半袖の写真と四日前のスーパー

ポラロイド写真

その写真の中で、半袖だったのは、彼女ひとりだけだった。

最近、バイト先の店長から聞いた話だ。

店長の兄が、十年ぐらい前に経験した話だという。

店長は、この話をするとき、必ず最初に、そう言った。

半袖の写真、と。

店長の兄は、当時、とある中小企業に勤めていた。

社員が二十人ほどの、事務用品の卸だった。

まだ二月の寒いある日、後輩の女の子が無断欠勤した。

入社二年目の、真面目な子だった。

遅刻も、一度もなかった。

朝は、誰よりも早く来て、給湯室のポットに水を入れた。

それが、彼女の日課だった。

その日、ポットは、空だった。

店長の兄は、水を入れながら、少しだけ、変だと思った。

思っただけで、九時の朝礼で、忘れた。

彼女の席が空いていることを、上司が口にしたのは、十時過ぎだった。

「来てないな」

「連絡は」

「ない」

それだけの会話だった。

その「ない」が、二日続くことになる。

休むとの連絡もない。

上司がその子の自宅に電話を掛けても出ない。

携帯に掛けても出ない。

アパートで、一人暮らしだった。

次の日も、欠勤した。

普段真面目な彼女が、二日続けて無断欠勤とはおかしい。

そういうことで、彼女の実家に電話した。

電話に出たのは、その子の母親だった。

娘からは、何の連絡もないとの事。

取り敢えず、ご両親がその子のアパートに行ってみることになった。

アパートは、実家から電車で一時間ほどだという。

後でまた、会社に連絡をくれるとの事だった。

店長の兄は、その日、彼女の机の横で仕事をしていた。

机の上は、きれいに片付いていた。

片付きすぎていた、と兄は言ったそうだ。

金曜の夕方、彼女は、いつも机の上に書類を少し残して帰る。

月曜に、すぐ続きができるように。

その書類が、なかった。

引き出しに、全部、しまってあった。

まるで、しばらく戻らない人の机だった。

兄は、椅子を引いてみた。

座面が、少し、温かい気がした。

気のせいだと思って、椅子を戻した。

窓の外は、二月の曇り空だった。

暖房は、まだ、効き始めたばかりだった。

引き出しの一枚

その日の夕方、会社に、その子の父親から電話があった。

以後、Aさんと書く。

大家さんに鍵を開けてもらい、部屋に入ったところ、娘はいなかった。

部屋は、荒らされている様子もない。

書置きもない。

ただ、布団が、敷いたままだった。

枕の位置が、少し、ずれていた。

台所には、洗った茶碗が、一つ、伏せてあった。

冷蔵庫には、翌日の弁当のおかずが、タッパーに入っていた。

出かける準備を、何もしていない部屋だった。

上着は、ハンガーにかかったままだった。

二月に、上着を置いて出る人はいない。

Aさんは、そう言った。

母親は、部屋の隅で、娘の靴下を一足、手に持っていた。

洗濯物の山から、取ったものだという。

「まだ、少し湿っていたんです」

母親は、電話口で、そう言って黙った。

干してから、一日も経っていない湿り方だった。

ご両親も、かなり困惑している様子だった。

警察に届けるべきかどうか、迷っているらしい。

電話の対応をした上司は、不安になった。

誘拐などの犯罪に巻き込まれたのではないか。

取り敢えず、ご両親に会社に来て頂いて、話し合って対応を決めようという事になった。

暫くして、ご両親が来社した。

社長を交えて話し合った結果、やはり警察に通報した方が良いという事になった。

警察に電話した。

警察が来るまでの間、彼女の机やロッカーを調べることになった。

何か手掛かりがないか。

まず、机を調べた。

一番上の引き出しは、文房具だけだった。

二番目は、書類だった。

三番目の、一番深い引き出しを開けた。

奥に、卓上カレンダーが、入っていた。

二月のページだけが、台から外されていた。

外されて、裏返しに、引き出しの底に挟まっていた。

引き出しの奥で、カレンダーの二月が、一枚だけ、裏返しに挟まっていた。

上司が、それを取り出して、机の上に置いた。

誰も、裏返さなかった。

その下から、一枚の写真が出てきた。

写真には、人で賑わうスーパーの前で、こちらを向いた彼女が写っていた。

半袖のTシャツと、ジーンズ姿だった。

ピースサインで、微笑んでいた。

いつ撮られた写真かも、判らない。

今回の事に、関係あるとも思えない。

Aさんは、しかし、違和感を覚えたようだった。

しきりに写真を見つめて、考え込んでいた。

「この写真、ご存知ですか」

上司が聞いた。

「いえ」

「娘さんの、お友達が撮ったとか」

「わかりません」

Aさんは、写真を裏返した。

何も、書いていなかった。

日付も、店名のスタンプも、なかった。

写真の紙は、新しかった。

角が、まだ、尖っていた。

プリントしたばかりの、硬さがあった。

