奴が来る

奴が来る

これは実際に起きた事件にまつわる、生存者の証言をもとにした話である。

「大雪山ロッジ殺人事件」として、過去に北海道新聞にも掲載された記録が存在する。

本稿で語るのは、その唯一の生き残りとされる男性の口から語られた証言である。

それが真実なのか、それとも精神を病んだ者の妄言なのかは、読み手に委ねるしかない。

※

男がその奇妙な体験に巻き込まれるきっかけとなったのは、札幌市中央区にある古びた古本屋を何気なく訪れた時だった。

店内の一角で手に取った一冊の本の間から、一冊の大学ノートが落ちた。

拾い上げ、ふとページをめくった瞬間、男は身震いした。

そこには狂気に満ちた文字が、びっしりと綴られていた。

『奴が来る 奴が来る 奴が来る…』

そしてその後には、

『もう自分で命を断つしかないのか…

助けて 助けて 助けて…』

と延々と繰り返されていた。

※

気味が悪くなった男は、店主に問いかけた。

「これ…なんですか?」

店主は明らかに動揺し、「ああ、それは売り物じゃない」と、ノートを取り上げてしまった。

帰宅した後も、男はノートの内容が頭から離れなかった。

“奴”とは誰なのか。

書いた人物は今も生きているのだろうか――。

※

翌日、男は再び古本屋を訪ねた。

そしてその後、一週間にわたって通い続けた末、ついに店主は根負けし、重い口を開いた。

「あんた…そんなに知りたいなら、8月23日に大雪山の五合目にあるロッジに泊まってみるといい。

ただし…後悔しても、わしゃ知らんよ」

その言葉に男は抗えなかった。

友人4人(男3人・女2人)を誘い、8月23日、彼らはロッジを目指して登山を開始した。

登山そのものは順調で、何の異変も起こらなかった。

ロッジに到着すると、女たちは「お茶を淹れてくるね」と言い、男たちは寝室へ向かった。

※

しばらくして、ドアの外から女の声が聞こえた。

「お茶、持ってきたよ。開けて」

ドアのそばにいた男が手を伸ばして開けた瞬間――

「ゴトッ!」

首が落ちた。

だがそこには、男の体に乗った“女の生首”があった。

首の付け根からは血が噴き出し、目だけが恨めしげにこちらを見つめていた。

女の生首は手に何かを持っており、次の瞬間、部屋の中央にいた別の男の首も、容赦なく切り落とした。

窓際にいた男(登山を提案した本人)は、とっさに窓から飛び降りて逃げ出した。

※

助けを求めた登山者と共にロッジへ戻ると、そこには女二人の首を切り落とされた遺体があった。

通報を受け、警察が現場へ駆けつける。

調査の結果、遺体の切断面は非常に鋭利で、ほとんど出血も見られなかった。

凶器は不明、そして四人の“首”だけが見つからなかった。

事件は迷宮入りとなった。

※

生き延びた男は病院へ搬送されたが、精神的ショックは深く、やがて旭川の精神病院に収容されることとなった。

ある日、病室にいた男の元に、看護師が点滴の交換に訪れた時のことだった。

「コンコン」

ドアの外から、女の声がした。

「入院している者の母でございます。荷物を持ってきたので、開けていただけませんか」

母親の声だった。

だが男はその瞬間、異変に気づいた。

母は東京にいたはず。

旭川まで、誰がどうやって連絡したのか?

そして何より、あの“奴”は自らドアを開けることはできず、人の手によってのみ入ってくる――。

男は叫ぼうとした。

「開けるな! そいつは違う!」

しかし声は出なかった。

次の瞬間、「ゴトッ…!」という鈍い音が響いた。

※

以来、男は重度の精神障害を発症し、鉄格子付きの病室で暮らしている。

そして今日もノートにこう書き続けているのだ。

『奴が来る 奴が来る 奴が来る 奴が来る…』

それは、あの古本屋にあったノートの主と、まるで同じ狂気の言葉だった。

※

この話を私が初めて聞いたのは、ある深夜のことだった。

友人2人と談笑しながらこの怪異を語っていた、その瞬間――午前5時を回った頃、インターホンが鳴った。

玄関の前から聞こえてきた声は、東京に就職したはずの友人・祐司のものだった。

「おい、俺だよ、祐司だよ!開けてくれよ!」

さすがに全員が青ざめた。

鍵を開けていたため、「開いてるよ」と返すと、こう返ってきた。

「お土産、たくさん抱えててさ……なあ、開けてくれよ!開けてくれよ!」

不審に思った私たちは、裏口から声をかけた。

「祐司、ドア壊れたみたい。裏から入って」

それでも結局、誰も入ってはこなかった。

※

午前10時、私たちは祐司本人に電話をかけた。

「今? 東京にいるけど、何かあった?」

その言葉を聞いた瞬間、私たちは本物の恐怖に包まれた。

あれは何だったのか――

今も分からない。

ただ、もう誰かのために「ドアを開ける」ことだけは、絶対にしないようにしている。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

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