覗き穴の向こう
平成七年の、大晦日の晩です。
私は十九で、広島の尾道に下宿していました。
浜本荘という、六部屋しかないアパートです。
もとは旅館の別館だったと聞いていました。
山の斜面にへばりつくように建っています。
玄関まで、石段を上らなければ着きません。
その晩、私は部屋で年越しの番組を見ていました。
大掃除も終えて、こたつに足を入れていました。
十時過ぎに、電話が鳴りました。
バイト先の先輩の、谷本さんでした。
「いま上がったけえ、そっち行ってええ」
「ええですよ」
「十五分で着く」
電話を切って、私はお湯を沸かしました。
十五分ほどして、戸が叩かれました。
ドン、ドン、ドン、ドン。
四回でした。
私は、覗き穴に目を当てました。
覗き穴の向こうには、誰もいませんでした。
※
四回ずつ
谷本さんは、そういう人です。
隠れて驚かせようとしているのだと思いました。
「先輩、見えとりますよ」
返事はありません。
ドン、ドン、ドン、ドン。
また四回です。
間を置いて、また四回。
ずっと四回でした。
強くも弱くもない、同じ強さです。
私は、少しずつ落ち着かなくなりました。
驚かせるつもりなら、ふつうは変化をつけます。
この音には、機嫌がありませんでした。
「開けますよ」
そう言って、私は鍵に手をかけました。
そのとき、電話が鳴りました。
※
「開けちゃいけん」
受話器を取りました。
谷本さんでした。
「もしもし。いま開けますけえ、そんなに叩かんで」
そこで、声が変わりました。
「開けちゃいけん」
息が上がっていました。
「先輩、どこにおるんですか」
「石段の下におる」
私は、受話器を握ったまま、動けなくなりました。
谷本さんは、まだ着いていなかったのです。
「いま、あんたのアパートの石段を、四つ足で上がっとるんよ」
それが、女なのか何なのかは、言いませんでした。
ただ、四つ足だとだけ言いました。
ドン、ドン、ドン、ドン。
戸は、まだ叩かれていました。
※
その晩、私は開けませんでした
私は、戸から離れました。
電話を切らずに、そのまま座り込みました。
谷本さんも、電話を切りませんでした。
お互い、ほとんど何も話しませんでした。
ときどき、谷本さんが「まだおる」と言いました。
音が止んだのは、たぶん十二時を回った頃です。
止んだ、というより、なくなりました。
戸の向こうの気配が、薄くなった感じです。
そのあいだ、テレビはずっと点いていました。
年越しの番組の音が、やけに遠く聞こえました。
私は、こたつのコードを握っていました。
握っていた指の跡が、しばらく消えませんでした。
最後の一回が、途中で切れたような終わり方でした。
四回そろわずに、三回で終わったのです。
谷本さんが部屋に来たのは、その十分後でした。
顔が、真っ白でした。
※
坂の町の暮らし
尾道の斜面地に住んだことのない方には、少し説明が要ると思います。
山が海のすぐそばまで迫っています。
家は、その斜面に段々に建っています。
道路は、下の通りまでしか来ません。
そこから上は、細い石段と路地だけです。
自転車は使えません。
買い物は、両手にぶら下げて上ります。
灯油のポリタンクを運ぶ日が、いちばん憂鬱でした。
路地には、猫がたくさんいます。
日中は、どこの家の塀にも寝ています。
浜本荘は、その斜面の中ほどにありました。
木造二階建てで、外壁は板張りです。
部屋は四畳半に小さな台所がついた造りでした。
家賃は、月に一万八千円です。
窓から、向島と、そのあいだの水道が見えました。
夜になると、造船所の灯りが水面に伸びます。
私は、その眺めが好きで、あのアパートを選びました。
※
住みはじめてから気づいたこと
いま思えば、前触れはありました。
入居したのは、その年の四月です。
五月の終わり頃から、夜に足音が聞こえるようになりました。
石段を上ってくる音です。
途中で、必ず止まります。
下りていく音は、しません。
はじめは、酔った人が休んでいるのだと思っていました。
夏になって、洗濯物のことに気づきました。
二階の廊下の端に、物干しがあります。
朝、干した順番が入れ替わっていることがありました。
取られてはいません。
裏返ってもいません。
ただ、並びが違うのです。
隣の部屋は、辻本くんという同じ大学の子でした。
一度、廊下で立ち話をしたときに、訊いてみました。
「夜、階段の音せん」
「するよ」
「途中で止まるよね」
辻本くんは、少し困った顔をしました。
「止まるところ、決まっとるじゃろ」
私は、答えられませんでした。
そこまでは、数えていなかったからです。
辻本くんは、それ以上は言いませんでした。
※
戻り叩き
年が明けて、私は大家さんの家へ行きました。
伊予田さんという、七十くらいの方です。