Aさんは、指で、角を一度なぞった。

なぞってから、写真を、裏返しのまま机に置いた。

「写真、最近のですね」

店長の兄が、思わず言った。

Aさんは、頷いた。

「でも、半袖です」

「ええ」

それ以上、二人とも、言葉が続かなかった。

そうこうしている内に、警察がやってきた。

事情を説明し、社員への軽い事情聴取が行われた。

ご両親と社長が、署に同行して捜索願を出す事になった。

先程の写真も、警察に預けることになった。

何かの手掛かりになるかもしれない、ということで。

カレンダーの二月は、机の上に、裏返しのまま残された。

三つ先の駅の病院

小さな会社が、ちょっとした騒ぎになった。

それでも、業務はこなさなければならない。

二日経った日、Aさんから会社に電話があった。

娘らしき人物が、警察に保護されたようだ。

今から、病院に行く、と。

病院は、彼女の実家から電車で三つほど先の駅の近くだった。

社からは、上司と店長の兄が、病院に向かう事になった。

病院に到着すると、待合室に、母親がいた。

保護されたのは、娘だった。

目立った外傷もなく、やや衰弱しているだけで、意識ははっきりしているとの事。

母親は、ホッとしたのか、涙ぐんでいた。

「本当にご迷惑おかけしてすいません」

平謝りだったらしい。

「娘さん、何と」

「まだ、何も。警察の方が、今」

今ちょうど、警察が娘に事情を聞いている最中だった。

面会は、まだ出来ない。

上司と店長の兄も、無事で良かったとホッとして、社に戻った。

帰りの電車で、兄は、ふと思ったという。

三つ先の駅。

彼女のアパートからは、反対の方角だった。

会社からも、実家からも、用のない町だった。

そこで、彼女は、何をしていたのか。

兄は、車窓から、その町を見た。

駅前に、新しい看板が、いくつか立っていた。

工事の囲いが、まだ残っている区画があった。

新しい町、という印象だった。

そのときは、スーパーのことは、思い出さなかった。

その数日後、Aさんがお礼とお詫びをかねて来社した。

今までの経緯を、報告してくれた。

それによると、彼女は、保護されるまでの記憶が全くないらしい。

仕事の後、帰宅して、食事を取った。

入浴して、睡眠したところまでは、憶えている。

それから先の記憶が、全くない。

気が付いたら、見知らぬ住宅街の歩道を歩いていた。

急に恐ろしくなって、道端で座り込んで泣いた。

それを近所の人が通報して、保護された。

「靴は、履いていたんですか」

社長が聞いた。

「履いていました。普段の、通勤の靴を」

「鍵は」

「持っていませんでした。部屋の鍵は、部屋の中にありました」

鍵は、中にあった。

玄関は、施錠されていた。

大家さんが、鍵を開けて入ったのだから、間違いない。

では、彼女は、どこから出たのか。

Aさんは、その問いを、口にしなかった。

誰も、口にしなかった。

保護されたとき、彼女は、長袖の寝間着の上に、コートを着ていたという。

コートは、彼女のものではなかった。

サイズが、合っていなかった。

誰のコートかは、わかっていない。

彼女は、着た覚えがないと言った。

半袖ではなかった。

それだけが、Aさんにとっては、救いだったそうだ。

コートは、警察が預かった。

持ち主は、見つかっていない。

ポケットには、何も入っていなかった。

レシートの一枚も。

ただ、襟の裏に、小さく、油性ペンで何かが書いてあった。

数字だった。

二桁の数字が、二つ。

月と日のように、見えたという。

Aさんは、それが何の日か、確かめなかった。

確かめたくなかったのだと、店長は言った。

精密検査の結果、暴行された痕跡はなく、目立った外傷もなかった。

脳にも、異常は見られない。

取り敢えず、あと二、三日は大事を取って入院するらしい。

尻切れ馬が家まで来た夜という話を、店長は、この話の後で教えてくれた。

鍵のかかった家に、入ってくるものの話だった。

出ていくものの話は、聞いたことがない。

半袖の写真の違和感

とにかく無事で良かった。

社長含め、一同で話をしていた。

Aさんが、「でもちょっとおかしな事があるんですよ」と切り出した。

娘らしき人が保護されたと警察から連絡があった日。

Aさんは、病院に急いで車で向かった。

その途中で、思わず声を上げてしまった。

「あっ」

あの写真に写っていたスーパーが、通り沿いに見えたのだ。

立ち寄って確認したかった。

だが、娘の安否が気に掛かる。

取り敢えず、その場は病院に急いだ。

夜になって、妻を娘の病室に置いて、一人で確認しに行った。

スーパーの前の路肩に、車を停めた。

降りて、確認した。

時間も遅く、閉店していた。

夜で、景色は違う。

それでも、あの写真のスーパーに間違いなかった。

看板の形も、入口の柱の数も、同じだった。

