平成のはじめ、私は大阪の小さなソフトハウスにいた。
日本橋の雑居ビルの四階で、社員は九人だった。
私は二十二で、テストプレイの担当だった。
一日中、同じ場所を歩き回って、壁の抜けや当たり判定の穴を探す。
地味だが、誰かがやらないと製品にならない仕事だ。
開発室には、ブラウン管のモニタが六台あった。
夏は冷房が効かず、扇風機を机の上に置いて回していた。
誰かが必ず泊まっていたので、部屋の電気が消える日はほとんどなかった。
夜中の二時を過ぎると、下の階の中華屋の換気扇が止まる。
その音がやむと、ビル全体が急に静かになった。
私はその静けさが、けっこう好きだった。
テストというのは、同じところを何百回も歩く作業だ。
壁に体を擦りつけながら、一歩ずつ横に動く。
抜けがあれば、そこで主人公が壁の向こうへ落ちる。
落ちた先には何もない。
ただ、床のない場所を歩き続けることになる。
そういう場所を、私たちは「外」と呼んでいた。
外に落ちたら、電源を切るしかない。
歩いても歩いても、何も起きないからだ。
その年、うちは和風の屋敷を舞台にした探索ものを作っていた。
古い家に入り込んで、部屋をひとつずつ開けていくだけのゲームだ。
いま思えば、あれは作ってはいけないものだったのだと思う。
もっとも、当時そんなことを考える余裕はなかった。
納期は決まっていて、人手は足りていなかった。
怖い話は、笑い話としてしか出てこない職場だった。
取材で撮った写真をモニタに映して、皆で怖がってみせる。
そういう遊びを、私たちは平気でやっていた。
甲斐さんだけが、その輪に入らなかった。
※
ディレクターは甲斐さんという人だった。
三十半ばで、いつも同じ紺のジャンパーを着ていた。
甲斐さんには、はっきりした信条があった。
祓わない、ということだ。
うちの若い連中が、取材のあとで神社に行こうと言い出したことがある。
甲斐さんは、それを一言で止めた。
「祓うたら、こっちが見えんようになる」
「見えんもんは、作れん」
私はそのとき、格好つけているだけだと思っていた。
実際、甲斐さんはそういう物言いをする人だった。
だが、あとで分かったのだが、あの人の言い方には、もとがあった。
甲斐さんの父親は、寺社の修繕をやる大工の下請けだったのだ。
本人がそれを話したのは、一度きりだ。
年末の打ち上げで、私が酔って訊いたときだった。
甲斐さんは、面倒くさそうに、こう言った。
「あの人らは、古い家に入る前に手を合わせるけど、祓いはせんのや」
「祓うたら、傷んどるとこが分からんようになるからやと」
私は、それはただの職人の験担ぎだと思った。
※
その父親から受け継いだ決まりを、甲斐さんは一つだけ守っていた。
「測った数字は、その日のうちに紙に写せ」
「翌日に写したもんは、測った数字やない」
現場で測った寸法は、その日のうちに図面に起こす。
夜が明けたら、もう一度測り直す。
そういう決まりだったらしい。
甲斐さんはそれを、ゲームの取材にもそのまま持ち込んだ。
取材から帰った日は、何時になっても、その晩のうちに図面を引いた。
うちの会社の壁には、そうやって起こされた間取り図が何枚も貼ってあった。
※
その年の五月、私たちは屋敷を一軒、実測させてもらった。
取り壊しが決まっている古い家だった。
場所は、いまも書かないでおく。
甲斐さんと、背景担当の女性と、私の三人で行った。
背景の人は、三上さんといった。
私より二つ上で、絵を描くのがとにかく速い人だった。
現場ではいつも、寸法よりも先に、板目や柱の傷を写生していた。
「数字は甲斐さんが取るから、私は顔を描く」
家の顔、という言い方をする人だった。
朝から雨だった。
門を入ると、庭の飛石が全部、苔で緑になっていた。
家の中は、思っていたより明るかった。
部屋は八つあった。
畳はどれも上げられていて、床板がむき出しになっていた。
仏間だけ、なぜか畳が残っていた。
四枚。
それも、新しかった。
三上さんは、その部屋には入らなかった。
敷居の外に立って、中を描いていた。
あとで見せてもらうと、畳の目まで正確に写してあった。
入っていない部屋の絵とは思えなかった。
入らなかった理由を、あとになっても言わなかった。
雨戸が外されていて、廊下に外の光が入っていたからだ。
廊下は長かった。
玄関から突き当たりまで、まっすぐに伸びていた。
甲斐さんが、その廊下を測ることにした。
雨のせいで、家の中は木と土の匂いがした。
古い家の匂いというのは、埃ではなく、湿った木の匂いだ。
三上さんは玄関で靴下を脱いで、素足で上がった。
「板の傷は、足の裏のほうが分かる」
そう言っていた。
私は靴下のまま上がった。
