異界への扉

公開日: 異世界に行った話

2014-parallel-world-Abstract

建築法だか何だかで、5階以上の建物にはエレベーターを設置しないといかんらしい。

だから俺が前住んでいた高速沿いのマンションにも、当然ながらエレベーターが一つあった。

6階に住んでいた俺が階段を使うことは全くといって良い程なかった。まあ、多分誰もがそうだろう。

来る日も来る日もエレベーターのお世話になった。階段は降りるならともかく昇るのはなかなかにツライ。

だが、ツライのは分かっていても、今の俺は専ら階段しか使わない。

大学の講義がない平日の昼頃、俺はコンビニで飯を買ってこようと部屋を出た。

1階に降りるのには当然エレベーターを使う。エレベーターは最上階の8階に止まっていて、今まさに誰かが乗るか降りるかしているところのようだった。

俺は階下のボタンを押し、エレベーターが下りてくるのを待った。

開いたエレベーターのドアの向こうには中年のおばさんが一人いた。

ちょくちょく見かける人だったから、多分8階の住人だったんだろう。

軽く会釈してエレベーターに乗り込む。1階のボタンは既に押されている。

4階で一度エレベーターが止まり、運送屋の兄ちゃんが乗ってきた。

3人とも目的の階は1階だ。

だが、エレベーターは唐突に3階と2階の間で止まってしまう。

一瞬軽い重力が体を押さえつけてきた。俺を含めた室内の3人は顔を見合わせた。

何だ、故障だろうか。停電ではないようだ。エレベーター内の明かりには異常がない。

「どう……したんすかね」

俺がぼそりと呟く。おばさんも運送屋も首を傾げる。

暫く待っても動く気配がない。すると、運送屋が真っ先に行動した。彼は内線ボタンを押した。

応答がない。嘆息する運送屋。

「一体どうなってんでしょう」

運送屋の疑問は俺の疑問でもあった。

多分数字にしてみれば大した時間じゃなかったはずだ。沈黙は3分にも満たないくらいだったろう。

それでも漠然とした不安と焦りを掻き立てるには十分な時間だった。

何となくみんなそわそわし始めた頃、エレベーターが急に稼動を再開した。

おばさんが短くわっと声を上げる。俺も突然なんでちょっと驚いた。

しかし、押しているのは1階のボタンだけだというのに、どういうわけか下には向かわない。

エレベーターは上に進行していた。

すうっと4階を抜け、5階、6階……7階で止まり、ガラッとドアが開いた。

俺は訝しげに開いたドアを見る。全く何なんだ。一体何だっていうんだこれは。

「なんか不安定みたいだから」

おばさんがエレベーターを降りながら言った。

「なんか不安定みたいだから、階段で降りる方がいいと思いますよ。また何が起こるか分からないし」

「そりゃそうですね」

と、運送屋もエレベーターを降りた。

当然だ。全く持っておばさんの言うとおりだ。

今は運良く外へ出られる状態だが、次は缶詰にされるかもしれない。

下手をすれば動作不良が原因で怪我をする可能性もある。そんなのはごめんだ。

俺もこの信用できないエレベーターを使う気などはなく、2人と一緒に降りようと思っていた。

いや、待て。

何かがおかしい気がする。

エレベーターの向こうに見える風景は、確かにマンションの7階のそれである。

だが……やけに暗い。電気が一つも点いていない。明かりがないのだ。

通路の奥が視認できるかできないかというくらい暗い。

やはり停電か?