坂の途中の、古い平屋に住んでいました。
私が話すのを、最後まで黙って聞いていました。
それから、こう言いました。
「あんた、戻り叩きを知らんかったんじゃね」
聞いたことのない言葉でした。
この坂の家は、大晦日の晩だけ、戸を内から四つ叩いてから閉めるのだそうです。
叩いて、それから閉める。
順番が決まっています。
「叩かれたら、返して叩く」
伊予田さんは、そう言いました。
「返さんうちは、開けん」
私は、返していませんでした。
叩き返さないうちは、戸を開けてはいけないのでした。
「開けとったら、どうなるんですか」
伊予田さんは、答えませんでした。
湯呑みを置いて、話を変えました。
※
五十一段と五十二段
その日の帰り、私は石段を数えました。
下から上まで、五十二段ありました。
次の日、また数えました。
五十一段でした。
数え間違いだと思って、三度数えました。
五十一です。
その次の日は、五十二でした。
週に何度か、入れ替わります。
規則性は、見つけられませんでした。
伊予田さんの帳面には、五十一段と書いてありました。
市の台帳でも、五十一段だそうです。
私が数えて五十二になる日は、どこかに一段、多いことになります。
どこが増えているのかは、わかりませんでした。
数えている最中は、増えたところに気づかないのです。
上りきってから、合わないと気づきます。
※
止まる段を数えました
辻本くんに言われてから、私は足音の止まる場所を確かめるようになりました。
音が聞こえたら、布団の中で数えます。
一段ごとに、間があります。
だいたい、一秒に一段です。
三十七で止まる晩がありました。
四十四で止まる晩もありました。
ばらばらだと思っていました。
ところが、ノートに書き出してみて、気づきました。
止まる段の数を足すと、必ず五十二になるのです。
三十七で止まった晩は、その一時間後に、十五段ぶんの音がしました。
四十四の晩は、あとから八段です。
一晩で、必ず上りきっています。
途中で止まっているのではありません。
休んでいるのです。
そして、五十一ではなく、五十二でした。
市の台帳にない一段を、数に入れて上っています。
私は、それに気づいてから、夜中に数えるのをやめました。
やめても、音は続きました。
※
谷本さんが見たもの
あの晩のことを、谷本さんが話してくれたのは、二月に入ってからです。
駅前の喫茶店でした。
「言うたら、あんたが住めんようになると思うて」
そう前置きをしてから、話しはじめました。
谷本さんは、下の通りに原付を停めたそうです。
そこから石段を見上げました。
浜本荘の玄関の電球は、いつも点いています。
その光の中に、何かが動いていました。
「上のほうじゃったよ。もう、あと十段くらい」
手と膝をついていたそうです。
「人の形はしとった」
ただ、上る速さが、人ではありませんでした。
一段ずつではなく、一段のところで何度も手を出していたといいます。
「同じ段を、なんべんも触っとった」
数えているように見えた、と谷本さんは言いました。
そして、私の部屋の戸を叩く音が、下まで届いていたそうです。
「叩いとるもんは、上におった」
「じゃあ、階段のは」
「別じゃろ」
私は、そのとき初めて、二つあったのだと知りました。
※
柱の刻み
三月に、部屋の畳を替えることになりました。
畳屋さんが来て、家具をどけました。
そのとき、玄関の内側の柱に、細い刻みがあるのを見つけました。
横に一本ずつ、短い線です。
鑿ではなく、小刀で付けたような跡でした。
私は、隣の部屋の人に頼んで、見せてもらいました。
隣も、同じ場所に刻みがありました。
四本です。
その隣も、四本でした。
六部屋のうち、五部屋が四本です。
私の部屋の柱にだけ、刻みが八つありました。
※
上がり口は二つあった
伊予田さんに、刻みのことを訊きました。
そのとき初めて、旅館だった頃の見取図を見せてもらいました。
昭和三十年代のものです。
紙が茶色くなって、折り目が切れかけていました。
建物の下のほうに、注記がありました。
「上がり口 二」
いま、浜本荘の上がり口は一つです。
石段を上って、玄関へ入る。それだけです。
もう一つは、山側にあったそうです。
裏の斜面から、直接あがれる木の階段でした。
昭和四十年代の土砂崩れで、埋まりました。
そのまま、直していません。
「上がり口が減ったら、どうなるんですか」
伊予田さんは、しばらく黙ってから言いました。
「減らんのよ」
「でも、埋まったんですよね」
「埋まっても、減らんのよ」
私の部屋は、埋まった階段のちょうど上でした。
窓を開けて下を覗くと、笹が生い茂っています。
その下に、埋まった段があるはずでした。
私は、一度だけ、その笹をかき分けて下りたことがあります。
