命日には、必ず誰かが、あの集合写真を持ってくる。
一人分空いた、Kの隣の席には、いつも一杯のお茶を置く。
集まるたびに、あの雪の夜のことを、誰かがぽつりと話し出す。
そして決まって、最後はこう言うのだ。
——あれは、Kが呼んでくれたんだよな、と。
あれから長い歳月が過ぎ、私たちもそれぞれ、別の人生を歩いている。
それでも今でも、雪の降る夜になると、私はあの狭い部屋を、ふと思い出す。