人形の夢
公開日: 怖い話 | 死ぬ程洒落にならない怖い話
前月に学校を辞めたゼミの先輩が残して行った荷物がある、という話は久保から聞いた。
殆ど使われていない埃っぽい実験準備室の隅っこに置かれた更衣ロッカーの中。
汚れたつなぎや新品同様の工具などと一緒に、ビデオテープの入った段ボールがあった。
ラベルから、大半は実習のビデオやテレビの録画だということが分かる。
ただ、中に何本かラベルの貼ってないテープがあった。
当時ビデオテープは貴重品だったので、当たり障りのないヤツは貰ってしまおう。
そう考えて、久保と2人でラベルのないテープをチェックする事にした。
夜の22時頃、他のメンバーは帰宅しており、研究室には私と久保の二人だけだった。
デッキにテープの最初の一本を挿入する。
「呪いのビデオだったりしてな」などと笑いながら再生ボタンを押した。
いきなり人の顔が大映しになった。
暗闇に月のように浮かんだ真っ白な顔。
思わず息を飲む。
日本人形だった。正面からの至近距離で少しブレている。口元が笑っているように見えた。
「暗いな」
久保がモニターの明度を上げると、背景にほんのり格子模様が浮かび上がった。
「障子か?」
どうやら和室で撮影されたもののようだ。電灯のような影も見える。
画面に動きがないので静止画像かとも思ったが、デッキのカウンターは秒を刻んでいる。
「おい、何か聞こえないか?」
久保が言った。音量を上げてみる。
「ちりん…、ち…ん、ちりん…」
金属片の触れ合うあうような音が微かに聞こえてきた。
「気持ちワリぃな」
そう言って久保は早送りに切り替えた。人形にも部屋の様子にも何ら変化は見られない。
「もういいだろ。止めようぜ」
私は停止ボタンを押した。一瞬、画面が揺らいで暗転した。
頭の中には人形の白い顔が残像のように浮かんでいる。
なんだか嫌な気分だった。
それから2時間ほどかけて残りのテープを見たが、テレビ番組の録画ばかりだった。
私と久保はテープを山分けして、部屋を後にした。人形のテープは廊下の段ボールに戻す。
駐輪場へ向かう途中、久保がボソ…という感じで呟いた。
「俺、あの人形のヤツどっかで見たことあるような気がするんだけど、何でかなあ…」
心中を見透かされたようだった。私もそれが気になっていたのだ。
闇に佇む白い人形の顔。金属が擦れるような音。ずっと昔に見聞きした記憶…。
久保と私の故郷は数百キロ離れている。
だから、その記憶が同一の体験を基にしたものでないのは明らかだ。それで「テレビで見たんじゃないか?」と答えた。
何の根拠もなかったが、それぐらいしか考えられなかった。
校門の所で久保のバイクのリアランプを見送った後、私は自転車でアパートに戻った。
暗い部屋の中に私は立ち竦んでいる。懐かしいと同時にとても不安な心持ちで。
どこからか、「ちりん…ちりん…」と音が響く。風鈴のような、モビールのような音。
※
気が付くと、目の前に日本人形があった。微笑みを浮かべ、暗闇に佇んでいる。
理由は分からないが、この人形は生きている、という確信めいたものがあった。
「りん…、ちりん…」
音は微かに、しかし止むことなく鳴り続ける。人形は徐々に近づいてくるようだった。
自分が動いているのか、人形が動いているのか、もはや区別がつかない。
白い顔が視界を覆い始める。もう距離が近すぎてピントが合わないけれど、その表情は微笑みをたたえたまま、何の変化もない。
顔は、ただひたすらに近づいてくる。私の顔に触れんばかりに、ゆっくりと…。
すんでのところで悲鳴を飲み込み、私は目を醒ました。
胸がドキドキしている。パジャマは寝汗でびっしょりだった。
時計を見ると明け方の4時。
のろのろと布団から這い出して隣の部屋へ。電気を点ける。
座椅子に座り、あらためて夢の内容を思い出そうとしたが、途中で切れている。
迫り来る人形の顔。その先に酷く怖ろしい出来事があったがはずなのに、時間の経過と共に夢の記憶は散り散りに、結末は忘却の彼方へ。
それでも、久保と二人で見たビデオの情景に酷似した夢であったことは憶えていて、眠気が追い払われるにはそれで充分だった。
喉がカラカラに渇いていたので、台所の蛇口から水を飲み、ついでに顔も洗った。
ふと、辺りにお香のような匂いが漂っていることに気が付いた。
ここで香を焚いたことなどないのに…。
そう思った矢先、私はあることを思い出した。
私には以前これと全く同じ夢を見た記憶がある。
暗闇に佇む自分。金属質の音。近づいてくる人形…。
一人で寝ていたのだから、たぶん小学生の頃だと思う。
怖くて、別の部屋で寝ていた母親の布団に潜り込んだのを憶えている。
そしてその時も、辺りにはお香の匂いが漂っていた。
その匂いがきっかけとなって、私の記憶は呼び覚まされたのだった。
回想のさなかに電話が鳴った。一瞬ビクッとしたが、出てみると久保からだった。
「実は俺、いま夢を見たんだけど…」
久保も同じ夢を見ていた。ビデオとそっくりの夢。人形の夢。
「それで思い出したんだけど、昔これと同じ夢を見てるんだよ…」
久保も私と同じ理由から怯えていた。
とにかく部屋から離れたかったので、私は久保に近くの深夜喫茶の名前を告げ、そこで話をすることにして電話を切った。
着替えの最中、敷いてある布団の方から視線を感じるような気がした。
ゆっくりと視線を動かすと、布団の足元のところが丁度猫位の大きさに膨らんでいて、そこの部分の端の所が少し持ち上がっていた。
まるで、布団の中から何物かが覗いているように見える。
震える手で着替えを済ますと、靴を履くのももどかしく、ドアを開けて外に出た。
喫茶店で待ち続けたが、久保はなかなか現れなかった。
心配だったが、部屋に行く勇気はなかなか湧いてこない。
やがて夜が明け、辺りがすっかり明るくなってから、私は店を出て、久保の住むアパートに向かって自転車を漕いだ。
途中、橋のたもとに人が集まっているのが見えた。嫌な予感がした。
パトカーが2台停車していて、警官が交通整理をしている。
2台のパトカーの間、橋の欄干の脇に久保のバイクが見えた。
目撃者によると、久保は欄干を乗り越えて川に飛び込んだらしい。
つまり、事故ではない。バイクは車道脇に停められていた。
なぜ、そんなところから飛び降りたのか、理由は誰にも分からなかった。
自殺の意志があったのかも分からずじまい。
久保の死体は500メートル下流で揚がった。もちろん遺書はなかった。はっきりとした動機も。
私は一旦実家に戻り、アパートは引き払った。
友達やゼミの教官に人形の話はしなかった。妙な噂を立てたくなかったからだ。
例のビデオテープは処分しようかとも思ったけれど、祟られるのも嫌だったので、誰にも見つからないような所へ隠した。
以来十数年、あの夢は見ていない。ただ、起きると香の匂いが立ちこめていることはある。
特に何かがある訳ではないけれど、ちょっと気味が悪い。