ある蕎麦屋の話

img_8

JRがまだ国鉄と呼ばれていた頃の話。

地元の駅に蕎麦屋が一軒あった。いわゆる駅そば。

チェーン店ではなく、駅の外のあるお蕎麦屋さんが契約していた店舗で、『旨い、安い、でも種類が無い、おまけに昼はやっていない』という、趣味でやっているサラリーマンサービスみたいな店だった。

乗り換え駅でもないけど快速が停まる駅ではあったので、急行普通乗り換えの時間帯や、朝と晩から終電近くまで結構賑わっている店だった。

ある日、終電後に客が居なくなって店を閉めようとした時に、なじみ客のサラリーマンが食べに来た。

だけどこのサラリーマン、食べ終わって駅を出た先で暴走車に撥ねられて亡くなってしまった。

しかし、翌月の30日深夜に店を閉めようとすると、ちょうど日の変わるところでお客が入って来た。

それが死んだはずのなじみのサラリーマンだったらしい。

最初は気付かずに注文通りそばを出して、サラリーマンが食べ終わって出て行き、どんぶりを片付けようとしたら何故か手がつけられていない(食べているのは見ていたはずなのに)。

お金も貰っていたはずだけど計算したら最後のそば分が足りない。それで気付いたのだそう。

その後、毎月月末の深夜から翌月1日になる時に、何故かお客が来なくなり、代わりにこのサラリーマンが現れるようになった。

おばちゃんは何も言わずいつも通りに接していたそうですが、ある時ふと「何だい、辛気臭い顔して。そば美味しくなかったかい?」と声をかけたのだそう。

そしたら、

「いえ、そばは美味しいです。実は妹が明日結婚でして…」

「何だい、めでたいじゃないか」

「はい、めでたいのですが、私としては妹を取られたような気がしてちょっと…」

「へぇ、複雑なんだねぇ」

という会話を交わし、その後も食べに来るたびにちょいちょい他愛もない話を興じるようになったらしい。

ただ、毎回初めて会話するような感じで、前回話したことは覚えていないような状態だったそう。

「妹さんが結婚するんだろう? しゃきっとしなさいよ」と言うと、

「えっ? 何で知ってるんですか?」みたいな感じだったとか。

そしてその話がどう流れたのか、サラリーマンが亡くなってそろそろ3年という頃に、その妹さんがやってきて、それは兄なので話を聞きたいと言う。

実は妹さん、お兄さんとは禁断の関係にあって、もしかしたら自分との関係を清算するために自殺したんじゃないかとずっと悩んでいたのだと。

話を聞いて、それが悪質な作り話じゃないと確信した妹さんは、ぜひ兄に会いたいということになり、次に来るであろう時間にバイトとして厨房の方に入ることになった(実際、半信半疑で、悪質な作り話だったら訴えようという心構えだったそう)。

そして運命の日、お兄ちゃんが現れていつも通りそばを頼んで食べ始め、おばちゃんと会話を始めたその人が兄だと確信した妹が話しかけると、お兄ちゃんはびっくりしながらも普通に話し始めたのだと。

