蛇田
公開日: 死ぬ程洒落にならない怖い話 | 田舎にまつわる怖い話 | 長編
自分の住んでいる所は田舎の中核都市。
田んぼは無くなっていくけど家はあまり建たず、人口は増えも減りもせず、郊外に大型店は出来るものの駅前の小売店は軒並みシャッターを閉めているような所だ。
自分の家の周りも田んぼだったのだが、県立大学のキャンパスが分かれて移って来るというので、その辺りだけ急にバタバタと建物が出来た。
学生目当てのアパートが多いのだが、その他にも飲食店があったり、まあ色々だな。
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近所には地元で「蛇田」と呼ばれる田んぼが一枚があり、そこの南の隅には竹と藁で作った簡単な祭壇が設けられてあった。ちょうど盆送りの棚みたいな感じで。
月に何回かお供え物が供えられているのを見たことがある。
これがアルミホイルに乗せた鶏肉などで、そんなことをすればカラスが来るだろうと思うだろうが、自分が見た限りでは荒らされた様子は無かった。
興味深かったので、小学校の行き帰りに遠回りして覗いて見たこともあったが、お供え物は次の朝には無くなっている。
野犬が食べたような汚らしい様子は無いから、その家の人が夜に片付けているのかもしれない。
この話は家族にもしたことがあるけど、遠くから婿に来た親父は全く要領を得なくて、母親の方はその話をしたくないらしく、すぐに話題を逸らしていたな。
その田んぼの持ち主は専業農家で、かなり広大な耕地を持っており人に貸したりもしていたんだけど、その蛇田だけは当主の老夫婦が手植えで毎年稲を植えていた。
かなりの重労働なのだけど、ここだけは近所でも誰も手伝わず、皆そうするのが当然みたいな雰囲気だった。
収穫したここの米も卸には出さず、自分らで持ち帰っていたようだった。
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ところが、その老夫婦が相次いで亡くなって、大学のキャンパス移転に掛かって売りに出された。
それで、その田んぼも含めた敷地に大きなスーパーマーケットが出来ることになった。
老夫婦の子どもは数人居たんだけど、地元には残っておらず、家屋敷を全て売って遺産分けしたという話だった。
ただ、この蛇田を売ったことについては地元での評判は良くなかった。
特に古くからの人達は町内会で色々批判もしていたらしい。
母親も、田んぼをやめるならせめて死に地にしておけば良いのにみたいなことを言っていた。
例によって理由は教えてくれなかったけど、蛇田は建物本体ではなく駐車場の一部になった。
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スーパーは大資本のチェーンではなく、県内の別の市から来た夫婦が自ら経営する小さな店だった。
自分も何回か会ったけど、どちらも50代初めくらいで、旦那さんの早期退職金と、後は銀行からかなりの借金をして始めたらしい。
気さくでやる気にあふれた人達だった…初めのうちは。
そのスーパーで開店セールをやるというので母親に連れられて行ったのだが、母親はその蛇田の駐車場に車を停めず、近くの道に路上駐車した。
「今時何も起こらないだろうけど、近寄らないに越したことはないから」と言っていた。
学生も来るようになって初めの一ヶ月は結構繁盛していたと思うけど、すぐに事故が起きた。
駐車場に停めてあった車が車両火災になったんだな。タバコとかが原因ではなく、電装関係のトラブルらしい。
その車は全焼して隣の車にも影響があったが、幸い怪我人は無かった
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そしてそれから2週間ばかりして、深夜その駐車場で焼身自殺があった。大学の男子学生だった。ガソリンを被って火を点けたんだな。
その夜は救急車や消防車のサイレンが喧しくて、起きて野次馬をしに行った母親が事情を聞いて来た。
原因はノイローゼだとも失恋だとも色々言われていたんだけど、結局は不明。
その現場が蛇田で、祭壇があったすぐ近く。
自殺の跡は黒い染みになったので、後からその上にアスファルトを被せて段になった。
当然ながら気味悪がってその近辺には誰も車を停めない。
この事件以来、スーパーの人の入りがガクッと悪くなった。
最初は数人居たパートの店員も一人辞め、二人辞めという感じで、二ヶ月後には夫婦二人だけで切り盛りするようになった。