いま思えば、脱いでおけばよかった。
※
巻尺は、鋼のやつだった。
甲斐さんが端を持ち、私が引いて歩いた。
十間ほど引いたところで、巻尺が止まった。
引っかかったのだと思って、私は戻った。
床には何もなかった。
もう一度引くと、また同じところで止まった。
「そこ、床下に何かあるんちゃうか」
背景の人がそう言った。
甲斐さんは何も言わずに、自分で引き直した。
やはり、同じところで止まった。
その位置に、私は指で印をつけた。
床板の目が、そこで一度だけ、向きを変えていた。
継ぎ目があるのだと思った。
しゃがんで指でなぞったが、板は一枚のまま続いていた。
目だけが、そこで変わっていた。
畳の縁から数えて、突き当たりまで、あと二尺のところだった。
※
結局、その日は寸法が取れなかった。
甲斐さんは巻尺をあきらめて、歩幅で測った。
歩数を数えて、あとで換算するやり方だ。
帰りの電車で、甲斐さんはずっと手帳を見ていた。
三上さんは、窓に頭をつけて眠っていた。
膝の上のスケッチブックが開いたままだった。
廊下の絵が描いてあった。
突き当たりの手前に、鉛筆で小さく丸が打ってあった。
私が印をつけた、あの場所だ。
三上さんは、その丸を打つところを、私に見られていない。
私が覗くと、数字が並んでいた。
「今日、家で起こすわ」
そう言った。
だが、その晩、甲斐さんは図面を引かなかった。
母親が倒れたと連絡が入って、そのまま病院へ行ったからだ。
図面が壁に貼られたのは、翌朝だった。
※
異変は、そこから始まった。
最初に気づいたのは、背景の人だった。
壁の間取り図の、廊下の寸法が変わっている、と言い出したのだ。
私は笑った。
三上さんは、笑わなかった。
その人は、前の晩に自分のノートへ間取りを写していた。
絵描きの癖で、寸法まで書き入れる人だったのだ。
紙に書いた数字が変わるはずがない。
だが、彼女は前の日にその図を模写していた。
自分の写しと突き合わせると、たしかに、廊下の長さだけが違っていた。
二尺、長くなっていた。
甲斐さんは、その紙を長いこと見ていた。
そして、「俺が朝に写したからや」と言った。
意味が分からなかった。
※
一週間後、また伸びた。
さらにその一週間後にも伸びた。
紙の余白が足りなくなって、廊下の線が図の枠をはみ出した。
甲斐さんは、貼り替えなかった。
そのかわり、伸びた分の日付を、余白に書き込んでいった。
五月、六月、七月。
数字の列は、月に二回ずつ増えた。
間隔は、ぴったり十四日だった。
甲斐さんは一度だけ、その列を指でなぞって言った。
「これ、こっちが数えとるんちゃうな」
私は、その言い方の主語がどちらなのか、訊けなかった。
訊けば、答えが返ってくると思ったからだ。
はみ出したまま、壁に貼っておいた。
「消したら、どこまで来とるか分からんようになる」
そう言った。
私たちは、その頃にはもう、笑わなくなっていた。
その時期、開発室で妙な音を聞くようになった。
金属が、しゅる、と滑って、こと、と止まる音だ。
巻尺を巻き取るときの音に、よく似ていた。
最初は誰かの作業音だと思っていた。
だが、聞こえるのはいつも、部屋に一人しかいない時間だった。
私は一度、机の下まで確かめた。
巻尺は甲斐さんの引き出しの中にあり、鍵がかかっていた。
※
夏に、声の収録をした。
近所の小さなスタジオを借りて、役者さんに来てもらった。
三十分ほどしたところで、その人がブースの中で手を上げた。
「すみません。外の音、入ってません?」
音声の人が首を振った。
防音室だ。何も入らない。
役者さんは、しばらく黙ってから、こう言った。
「さっきから、廊下を測ってる音がするんです」
その場にいた全員が、動かなかった。
甲斐さんだけが、ガラス越しに、うなずいた。
そして、マイクのスイッチを押して言った。
「続けてください」
収録は、そのあと二時間続いた。
役者さんは、最後まで一度もその話に触れなかった。
帰りぎわ、廊下でその人が私に言った。
「あれ、片道じゃなかったですよ」
どういう意味ですか、と訊いた。
「行って、戻って、また行くんです。ずっと同じ長さで」
その人とは、それ以来、仕事をしていない。
※
秋の最終チェックのとき、私は妙なことに気づいた。
ゲームの中の屋敷の廊下が、仕様書より長いのだ。
背景データは一画面ぶんで組んである。
それが、二画面近くあった。
誰も足していない。
作業記録にも残っていない。
私は歩数を数えながら、その廊下を何度も歩いた。
歩くたび、突き当たりまでの歩数が違った。
多いときもあれば、少ないときもある。
だが、多いほうにも、少ないほうにも、限りがあった。
