ある神父の息子の恐怖体験

公開日: 心霊体験 | 怖い話

悪魔の書

中学生の頃、俺は横浜に住んでいた。

親父は地元の教会で神父をしており、性格は聖職者らしからぬざっくばらんとしたものだった。信者たちからの人望も厚かった。

信仰熱心な家庭というわけでもなく、家での習慣といえば、食事の前に短い祈りを捧げるくらいだった。

俺たち家族は、そんな平穏な日々を過ごしていた。

ある日、姉貴がアンティークショップで古書を手に入れてきた。

それはファッション雑誌ほどのサイズの分厚い洋書で、見た目からして古びており、いかにも曰く付きといった雰囲気を醸していた。

姉貴は筋金入りのオカルトマニアで、よく奇妙なものを収集していた。

それについて、親父はたびたび「聖職者の娘がそんな趣味に走るとは……」と嘆いていた。

中には「これは家に置いておくな。今すぐ処分しろ」と、親父が本気で止めに入る物もあった。

今回の本も、どうやら「悪魔を召喚する儀式」が記されたオカルト書だったようだ。

その晩、姉貴は俺を無理やり巻き込み、儀式の一部を試していた。

「どうせ何も起こらないだろ」と軽い気持ちで30分ほど試してみたが、何も起きなかった。

俺たちは拍子抜けして、テレビをつけて別のことを始めた。

夜になって親父が帰宅した。

玄関をくぐるなり、鼻をひくつかせてこう言った。

「……なんだ、この獣の臭いは? 犬でも連れ込んだのか?」

すぐに姉貴の部屋に向かい、例の古書を見つけた。

「A子、来なさい!!」

親父は怒気をはらんだ声で叫び、俺と姉貴は慌てて駆けつけた。

「お前、この本の正体を知っているのか?」

「ただの西洋の交霊術の本でしょう?」

「馬鹿者!! これはただの交霊術書じゃない。

このカバーは……人皮だ。しかも書かれているのは、邪悪な黒魔術、それも本物の“呪い”だ」

親父の顔が蒼白になっていた。

「これはアンチキリストの信奉者が、意図的に“悪魔の力”を封じた書物だ。

人皮で装丁するような者がどんな目的で作ったか……考えるだけでもおぞましい」

そう言って、親父は本を持ち去り、近くの教会へ向かった。

1時間ほどして帰ってきた親父は、開口一番こう言った。

「臭いが……まだ残っている。まさか、お前たち、あの本に書かれていたことを何か試したのか?」

姉貴は観念したようにうつむいてうなずいた。

その瞬間、親父の平手が姉貴の頬を打った。

「興味本位で触れるなと、何度言ったらわかる!」

それでも怒鳴ることなく、親父は静かに続けた。

「明日、B輔(俺の名前)と一緒に教会に来なさい」

その日はそれで終わった。

深夜三時すぎ。

トイレに起きた俺は、家の中を歩き回るような足音に気がついた。

親父か姉貴だろうと思っていたが、玄関のチャイムが三回鳴った。

こんな時間に来客などあるはずがない。

不審に思いながら玄関を確認するが、誰の姿もなかった。

戻ろうとした瞬間——

「コンコンコン」

トイレの内側からノックの音。

誰も入っていない。

次は台所から「ピシッ」という乾いた音が三度鳴った。

俺の全身に冷たいものが走った。

すると階段を下りてきた親父が言った。

「……悪魔は“3”という数字を好んで使う。まだ進入段階だ。制圧段階に入る前に——」

「ぎゃああああああああッ!!」

その言葉をさえぎるように、姉貴の絶叫が2階から響いた。

急いで姉の部屋に駆け上がると、異様な光景が広がっていた。

ベッドに座る姉——のような存在。

全身を震わせ、全てが黒目の瞳。舌が異様に長く、訳のわからぬ言葉を絶叫していた。

「B輔! すぐに手足を縛れ!」

親父はそう言い放ち、俺と共に姉を教会へと運ぶ準備を始めた。

ランクルの中でも姉は暴れ続け、親父は静かに言った。

「これは……憑依だ」

「叫んでるの、何語?」

「……おそらくヘブライ語だ」

教会へ向かう道中、三度黒猫を轢き、信号は異常な速さで変わり、エンストも三度起こった。

すべて「3」にまつわる不吉な現象だった。

何とか教会にたどり着き、親父は姉を椅子に縛りつけると、奥から儀式用の道具を取り出してきた。