夜の仕入れなどもあるため、スーパーには旦那さんが泊まり込んでいたけど、開店の当時からするとげっそりと痩せて笑顔が無くなった。
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その頃、自分は中学生になっていたんだけど、日曜日に友達が家に来るから菓子類を買おうとそのスーパーに入ってみたんだ。
そしたらレジに油気のない髪の奥さん。そして生鮮食品売り場に旦那さんが居て、ガラス戸の奥で魚をさばいている。
商品は仕入れが少ないらしく、開店時より大分減ってスカスカの状態。客は自分一人だけ。
店の中には少ない商品が中央に集められていて、店の片側に段ボール箱が天井辺りまで積まれている。
それはちょうど駐車場の方が見える窓で、まるでそちらの方を見たくないという風に感じた。
自分がポテチとかを選んでいると、「ダン、ダン」という音がする。
旦那さんが奥で魚を切っている音なんだけど、やけに強くて力が入っている。
それで生鮮品売り場の方に見に行ったんだけど、そこらは酷く嫌な臭いがする。
腐った臭いとはまた違って、何というか自分はタバコは吸わないんだけど、吸い殻の一杯詰まったバケツに水を入れた時のような臭いがする。
見れば並べてある肉も魚も何だか乾いてぱさぱさした感じで、古いのかと思いパックの賞味期限を見ても、仕入れたばかりのものなんだな。
旦那さんがガラス越しに魚を切っているのが見えるんだけど、こっちの方を見もせず下を向いて包丁に力を込めている。
切っているのは魚だと思うが、ガラスの下でよく見えない。
ただ、その魚が動くのを片方の手で押さえているような動きだった。
すると旦那さんが「あちっ」と叫び、手で押さえていたものが伸び上がった。
見間違いだと思うけど、自分には大きな蛇の頭に見えた。
驚いた自分は走ってレジに行き、買った物を投げ出すようにレジに置いた。
奥さんは無愛想な顔で精算し、レシートを渡す時にじろっと自分の顔を見て、
「…あんた○○中学校の生徒だね。学校行ったら他の生徒にうちで万引きしないように話してくれる…? あんたらの校長に電話かけても埒が明かないんだよ…」
と物凄く無愛想な声で言ってきた。
そんな感じで嫌な気分で店を出たんだけど、飲み物を買い忘れたことに気付いた。
もう店に戻るのは嫌だったので、外の自販機でペットボトルを何本か買った。
その時に横にあったゴミ箱のビン・カンの方だけ中身が溢れていたので、ペットボトルの方を覗いて見たら、シマヘビだと思うけど、うねうねと何匹も絡み合い球になっていた。
慌てて後ろに飛び退いて、何故買い物するだけでこんなお化け屋敷のような目に遭わなければならんのかと思いながら帰った。
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夕食の時に母にその話をすると、「やっぱり蛇田だから、そろそろ準備しとかないと」みたいなことを言った。
それから2週間してスーパーの夫妻が首を吊った。
それが駐車場のあの祭壇があった場所、焼身自殺の場所のすぐ近くに、物干し台を持ち出して二人並んで…。
ただ物干し台だから両足とも地面に引きずるような形になっていたという噂だ。
それからそのスーパーは後を継いで経営する人も居らず、取り壊されもせずに心霊スポット化した。
事情を知っている地元民は絶対に近寄らない。特に駐車場には。
大学生が肝試しに行くらしいと色々良くない話が聞こえてきたが、まだ人が死んだりはしていないと思う。
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蛇田についてはよく判らないけれど、田んぼの持ち主だった老夫婦の先祖が何か蛇と約束をし、そこで獲れる米とお供えを捧げる約束があったという日本昔話みたいなのは聞いた。
だけどそれだけではなく、聞かせてもらえないことがまだあるような感じがする。
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後書
「蛇田」の話を書いてから、自分でも妙に好奇心が湧いてきて由来を調べてみた。
うちの母親は教えてくれないし、近所でも聞き難い感じがあったので、この隣町に住んでいる中3の時の担任の先生を思い出して話を聞きに行った。
先生は男で社会科担当。数年前に教頭で退職して、今は市史編纂室という所で嘱託で仕事をしている。
地元の新聞社から郷土史の本も出しているので、もしかすると何か判るかもしれないと思ったんだ。