そう思って振り返ってみると、エレベーターの中だけは場違いなように明かりが灯っている。

そうだ。動作に異常があるとはいえ、エレベーターは一応は稼動している。停電なわけはない。

どうも、何か変だ。

違和感を抱きつつ、俺はふと七階から覗ける外の光景に目をやってみた。

なんだこれは。

空が赤い。

朝焼けか、夕焼けか? だが今はそんな時刻ではない。

太陽も雲も何もない空だった。なんだかぞくりとするくらい鮮烈な赤。

今度は視線を地に下ろしてみる。

真っ暗、いや、真っ黒だった。

高速やビルの輪郭を示すシルエット。

それだけしか見えない。マンションと同じく一切明かりがない。

しかも。普段は嫌というほど耳にする高速を通る車の走行音が全くしない。

無音だ。何も聞こえない。それに動くものが見当たらない。

上手くいえないが、「生きている」匂いが眼前の風景から全くしなかった。

ただ、空だけがやけに赤い。赤と黒の世界。

今一度振り返る。そんな中、やはりエレベーターだけは相変わらず明るく灯っていた。

僅かな時間考え込んでいたら、エレベーターのドアが閉まりそうになった。

待て。どうする。

降りるべきか。

それとも、留まるべきか。

今度は特に不審な動作もなく、エレベーターは大人しく1階まで直行した。

開いたドアの向こうは、いつもの1階だった。

人が歩き、車が走る。生活の音。外は昼間。見慣れた日常。

安堵した。もう大丈夫だ。俺は直感的にそう思ってエレベーターを降りた。

気持ちを落ち着けた後、あの2人のことが気になった。俺は階段の前で2人が降りてくるのを待った。

しかし、待てども待てども誰も降りてこない。

15分ほど経っても誰も降りてこなかった。階段を降りる程度でここまで時間が掛かるのはおかしい。

俺はめちゃくちゃに怖くなった。

外へ出た。

何となくその場に居たくなかった。

その日以来、俺はエレベーターに乗りたくても乗れない体質になった。

今は別のマンションに引越し、昇降には何処に行っても階段を使っている。

階段なら「地続き」だからあっちの世界に行ってしまう心配はない。

だが、エレベーターは違う。

あれは異界への扉なんだ。少なくとも俺はそう思っている。

もうエレベーターなんかには絶対に乗りたくない。

関連記事

地下通路

裏世界へ続く道

夏の日の一件は、今でも私の心に鮮烈に刻まれている。 私が小学5年生の夏休み、近所の大きなグラウンドで昆虫のリストを作成していた際、地面に隠れている錆びついた鉄の扉を見つけた。 …

神社の奥の光

俺、弓道やってるのね。その道場への行き道の途中を曲がると鳥居があるのよ。多分奥に神社があるんだろうけど見えてるのは鳥居だけ。で、鳥居の一直線上には暗いと何も見えないわけ。多分神社は一直…

無人駅

存在しない駅にて

その日、彼はひどく疲れていました。 残業で遅くなり、帰宅するために電車に乗り込んだのは深夜に差し掛かる頃。 既にいつも使っている快速は運行を終えており、各駅停車の普通電車…

アパート

一瞬の異界体験

その頃、私は一人暮らしのアパートに住んでいました。ある日、母から頼まれた回覧板を隣の部屋に渡しに行きました。 手早く回覧板をポストに入れた後、自分の部屋に戻りました。しかし、ド…

浮世絵(フリー素材)

タイムスリップ

昭和50年前後の事です。 東京近郊の県ですが、うちの祖父母が住んでいた家は古い農家の家でした。 農業は本職ではなく、借りて住んでいました。 敷地を円形に包むように1…

プラットフォーム

プラットフォームの向こう

小学校低学年の時だから、かなり昔の事になります。 私はその日、母に手を引かれ、遠縁の親戚を訪ねるため駅に来ていました。 まだ見慣れない色とりどりの電車に、私は目を奪われてい…

砂時計(フリー写真)

巻き戻る時間

10年程前、まだ小学生だった私は、家で一人留守番をしていました。 母親に注意もされず、のびのびとゲームを遊ぶことが出来てご満悦でした。 暫く楽しく遊んでいると、電話が掛かっ…

カヨさん

案内人のカヨさん

神奈川や静岡近辺にあるホテルや旅館、または会社の保養施設などでは、昔から「時空が歪んでいるのではないか」と思われるような不可解な出来事が語り継がれています。 もちろん、それらの…

吉祥寺駅(フリー写真)

赤い世界

僕が小学6年生の時の話。 当時、僕は吉祥寺にある塾に通っていました。 隣の○○区からバスで通うのですが、その日もいつも通り塾へ行くため、僕はバスに乗りました。 ※ バス…

校庭

消失の謎

会社の後輩に聞いた、その子の友人(Aさん)の話です。 Aさんが小学生の時、彼女はとても積極的で、休み時間には校庭で他の子どもたちとドッジボールを楽しんでいました。ある日、チャイ…