悪魔祓い——エクソシズムが始まった。

聖水を振りかけられた姉の体が大きくのけぞり、ラテン語で怒号を放った。

「私たちが王になれなかったのは、あの女のせいだ」

「イエスが死ななければ、我らが支配者になっていた」

それは、聖書の根幹を否定するような言葉だった。

「……汝の名を名乗れ!!」

親父が叫ぶと、姉はわけのわからない言語で応じた。

やがて、親父が姉の額にキリストの聖遺布の断片を押し当てたその瞬間——

姉はロープを引きちぎり、

「お前らは8月に死ぬ!!」

と絶叫した。

その声に呼応するかのように、教会の窓という窓が、

「コツコツコツコツ……」

一斉に鳴り出した。

窓の外には、数え切れないほどのカラスが——

その嘴で一斉に窓を突いていた。

俺の意識は、そこで途切れた。

目が覚めたのは病院のベッドの上。

姉は肩を脱臼していたらしく、俺は貧血との診断だった。

親父の話によれば、姉から悪魔は離れ、今は安全だという。

「8月って言ってたけど、大丈夫なの?」

「大した悪魔じゃなかった。下級の捨て台詞だ。気にするな」

「悪魔って……本当にいるの?」

「わからん。だが、たしかに“ああいうもの”は存在する」

「じゃあ完全に憑依されたら、どうすればいい?」

「……その時は、逃げろ」

それから数年が経ち、姉は結婚し、子供も生まれた。

忌まわしき刻印も現れることなく、平穏な日々を送っている。

だが、先日——

3歳になった息子が、何の前触れもなくこう言ったという。

「ママ、海に行くのはやめようね」

8月の予定だった、家族旅行の行き先は、海だった。

関連記事

巨頭オ

巨頭オ ― 二度と訪れてはならない村

ある日、男はふと、かつて訪れた小さな村のことを思い出した。 それは数年前、一人旅の途中で立ち寄った、小さな旅館のある村だった。 静かで穏やかで、そしてなによりも、心のこも…

ゲシュタルト崩壊

家に姿見のような大きめの鏡がある方は一度試して貰いたい。 鏡に映った自分を見ながら「お前は誰だ」と言ってみてください。 いえ、お化けとか幽霊だとかそういう類のモノではないん…

冬の村(フリー素材)

奇妙な風習

これは私の父から聞いた話です。 父の実家は山間の小さな村で、そこには変わった習慣があったのだそうです。 それは、毎年冬になる前に行われる妙な習慣でした。 その頃になる…

異世界

記憶が違う男

毎年、夏になると、地元に帰省して高校時代の仲間5人で集まっている。 今年も例年どおり集まったのだが、ひとつだけ、どうにも説明のつかない出来事があった。 誰かに聞いてもらい…

幽霊船

これは、もう亡くなった曾祖父に聞いたお話です。 曾祖父が亡くなる数ヶ月前、どうしたことか、親戚を集めて色々な話を聞かせてくれたのです。 私の実家は鹿児島県のとある離島なんで…

立ち入り禁止の波止場

友達の怖い話。 仮にK君としよう。彼は沖縄出身で、若い頃は結構やんちゃなやつ。 「本当におばけなんかいるのか? じゃあ、試してみよう」なんて言うやつだった。 例えば夜…

顔を両手で覆う人々

人混みに紛れて妙なものが見えることに気付いたのは去年の暮れからだ。 顔を両手で覆っている人間である。ちょうど赤ん坊をあやすときの格好だ。 駅の雑踏の様に絶えず人が動いている…

渓流釣り(フリー写真)

一人で泳いでいる男の子

去年、梅雨の終わり頃に白石川へ渓流釣りに行った時の事。 午前4時くらいに現地に到着して準備を終えました。 そして川に入ろうとした時に、川の方から子供の声が聞こえるのです。…

電車

溜まりやすい場所

高校一年生の時、電車でヤバそうなものに出会した話。 当時ピカピカの新高校生だった俺は遠距離通学をしていて、2時間ある通学時間の内、殆どは電車に乗って過ごしていた。 もちろん…

和室(フリー写真)

連鎖と数珠

一年経ってようやく冷静に思い出すことができるようになった出来事がある。 去年のちょうど今頃の話だ。 その日は金曜日で、俺は会社の同僚数人と何軒かの店をハシゴして、すっかり良…