有刺鉄線の向こう側
小学生の時の記憶。
私の育った町には昔、林があった。
ただその林は少し変わっていて、林の中に入って途中まで行くと、ある部分を境に突然竹林に変わっている部分があった。
その竹林の前には有刺鉄線で柵が作られており、中に入る事が出来ないようになっていた。
林の大きさはそれほど大きいものではなかったが、反対側は丁度川のカーブに沿うようになっていて、対岸の川岸から見ると竹林の「背」の部分を見る事が出来た。
川と竹林の間は人口的なコンクリートの壁で固められていてかなり高さがあるため、人が竹林に入るためには、やはり林に入り有刺鉄線を越えるしかなかった。
私は当時小学生で、友達同士で秘密基地を作ったり、川に沿って探検に出掛けたりして遊んでいるような子だった。
※
ある時、あの竹林の中には何があるのかが話題に上がった。
所詮小学生の男子が考える事と言えば『一億円が埋まってる』という程度だった。
それでも私達はワクワクしながら、想像を膨らませていた。
今までにも竹林の話をした事はあったが『有刺鉄線の向こう側は危ないから入ってはいけない』という暗黙のルールがあった。
と言うか、何となくそうやって教えられてきたから守っていただけなのだが、小学生も高学年になると好奇心の方が強くなってくる。
私達は遂に、あの竹林の中を確かめる事にした。
※
次の日曜日。同じクラスの遊び仲間が集まった。
5人の小学生は、初めて味わう緊張感で落ち着きがなかった。
林の入り口に立った私達は、誰が一番先頭を歩くかで揉めた。
結局ジャンケンで負けた私が先頭を歩く事になった。
林の中は何度も入った事があるので余裕だった。
枯葉や小枝の混じる土を踏み締める皆の足音が付いて来る。
「うわーっ!」
一番後ろにいた意気地なしのT君が突然叫んだ!
「何!?」
「ど、どうした!?」
皆もビクッとする。
どうやら虫が首に纏わり付いただけらしい。
「ビビらせんなよー!」
T君はブーイングの嵐を浴びる。
そうこうしているうちに、有刺鉄線が近付いて来た。
竹林の方はやけに暗い。
真昼だというのに、高くまで伸び切った竹が、完全に太陽を遮っていた。
風に揺られて笹の擦れる音が耳に飛び込んで来た。
「ザワザワザワ」
「ザワザワ…」
「何か、怖ぇーな…」
私の後ろにいたM君が言った。
「おいおいよせよー!」
「ビビッてんのかー?」
皆強がっているだけなのは解っていたが、ここまで来たのだし行ってみようという事で、柵の壊れかけた部分を見つけ有刺鉄線を足で広げた。
まず私が有刺鉄線をくぐった。
皆恐る恐るくぐって来た。
『こっち側』に来ると更に暗く感じた。気のせいかもしれないが、少し寒く感じた。
「ザワザワ」
「ザワザワ…」
『何かあったらダッシュで逃げる』というルールを決め、私達は奥へ進んでみる事にした。
※
まさかこんなに不気味だとは思わなかった。
目の前に広がるのは、竹林の青緑一色。
太いものや細いもの。とても背の高いものや、途中で折れているもの。時々、足元の土から筍が顔を覗かせている。
「何か時間が止まってるみたいだね…」
T君が言った。
確かに、変な表現かもしれないが、ザワザワと止めどなく聞こえてくる笹の音は静かだ。
暫く進むと、竹の隙間から明るい光が漏れている部分を発見した。
「あそこ!何かありそうだぜ!」
A君が指を指す。
皆でその光の方へ向かった。
そこは青緑の竹の隙間から黄色い光が漏れていて、とても不思議な光景に見えた。
何故黄色い光が漏れていたかはすぐに判った。
竹の隙間を抜けると、半径5メートル程の広さの空間があり、よく見るとその部分だけ竹が全部枯れて黄色くなっていた。
この枯れた笹に太陽の光が反射して黄色く見えていたのだ。
その『広場』には、巨大なアリ地獄のようなすり鉢状の穴が二つと、随分古い廃車が一台置いてあった。
「何だこれ?」
皆はその光景を少しじっと見つめていた。
するとM君が、
「おい、この穴面白くね?」
と言って、すり鉢状の穴に駆け足で近付いて行った。
皆が後に付いて行って中を覗きこむと、そこには何も無く、ちょうど私達小学生の身長と同じくらいの深さの穴があるだけだった。
「何だ、何もねーじゃん!」
そう言うとM君は、穴の斜面をぐるぐると回りながら穴の底まで走って行った。
皆がそれぞれ騒ぎ出し、廃車を蹴飛ばしたり穴の中でふざけ合ったりしていると、それは突然起こった。
「何やってんだ!コラァッ!」
突然大人に怒鳴られた小学生達は、一目散にダッシュで逃げ出した。
私は逃げ出す直前、はっきりと見てしまった。
『広場』の反対側に腕を組み立っていたその男は、物凄い形相で睨みを利かせ、まるで頑固親父が近所の悪ガキを追い払うような態度だった。
何故か怒鳴った男の顔はぼやけてよく見えなかったが、古びた茶色い着物を着ている事ははっきりと目に焼き付いた。
皆死に物狂いで逃げた。途中で泣き出すT君につられて、涙が出てきた。
とにかくあの場所を離れたかった。
何とか林の入り口まで辿り付いた時には皆汗だくで、息を切らせ、今にも呼吸困難になるんじゃないかという状態だった。
※
そんな中、私は震えが止まらなかった。
あの一瞬の出来事の間に、恐ろしい事を幾つも記憶していたからだ。
男に怒鳴られる直前、廃車のトランクの隙間から微かに見えたのは、トランクの中一面にびっしりと御札が張り付いていた事。
男を見た時、背後に薄っすらと廃屋のようなものがあった事。しかし完全に倒壊していて人が住める状態ではなかった事。
そして、ぼやけて見えなかったはずの男の顔を、何故かはっきりと覚えている事。
男の目は一つしか無かった。顔の中央に一つ。
その時の事を何故先生や親に言わなかったのか、今でも後悔している。