赤い世界とマジシャンの老人

赤い世界

僕が小学6年生だったときのことです。

当時、僕は吉祥寺にある塾に通っていました。

自宅は隣の○○区にあり、毎回バスで吉祥寺まで通っていました。

その日も、いつものように塾へ向かうため、バスに乗りました。

乗ったバスは空いていて、すぐに座ることができました。

しかし途中から混み始め、ふと顔を上げると、目の前にはひとりのお爺さんが立っていました。

スーツをきっちりと着こなし、ハットを被ったその姿は、どこか岡田真澄を思わせるような品のある佇まいでした。

僕は思わず席を譲ろうと立ち上がり、

「どうぞ」

と声をかけました。

お爺さんは微笑みながら、

「ありがとう」

と答えてくれました。

当時の僕は幼くて、失礼ながら『顔がしわしわだな』『マジシャンみたいな人だな』などと心の中で思っていました。

するとそのお爺さんが、にこやかに話しかけてきました。

「君は優しいね」

僕たちは自然と会話を始め、いつの間にか、初対面とは思えないほど普通に話していました。

話題は塾のことや成績のこと。世間話にすぎなかったはずなのに、どこか居心地の良い時間が流れていました。

ふと僕は思い出し、両親に言われていたことを口にしました。

「知らない人と話しちゃいけないって、言われてるんです」

するとお爺さんは、クスッと笑いながら、

「こんな爺に誘拐なんてできると思うかい?」

と返しました。

僕は自然と首を振ってしまいました。

まもなくバスは吉祥寺駅に到着。

終点に近づいたころ、僕はどうしても気になっていた質問をしました。

「マジシャンなんですか?」

お爺さんはしばらく笑っていましたが、バスが停まると同時に人差し指を立てて言いました。

「でもね、“これ”ならできるよ」

『これって何だろう?』と僕が不思議に思った瞬間、気がつけば他の乗客は全員バスを降りており、車内には僕とお爺さんだけ。

僕は急いでバスを降りました。

そのとき──

目の前に、信じられない光景が広がったのです。

赤い世界。

一瞬、目の前に強烈な赤い光が差し込み、思わず目をつぶりました。

驚いて目を開けると──人がいない。

誰もいない。

バスも、通行人も、車も消えていた。

街全体が、不気味な赤い光に包まれていました。

それは夕焼けのような赤ではありません。すべての色が赤のフィルターを通したかのように歪み、異様な世界が広がっていたのです。

僕は恐怖で全身が震えました。

吉祥寺の駅前ロータリー。いつもならスケボーをしているお兄さんや、にぎやかな人の声がするはずなのに──音ひとつ聞こえない。

まるで時間が止まったような静寂の中、僕は泣きながら走りました。

でも、どこまで走っても、誰もいない。

ただただ、真っ赤な世界。

僕は道端にしゃがみこみ、声を上げて泣きました。

そのとき──

目の前に、あのしわしわのお爺さんが現れたのです。

僕は必死に叫びました。

「戻して! 早く戻して!」

お爺さんは驚いたような顔をして、そして静かに僕の頭を撫でました。

「ごめんね」

「怖がるとは思わなかったよ。ごめんね、ごめんね」

その言葉を何度も繰り返しながら──

次の瞬間、街の喧騒が戻ってきました。

僕が顔を上げると、いつもの駅前。人々の声、車の音、すべてが元通りになっていました。

ただ僕は、横断歩道の真ん中でしゃがんで泣いていたため、通行人からは奇異の目で見られていました。

周囲には人だかりができていました。

でも──

あの赤い世界に連れていったお爺さんの姿は、どこにもありませんでした。

あれは夢だったのでしょうか?

でも、あのときの景色、赤い空間、そしてお爺さんの手の温もり──

すべてが、今でも鮮明に思い出せます。

「これならできるぞ」

彼のその言葉は、いまだに僕の胸に焼きついています。

あのとき、彼が見せた“マジック”が何だったのか──

今でも、僕にはわかりません。

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