私は歩数を紙に書き出して、いちばん多い日と少ない日を比べた。
差は、いつも同じだった。
データを直さずに何度読み込んでも、同じだった。
いつも、同じ幅だけ揺れた。
換算すると、二尺だった。
私はその結果を、報告書に書かなかった。
書けば、直せと言われる。
直せるとは、どうしても思えなかった。
※
私は甲斐さんに、あの巻尺のことを訊いた。
いまも持っているんですか、と。
甲斐さんは、机の引き出しから出してきた。
そして、目の前で伸ばして、巻き戻して見せた。
巻き取りの途中で、金属の帯が、こと、と止まった。
甲斐さんが指で押しても、そこから戻らない。
目盛りを見た。
突き当たりまで、二尺のところだった。
巻尺が止まるのは、いつも、二尺手前だった。
※
その冬、私は一人で、あの屋敷の跡を見に行った。
もう取り壊されているはずだった。
行ってみると、たしかに更地になっていた。
近くの家の人に、いつ壊したのかと訊いた。
返ってきた答えを、私はしばらく飲み込めなかった。
三年前だ、というのだ。
私たちが実測に行ったのは、その年の五月だ。
三年前には、もう門も塀もなかったことになる。
私は、鞄から取材の写真を出して見せた。
その人は、写真を見て、少し困った顔をしただけだった。
更地には、雑草が膝の高さまで伸びていた。
飛石は一つも残っていなかった。
塀の跡だけが、地面にうっすら線になって残っていた。
その線を、私は歩幅で測った。
写真の家より、二尺短かった。
私はもう一度、逆から歩いた。
同じだった。
草の中で、靴の裏に何か当たった。
しゃがんで見ると、飛石の欠片だった。
苔は、まだ緑だった。
「よう似とるけど、うちの近所やないと思います」
写真には、苔の乗った飛石と、雨戸の外された廊下が写っていた。
※
会社に戻って、甲斐さんにそれを伝えた。
甲斐さんは驚かなかった。
ただ、「そうか」と言った。
そして、壁の間取り図を、初めて剥がした。
裏返して、机の上に置いた。
紙の裏に、薄く、鉛筆の線が透けていた。
表の廊下より、二尺短い線だった。
それが、前の日の晩に引かれるはずだった図だった。
「親父が言うてたんは、こういうことやったんやな」
甲斐さんは、そう言った。
私は、その意味を、いまでも半分しか理解していない。
三上さんは、その年度の終わりに会社を辞めた。
送別会の帰り道、駅の階段の下で、彼女は一度だけ振り返って言った。
「あの仏間の畳、四枚やったやろ」
はい、と私は答えた。
「四枚で敷けるんは、四畳半から半畳抜いた形だけやねん」
「抜いた半畳は、どこ行ったんやろな」
それだけ言って、彼女は改札を入っていった。
三上さんとは、それきり会っていない。
年賀状も来なくなった。
共通の知人から、いまは絵の仕事をしていないと聞いた。
※
ゲームは翌年の春に出た。
売れ行きは、悪くも良くもなかった。
甲斐さんはその後、業界を離れた。
いまは実家のほうで、大工の道具を扱う店をやっていると聞いた。
一度だけ、年賀状に短い添え書きがあった。
「あれから、測るときは一人で行くようにしてます」
それきり、やりとりは絶えた。
会社は、その二年後にたたまれた。
機材はほとんど処分された。
あの間取り図がどうなったのかは、誰も知らない。
剥がしたあとの壁に、四隅のセロテープの跡だけが残っていたのを覚えている。
その跡が、紙の大きさより、少しだけ横に長かった。
私はそれを、剥がすときに紙が引っ張られたのだと思うことにした。
そう思うことにした、という言い方しかできない。
※
ときどき、手紙が来る。
出た当時に遊んだという人からだ。
会社はとうになくなっているので、私の名前を頼りに、まわりまわって届く。
内容は、判で押したように同じだ。
あの屋敷の廊下が、長すぎる、と書いてある。
去年届いた手紙には、こう書いてあった。
当時、小学生だった。
友達と交代で遊んでいて、廊下の場面だけは代わってもらっていた。
いまは自分に子どもがいて、その子が同じところで手を止める、と。
最後の行だけ、筆圧が強かった。
「まだ、続いているのでしょうか」
差出人の住所は、私の家から二駅のところだった。
訪ねてはいない。
何度歩いても、突き当たりに着く手前で、一度足が止まる、と。
私は返事を書かない。
書きようがないからだ。
※
いま、私は五十を過ぎた。
自分の家の廊下は、玄関から奥まで、七間ある。
短い家だ。
それでも私は、夜に廊下を歩くとき、突き当たりの手前で必ず足が止まる。
意識して止めているのではない。
体のほうが、そこで止まる。
畳の縁から数えて、あと二尺のところだ。
その二尺を、私はまだ一度も、歩いていない。