赤い川
公開日: 死ぬ程洒落にならない怖い話
俺が高野山に住んでいた時、こんな噂話を聞いた。
「昔、坊主専用の廓が、山のどこかにあった」
「その廓は終戦後取り潰されて廃墟になったが、今でも形を保っている」
「そこはとんでもなくヤバイところで、何が出るかは知らないが、行ったら正気では帰って来れない」
と、物凄く好奇心をそそる内容。
※
当時寮生だった俺は、ある夏の休日に寮の後輩を無理矢理引き連れて、噂の廃墟へと向かった。
と言っても廃墟の場所は正確に判らないから、ちょっとしたピクニック気分で山の中に入って行ったんだ。
それが甘かった。
高野山の山の中って、同じような木が同じように生えているばかりで、一度迷ったら現在位置が判らなくなるんだよね。
面白がって細い獣道ばかり選んでいた俺らは、それこそ一瞬にして迷った。
帰り道どころか、今どの山を歩いているのかも分からない。
歩けば歩くほど、より奥に迷い込んで行く感じだった。
※
いよいよ日も翳り始めてきた頃、誰かが「迷ったら尾根に出ろ」と言い出した。
多分どこかでの聞きかじりだったのだろうけど、一面槇の木に囲まれているよりは周りが見渡せる方がましだ。
とにかく上に向かって登り始めた俺たち。
どのくらい登った頃か、尾根らしきところに出るとやっと周りを見渡す事が出来た。
遠くに大きな町と、反対側の近くに小さな町。
『あれは奈良で、反対側は九度山か?』と推理しても、現在地は不明。
その時はもう、みんな疲れ切った上空腹で、喉も渇いている。
とにかく尾根沿いに歩くしかないと、遠くに見える町の方に歩き出した時、後輩の一人が「水!水がありますよ○○さん!」と叫んだ。
立ち止まり耳を澄ますと、確かに水の流れる音がする。
水の臭いも漂ってくる。近くに沢があるのか。
とにかく喉が渇いていた俺たちは、水の音に向かってダッシュした。
※
5分ほど薮を踏み越えて行くといきなり周囲の景色が開け、そこには大きな川が流れていた。
大きな川と言っても、幅は5~6メートルくらいだったのだが。
とにかく水があったことで、みんな激しく喜んだ。
まず靴を脱いで足を浸す者、コンビニのビニールに水を汲もうとする者などがいた。
俺はまず水が飲みたかったから、水を両手ですくったのだが、そこで固まった。
「おい待ておまえら!この水飲むな!」
不信そうな後輩たちの視線を浴びながら、俺は川底を指差した。
その川は、岩盤の上をずっと流れていたのだけれども、水底の岩の色が普通じゃなかった。
真っ赤。
これ以上ないくらい赤。
上流まで、ずっと鮮やかな赤。
※
あまりに鮮やかな赤い川を見ながら、みんなが同時にある事を思い出していた。
昔々、丹紗とか丹とか呼ばれて、万能薬とされていた鉱物があったと授業で聴いた。
お大師さんも、高野山から京都にその薬を持ち込んでいたらしい。
でも実際は、人体にとって毒物でしかなかったと言う。
恐らく水に混ざって流れていたのは…岩盤を赤く染めていたのは、その丹紗、万能薬、要するに硫化水銀。
硫化水銀の赤色。
毒も気持ち悪いけど、それ以上に何か触れてはいけないものに触れたようで、全員がそこで固まってしまった。
川底の岩盤は、上流に向かってより赤みを増しているようだった。
面白い論文が書けるという誘惑は確かにあった。
でも、誰も川を逆上ろうとは言わなかった。
※
登山の常識としては最悪だと聞いたけど、俺たちはそのまま沢を下る事に決めた。
2時間ほど歩くと、偶然にも小さな集落に出た。
俺たちは親切な農家のおじさんの軽トラで最寄り駅まで送ってもらう事が出来た。
その後、高野山に帰った俺たちはまた普段通りの日常に戻った。
暫くしてから農家のおじさんにお礼に行ったら、既にそこは廃村になっていた。