姥捨て山の老人
これは、私の兄が小学生の頃に体験した話です。
当時は私がまだ生まれる前のことでした。
春のある日、兄と祖父が近くの山で山菜採りに行きました。
彼らが目指していたのは、棘を持つ「タラ」の芽で、これを天ぷらにするととても美味しいのです。
兄はその山でよく遊んでいたので、山菜の種類は詳しくなかったものの、山道については祖父以上に詳しかったのです。
そして、一旦タラの芽を見つけると、兄は一人で山の中へと進んで行ったのです。
兄は山菜採りに夢中になり、普段は見通しのきく道を進むことが多かったのですが、その日はその限りではありませんでした。
満足するほどの量を手に入れ、帰ろうとした時、近くに人の気配を感じたのです。
振り向くと、大きな岩の上にガリガリに痩せた白髪の老人が、汚れた着物を着て座っていました。
兄は驚きましたが、その老人の足元に山菜籠があったため、彼も同じく山菜採りをしている人だと思いました。
そこで、兄は挨拶をして家路につこうとしたのですが、その時、老人が声をかけました。
「坊主、タラの芽を探しているのか?」
老人は所々歯が欠けた口を開けてにっこりと笑いました。
兄は少し不快感を覚えながらも、
「お爺さんも山菜を採ってるの?」
と聞き返しました。
すると、老人は山菜籠に手を伸ばし、
「私もタラの芽だよ。知ってるか?タラの芽は生でも食べられるんだ」
と言って、その場で山菜を食べ始めました。
しかし、兄はその様子をただじっと見ていることしかできませんでした。
なぜなら、その老人が食べていたのは「タラの芽」ではなく、「ウルシの芽」だったからです。
この二つの芽は形は似ていますが、全く異なるもので、特にウルシの芽は皮膚をかぶれさせる効果があります。
老人がウルシの芽を何気なく食べている光景を見て、兄は恐怖で声も出せず、涙を流して立ち尽くすことしかできませんでした。
老人の全身が見る見るうちにかぶれでドロドロになり、口からは山菜を噛むたびに血が湧き出てくる光景を目の当たりにしました。
その老人の足が折れているのか、不自然な方向に曲がっているのも見て取れました。
老人は再びにっこりと笑い、
「ここら辺にはもう食べられるものはない。他の場所を探しなさい。君も村に食べ物がないから山まで来たんだろう。でも、残念だったね」
と言いました。
そして、その次の瞬間、老人は突如として消えてしまいました。
その後、兄は叫びながら山を駆け下り、家に帰ってきました。
大人たちにその話をしたところ、誰も信じてくれませんでした。
しかし、地域の地区長が昔の話を教えてくれました。
その地域の山は、昔は「姥捨て山」と呼ばれていました。
飢饉の度に口減らしをする時代に、多くの人がその山で食べ物を探して命を落としたのです。
兄が出会ったのは、その時代の人々かもしれません。
地区長は、
「この土地の過去は皆知らないから、あまり話さないで」
と兄に忠告しました。そして、
「豊かな時代に育ったことを幸せに思いなさい」
と言い、兄を家に帰らせました。
その日以降、兄はその山がどこにあるのかを私に教えてくれませんでした。
また、食べ物に対する好き嫌いを言うと、兄は非常に怒るようになりました。