住所を確認し、急いで病院に戻った。

警察に電話して、担当の刑事に調べて欲しいと訴えた。

刑事の返事は、冷たかった。

室内で争ったり、拉致された形跡もない。

異性との交友トラブルもない。

事件性が薄い。

あの写真も、今回の件との関連性は薄い。

難しい、との事だった。

警察の対応に、Aさんは、やや憮然とした。

それでも、あの半袖の写真には、気になるところがあった。

娘に、それとなく聞いた。

「あのスーパー、行ったことあるか」

「どのスーパー」

「写真の」

「写真って、何」

娘は、そんな写真は知らないと言った。

何の事か、分からないと言った。

そして翌日、Aさんは、そのスーパーをもう一度訪ねた。

昼間だった。

そこで見た光景に、背筋が冷えた。

写真では小さく写っていて、分からなかった。

スーパーの入り口に、のぼりが立っていた。

「二月○日から△日まで、オープン記念セール中」

○日といえば、彼女が行方不明になった日だった。

店内に入り、店員に話を聞いた。

「こちら、いつ開店されました」

「四日前です」

「四日前」

「ええ。まだ、開店セール中なんですよ」

そのスーパーは、間違いなく、四日前に開店したばかりだった。

そんな馬鹿な話が、と思った。

その時点で、Aさんが半袖の写真に覚えた違和感の正体が、判った。

あの写真の中で、彼女は半袖だった。

写っている周りの人は、皆、ジャケットなりセーターなりの、防寒服を着ていた。

二月の、人出だった。

その中で、彼女だけが、夏の格好をしていた。

そして、止めが、これだ。

あの写真は、一体誰が写して、いつ、あの子の机に入れたのか。

その場の一同、唖然を通り越して、絶句した。

兄は、会社に戻ってから、カレンダーの二月を、裏返した。

裏返しの二月には、丸がひとつ。

開店の日だった。

鉛筆で、小さく、「開店」と書いてあった。

彼女の字では、なかったそうだ。

彼女の字は、丸くて、大きい。

その字は、細く、角ばっていた。

スーパーを訪れた翌日、Aさんは警察署に立ち寄った。

事情を話すも、殆ど相手にされず、例の写真も返却してもらった。

入院中の娘に、その写真を見せた。

「知らない」

「このスーパーも」

「行ったことない」

「この服は」

「持ってない。こんなTシャツ、持ってない」

娘は、写真を、裏返しにして、母親に渡した。

一家揃って、かなり気味が悪くなった。

写真は、燃やして捨てたそうだ。

庭で、Aさんが、ライターで火を点けた。

写真は、端から、普通に燃えたという。

一周年の記念パネル

彼女は、その後、元気になって、無事に退院した。

ただ、小さい会社でこういう騒ぎになったので、流石に居づらくなった。

春に、退職した。

現在は、父親の経営する飲食店を手伝っているとの事だ。

話は、ここで終わるはずだった。

店長の兄にとっては。

その翌年の二月、兄は、仕事で、あの町を通った。

三つ先の駅の町だ。

あのスーパーの前を、車で通った。

のぼりが、立っていた。

「一周年記念セール」

兄は、車を停めた。

停める理由は、なかった。

ただ、停めた。

店は、一年で、少し古くなっていた。

入口の柱の数は、同じだった。

客は、まばらだった。

開店の日の、あの写真の賑わいは、なかった。

兄は、入口の前で、一度、立ち止まった。

あの日、Aさんがここに立ったのだと思った。

自動ドアが、開いた。

暖かい空気と、揚げ物の匂いが、外に流れてきた。

普通の、スーパーだった。

それが、かえって、落ち着かなかった。

兄は、入口の脇に目をやった。

店の入口に、大きなパネルが立っていた。

開店の日の、記念写真だった。

入口の前に、客が並んでいる。

その写真を引き伸ばして、パネルにしてあった。

兄は、それを、見た。

開店記念の写真の中に、半袖の彼女が、同じ笑顔で写っていた。

ピースサインだった。

周りの人は、全員、コートを着ていた。

石室の写真に写った手という話を、兄は後に読んだという。

写真に、写るはずのないものが写る話だ。

あの子は、写るはずのない場所に、写っていた。

燃やした写真と、同じ構図で。

店員に、聞いた。

「この写真、開店の日のですか」

「そうですよ。朝一番の、お客さんです」

「一番前の、この子は」

「さあ。常連さんではないですね」

兄は、パネルの前から離れた。

写真は、撮らなかった。

彼女には、何も言っていない。

店長も、言っていない。

彼女は今も、父親の店で、元気に働いているそうだ。

二月になると、店長は、この話をする。

そして、必ず、最後にこう言う。

「あの子、今も、夏でも長袖なんだってさ」

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