
小学校低学年だったある日、家の近くの公園で、二十歳前後の青年に声をかけられた。
「ここは何という場所ですか?」
いきなりの質問に戸惑いながらも、私は素直に地名を答えた。
その日をきっかけに、帰りが遅くなると公園でその青年と何度か顔を合わせ、少しずつ言葉を交わすようになった。
※
青年は静かな口調で、自分は未来から来たのだと語った。
朝、大学の下宿で目を覚ますと、見慣れないこの町の近くに立っていたという。
途方に暮れて歩き回り、やがて公園で私に出会ったのだと。
子どもの私は半信半疑で、「本当に未来から来たなら、証拠を見せて」と頼んだ。
青年はポケットから煙草の箱より少し小さい黒い機械を取り出し、「これくらいしかないけれど」と言った。
それは写真を撮ることができ、音楽も流れ、ラジオも聴けると説明してくれた。
さらに、離れた相手に声や文字を送ることもできるのだという。
私は胸が高鳴り、まるで物語の中の道具のようだと目を輝かせた。
夕暮れが迫り、青年は「続きはまた明日」と微笑んだ。
私は「うん、また明日」と約束して家路を急いだ。
※
翌日の放課後、私は真っ先に公園へ向かった。
しかし、ベンチにも遊具のそばにも、青年の姿はなかった。
その翌日も、またその次の日も、公園は風の音だけが通り抜けた。
結局、彼と再び会うことはなかった。
名前は確かに聞いたはずなのに、年月とともに記憶の端からこぼれ落ちた。
残っているのは、夕暮れの色と、掌にのる不思議な機械の輝きだけだ。
※
大人になって携帯電話が世に広まり、手のひらの中で写真も音楽も通信もできるようになったとき、私はあの公園を思い出した。
もしあの機械が携帯電話だったのなら、彼は未来の大学生ではなく、ただ時代を先取りした誰かだったのかもしれない。
けれど、あの日の「また明日」が叶わなかったことだけは、今も時間の継ぎ目のように胸の内に残っている。
彼はどこから来て、どこへ去ったのか。
答えは分からないまま、私はときどき公園脇の道を通り、夕暮れのベンチを一度だけ振り返る。
そこに座る青年の横顔を、今でも見つけられる気がするからだ。