一メートルほど下に、石の角が出ていました。
手のひらで、土をどけました。
三段まで出したところで、やめました。
それ以上は、掘ってはいけない気がしたのです。
※
辻本くんが出ていった日
年が明けて、一月の半ばに、辻本くんが引っ越しました。
急な話でした。
後期の試験の前です。
荷物を運び出す日に、廊下で会いました。
「もう帰るん」
「実家から通う」
三原からでは、片道一時間半かかります。
私は、理由を訊きませんでした。
辻本くんのほうから、こう言いました。
「三十一日、叩かれた」
「うちも」
「返した」
私は、驚いて顔を上げました。
「知っとったん」
「じいちゃんが、この町の人じゃけえ」
返したのに出ていくのか、と訊きました。
辻本くんは、荷物を持ち上げながら答えました。
「返したら、来年も来るじゃろ」
それだけ言って、石段を下りていきました。
※
宿帳の一行
伊予田さんは、旅館の頃の宿帳も持っていました。
大学ノートを綴じたような、粗末なものです。
十二月の頁を繰ってもらいました。
毎年、三十一日の欄に、同じ一行があります。
「戸叩き 返し 済」
昭和三十四年から、途切れずに続いていました。
字は、代々変わります。
先代の女将から、伊予田さんへ。
そして、平成三年で終わっていました。
旅館をやめて、アパートにした年です。
「もう、書かんようになったんですか」
「書く者がおらんようになった」
アパートの住人は、みんなよそから来た学生です。
戻り叩きを知りません。
知らない者が住むと、どうなるか。
伊予田さんは、そこで初めて、はっきり言いました。
「知らん部屋から、順に叩かれる」
※
三回で終わった意味
私は、あの晩の終わり方を思い出しました。
最後の一回が、四回そろわなかったことです。
三回で切れました。
谷本さんは、そのとき石段の下にいました。
電話をしながら、無意識に段を数えていたそうです。
「一、二、三って、口に出しとった」
あとで、そう言っていました。
怖くて、数えるしかなかったのだといいます。
伊予田さんの話では、四つ足で上がってくるものには、段の数を数えさせてはいけないのだそうです。
数え終える前に戸が開けば、そこが上がり口になる。
逆に言えば、数え直させれば、上がりきれません。
谷本さんが下から数えたことで、数が合わなくなったのだと思います。
あの晩、石段が五十二段だったのか、五十一段だったのか。
それは、いまも確かめようがありません。
※
八つの刻みが意味していたこと
柱の刻みのことも、伊予田さんが教えてくれました。
四本は、その部屋が受け持つ叩きの数です。
戻り叩きを四回する。だから四本。
私の部屋だけ、八本ありました。
埋まった上がり口の分を、上にある部屋が引き受けていたのです。
「あんたの部屋は、二軒ぶんじゃ」
そう言われました。
知らずに、私は一年近く、そこに住んでいました。
大晦日に、一度も叩き返さないまま。
私は、その春に引っ越しました。
伊予田さんは、止めませんでした。
ただ、出ていく日に、こう言いました。
「よそへ行っても、大晦日は叩きんさい」
※
伊予田さんは、その三年後に施設へ入りました。
お見舞いに行ったとき、宿帳のことを訊きました。
もう手元にはない、と言われました。
「燃やした」
「なんでですか」
「書いてある年より、書いてない年のほうが多うなったけえ」
その言い方が、どういう意味なのか、私にはわかりませんでした。
いまも、わかりません。
※
いまも叩いています
浜本荘は、平成の終わりに取り壊されました。
いま、あの場所は空き地です。
石段だけが残っています。
去年の夏、久しぶりに尾道へ行って、数えました。
五十二段でした。
建物がなくなっても、段は減っていません。
私は、いま広島市のマンションに住んでいます。
大晦日の晩は、必ず玄関の内側を四回叩いてから、鍵をかけます。
家族には、実家の風習だと説明してあります。
叩くと、返ってくることがあります。
いつもではありません。
三年に一度か、二度です。
はじめの頃は、叩いてから、しばらく間がありました。
五秒か、十秒か。
それが、少しずつ短くなっています。
去年は、私が四回目を叩き終わる前に、返ってきました。
三回目と四回目のあいだに、割り込むように鳴りました。
私は、四回目を叩けませんでした。
今年、どう叩けばいいのかを、考えています。
伊予田さんに訊けば、答えを知っていたと思います。
返ってくる音が、年々、早くなっています。
坂を上ってくるものの話は坂を駆け上がるものに、段を上り下りするものの話は非常階段にも書いています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。