久しぶりに会った先生は、自分から要件を聞いてかなり驚いていたが、スーパーの件は耳にしていたらしく、それほど嫌な顔もせず昔のことを色々話してくれた。
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自分の住んでいる町内は旧道と呼ばれる一本道沿いの家が昔からある集落で、その一帯はほぼ同族だったため、今でも同じ名字の家が並んでいる。
旧道はずっと行くと段々山に登るようになっていて、突き当たりが集落の氏神だった小さな神社。
その手前に蛇田の持ち主だった老夫婦の家があった。
ただ老夫婦の家はその昔は分家で、そこは本家だったということだが、本家に養子に入るという形で何代か前に移って来たらしい。
その本家は名主格で、かなり広い田地があってその殆どを小作人に貸していた。
分家は蛇田のあった場所にあり、旧道からは大分離れている。
分家は僅かな田もあったが、家業は薬屋で、蛇…多分マムシから採った強精剤のようなものを製造し、行商の薬売りに卸していた。
そして薬を絞った後の蛇の死骸を大きな穴に投げ込んでいた。それが蛇田の祭壇のあった場所。
それだけではなく、集落の拝み屋のようなこともしていたという。
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時代は多分江戸から明治に変わる辺りだと思う。
分家は食うに困らない暮らしではあったものの、親戚の中では殺生をする賤しい家業ということで、親戚付合いでは色々と差別されていたらしい。
ある時、分家の10歳くらいの女の子が本家筋の子らと一緒に川に遊びに出掛け、本家の長男坊がその子が川に流されたと大声で叫びながら村に走って来た。
村人達が行ってみると女の子の姿は既に無く、何日か後に下流で裸体のまま見つかった。
男の子らは裸で川で泳ぎ、女の子数人が河原で石拾いをやっていた。
それがいつの間にか川に入っていて、見ている前で流されて行ったと子供たちは口を揃えて言う。
当時はもちろん巡査なども居ない混乱期で、それは不幸な事故として蹴りが付いたのだが、分家の主人は納得できなかった。
臆病な子で、自分から川に入るなどまず考えられないと思った。
それで他の子供らの様子を窺っていると、村で主人に会うと非常にばつの悪い顔をしてこそこそ逃げて行く。
思い余ってある日、同じ分家格の子を一人家に呼んで問い詰めたらしい。
すると、女の子は男の子らに無理矢理川に入らされて流されたのだと白状した。
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それから分家の主人は夜になると蛇穴の前に祭壇を築いて何やら儀式をする。
すると親戚の子らが死んでいくんだな。
何も不自然な死に方ではなく、当時ありがちな急な病気で、2年で3人目の男の子が死んだあたりで本家でも事情を察して掛け合いに来た。
分家の主人に何とか呪詛をやめさせようとするのだが、主人の恨みは強く、村を叩き出してもやめそうもない。
官憲に突き出しても、子供らははっきり病死で何の証拠も無いし、文明開化の時期で呪詛の話など相手にされないだろう。
そうしている間に今度は女の子が1人死んだ。
それで親戚中で話し合い、分家の主人に流されて死んだ女の子の弟、その子は5歳くらいだったのだが、これを本家で養子にもらって跡取りにするからもうやめてくれと詫びを入れて泣きついた。
すると主人は硬い顔で「…わかった、そうしてもらおう」と言って引っ込んで行った。
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次の朝、主人が蛇穴の中で無数の蛇の死骸の上にうつ伏せになって、顔を埋めるようにして死んでいるのが見つかったという。
それから本家では分家の家を取り壊して田地にし、薬作りもやめてしまったのだが、分家の妻が蛇穴のあった所に新しく祭壇を築いて供養をした。
その内に男の子が本家の跡を継ぎ、ずっと何代も老夫婦が亡くなるまでこの供養が続いていたということなんだ。
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この話は明治の中頃に東京から偉い学者が来て、聞き取り採集して行ったのが学術雑誌に残っていたのだが、こんな陰惨な話は到底市史には載せられないからと先生は話した。
そして、蛇田の場所はとにかく土地が悪い、スーパーの顛末も、人に学問を教える者がこんなことを言ってはいかんのかもしれんが、昔からの因縁に関係があるんだろう。お前も近付くなよと言ってくれた。