その会話から、

「自殺なんてしない。おまえが幸せならそれを応援する。男としてお前をずっと愛していた。これからは兄としてずっと愛するつもりだ」

と兄妹のわだかまりが解け、するとお兄ちゃんはすっと消えてしまった。

きっとそれを妹に言いたかったのが心残りだった、でもそれを言おうか悩んでいた、だからずっと繰り返していたんだろうということになった。

ところが翌月、このお兄ちゃんはまたそばを食べに来た。

ただし、覚えていないのはいつも通りなのに、辛気臭い雰囲気は全くなくなっていた。

おばちゃんが「機嫌良いんだね」と言うと、

嬉しそうに「明日、妹が結婚するんです!」と応えるような状態で、

「なんだい、そりゃ景気がいい。んじゃあ今日はおばちゃんのおごりだ!」

ということを続けることになったのだと。

妹さんに伝えると、

「兄さん、私のこと悩んでたんじゃなくて、そば食べたかっただけなの?」

とちょっとがっかりしていたとか。

しかし、ある日いつものようにお兄ちゃんが蕎麦屋に来ると、おばちゃんがびっくりして一言。

「あんれまあ、今日は1日じゃ無くて29日だよ?」

そう、その日はうるう年、2月29日。

そしたら兄ちゃん、びっくりしたように固まったと思ったら、

「ああ、そうか、俺はもう…」

と悟ってしまったのだと。

そのまま「ご迷惑をおかけしました、もう来ることはないと思います」と帰ろうとしたので、

おばちゃんが「だったら最後に腹いっぱい食ってき!全部おごりだよ!」と大盤振る舞いしたんだと。

そしたらお兄ちゃんも遠慮なく、全種類の具を堪能して、「じゃあ、行ってきます!」と元気に出て行ったそう。

当然、お兄ちゃんの去った後は手がつけられていないそばの山だったそうですが、それから本当に兄ちゃんは来なくなったのだそうです。

その後、JRになると同時に店舗契約は打ち切られ、駅そばは無くなりました。

代わりに駅前の店を深夜まで駅そば価格の専用メニューで開けるようにしたのだそうです。

その話を聞いたのは、この間におばちゃん改めおばあちゃんが怪我して入院したので看病に行った時。

なぜかというと、このお兄ちゃん、それからはお盆の深夜に必ず店に食べに来ているらしい。

その時は必ずおばあちゃんが店に立ち、一杯のおかめそばをサービスで作ることにしていたのだと。

そこで、妹さんのところの話(子供が生まれたとか、兄弟ができたとか、病気してたけど大丈夫かなとか)をして、最後は必ず「食べ終わったら必ず妹さんのところに寄るんだよ!」と渇を入れているのだそう。

おばあちゃんが店に立てなくなったら、次は私がその役を引き受けることになるのだそうな。

理由は、私がお盆の深夜に、おばちゃんがお兄ちゃんと思しきサラリーマン風の人と会話していたのを見たことがあるから。

お母さんやお父さんはサラリーマンの人を見たことが無く、深夜の店で独り言を言っているおばあちゃんなら見たことがあって、ぼけたのかと思っていたそう。

だから、お兄ちゃんが来なくなるまでは、今度は私がおかめそばを作ってあげなければならないんだって。

ただ、おばあちゃんが言うには、彼はうちの味が変わらない限り守ってくれているらしい。

座敷わらしみたいなものなのかもしれない。

おばあちゃんは怪我も治って、まだまだ現役だから、そうなるのはあと10年も20年も後かもしれないけど、今年からは私も一緒に店に出て挨拶してみようと思ってる。

関連記事

白い女の話

自分は小中高と、全寮制の学校に通っていた。 凄いど田舎で、そこそこ古い学校。文字通り山の中にある。 狸もよく見かけたし、雉もいた。 裏庭に生徒が何人か集まり、許可を取…

寝室(フリー背景素材)

ムシリ

私の家系の男は全員『ムシリ』という妖怪が見える。 正確には、思春期頃に一度だけ会うものらしい。 おじいさんの話だと、夜寝ていると枕元に現れ、家系の男の髪の毛を毟り、食べるの…

田舎の風景(フリー写真)

掌を当てる儀式

この間、ずっと忘れていた事を思い出しました。 前後関係は全く判らないのですけど、子供の頃に住んでいた小さな町での記憶です。 他の五人くらいの子供と、どこかの家の壁にぎゅーっ…

満月(フリー画像)

天狗

35年前くらいの事かな。俺がまだ7歳の時の話。 俺は兄貴と2階の同じ部屋に寝ていて、親は一階で寝ていた。 その頃は夜21時頃には就寝していたんだけど、その日は何だか凄く静か…

木の枝(フリー写真)

白い人の顔

子供の頃、時々遊びに行っていた神社があった。 自宅から1キロほどの山の麓にある、小さな神社だった。 神社は大抵ひとけがなく、実に静かだった。 神社の横が小さな林にな…

肋骨を掴む手

最寄の駅からおいらの会社まで自転車で通っていたことがある。 その日は仕事が結構早めに終わり、少しずつ暗くなる路地裏を自転車で家路を急いでいた。 蒼い宵闇が降りてくる。境界線…

古民家の居間

孤独

中島らも氏のエッセイで読んだ話。 新聞の投書欄に送られて来た独居老人の手紙です。 『定年で会社を辞めてから随分経つが、ここのところ出先から帰ると居間に自分が居る、というこ…

おかあさんといっしょの都市伝説 – 2 –

『おかあさんといっしょ』は50年以上続く子ども向けの教育番組だ。 歴史が長いだけに、都市伝説も数多く存在する。今回はその一つをご紹介しよう。 1993年より体操のお兄さんと…

長袖の下に

小学校の時に転校してきた奴で、少し変わった奴がいた。 家はやや貧乏そうで、親父さんがいないみたいだった。 お袋さんは2、3回見たことがあるけど優しそうで普通に明るい人だった…

油絵の具(フリー素材)

風景画の中の女性

心霊写真の話はよく聞くけど、風景画に霊が入り込む事もあるのだろうか。 定年退職後の祖父の趣味は油絵だった。 描いているものは人物画だったり、風景画だったり、祭事を描いたりと…