蔵頭の六郎さんは、洗い場のいちばん端の樽を、いつも口を西へ向けて置いた。
ほかの樽は、全部東である。
それが、あの蔵の決まりだった。
理由を訊いたのは、入って三日目だった。
「東は、朝が来る方や」
それだけ言って、六郎さんは次の樽に移った。
端の一本のことは、答えなかった。
※
昭和五十三年の秋、私は十九だった。
高校を出て一年、家で何もせずにいたところを、親戚に叱られて働きに出た。
働き先は、鳥取の倉吉にある醤油の蔵だった。
柏屋という。
玉川という細い川に沿って、白い壁の土蔵が何棟も並ぶ町だ。
川には鯉がいて、蔵の裏の石段まで上がってくる。
蔵は、その町並みのいちばん奥にあった。
門をくぐると、まず匂いに殴られる。
甘いのに、鼻の奥がひりつく匂いだ。
あれは、慣れるまでに二週間かかった。
仕込みの木桶が、八本あった。
背が私の倍ほどある。
上から覗くと、黒い面がゆっくり息をしていた。
泡が一つ、上がって、消える。
それを見ていると、時間の感じがおかしくなった。
※
蔵の一日は、朝の櫂入れから始まる。
長い柄のついた櫂を桶に差して、諸味を混ぜる。
上と下を入れ替えてやるのだ。
混ぜすぎると味が浅くなると教わった。
何回混ぜるかは、桶ごとに違う。
昭三さんは、櫂の手応えでそれを決めていた。
「今日はこの桶、機嫌がええわ」
そんな言い方をする人だった。
朝の櫂入れが終わると、賄いの飯になる。
蔵の隅の板の間で、鍋をつついた。
寒い時期は、飯の上に熱い醤油をひとまわしかけて食う。
あれが、私の十九の冬の味である。
私は蔵の裏の下宿にいた。
二階の四畳半で、窓を開けると玉川が見えた。
夜、川の音のあいだに、蔵のほうから木の鳴る音がした。
桶が締まる音だと、昭三さんは言った。
「冬は木が縮むけえ、鳴るんよ」
それも筋が通っていた。
あの蔵では、たいていのことに筋が通っていた。
筋が通っていることの気味の悪さを、私はあとで知る。
※
私に最初に割り当てられた仕事は、樽洗いだった。
あの頃、醤油はまだ量り売りが残っていた。
町の小売や旅館に、一斗樽を貸す。
中身が空になったら、返してもらって洗い、また詰めて出す。
それを貸し樽と呼んだ。
洗い場は、蔵の北側の土間である。
井戸から引いた水が、一日じゅう細く出ていた。
冬は、手が三十分で痛みを忘れる。
痛みを忘れると、指の腹の皮が薄くなったのが分からなくなる。
六郎さんは、それを見て私の手をつかんだ。
「痛うないんは、危ない証拠や」
それから、湯を張った桶を横に置くようになった。
あの人は、そういう人だった。
言葉は短いのに、翌日には物が増えている。
※
貸し樽の決まりは、二つだった。
一つ。返ってきた順に洗う。
二つ。返ってこん樽を、待たない。
「待つな」
六郎さんは、そこだけ強く言った。
「待った蔵は、返ってこん樽のほうが増える」
意味が分からなかった。
分からないまま、私は言われたとおりに手を動かした。
洗った樽は、伏せずに立てて、口を東へ向けて置く。
それも決まりだった。
「伏せたら、乾かんやろ」
そう説明された。
それは筋が通っていたから、私は納得した。
納得したので、端の一本の向きのことを、しばらく忘れた。
※
最初の違和感は、匂いだった。
十一月の終わりの朝である。
洗い場に入ったとき、まだ何も洗っていないのに、諸味の匂いがした。
仕込んだばかりの、若い匂いだ。
樽から出ていた。
端の、口を西へ向けた一本である。
覗いても、中は乾いていた。
指を入れて内側を撫でたが、何も付かなかった。
それでも、匂いだけがあった。
私は昭三さんに言った。
蔵で十年になる人である。
昭三さんは、私の顔を見ずに言った。
「そら、匂いは残るもんや」
「洗うても、木は覚えとる」
それで話は終わった。
筋は通っている気がした。
だから私は、その朝のことを日記にも書かなかった。
ただ、その日から一つ、気になることが増えた。
端の一本は、空なのに、担ぐと肩に来る。
ほかの空樽は、片手で持ち上がる。
あれだけは、両手で腰から上げないと動かなかった。
重さを量ってみたことがある。
帳場の秤に載せたら、ほかと同じだった。
目盛りは同じで、肩だけが違う。
それを昭三さんに言ったら、笑われた。
「若いうちは、そういう日もある」
※
次に気づいたのは、内側の輪だった。
樽の内側には、醤油が入っていた高さに染みが残る。
水位の輪である。
端の一本には、それが二本あった。
下の一本は、一斗の高さだった。
上の一本は、樽の口から指二本ほど下である。
つまり、ほとんど満杯まで入っていた高さだ。
うちの蔵では、一斗樽に一斗より多く詰めることはない。
詰めれば、運ぶ途中でこぼれる。
私は昭三さんに、もう一度訊いた。
「上の輪、なんですか」
昭三さんは、そのとき手を止めた。
止めて、少し考えて、こう言った。
「よそで、なんか入れられたんやろ」
「よそって、どこですか」
答えはなかった。
その頃から、洗い場の水の音が少しおかしくなった。
蛇口を締めると、音が一呼吸だけ遅れて止まる。
井戸から引いているので、管の中に残りがあるのだろうと思った。
けれど、ほかの蛇口はすぐ止まる。
端の一本の前にある蛇口だけが、遅れた。
もう一つある。
川の鯉のことだ。
あの川の鯉は、蔵の裏の石段まで上がってくる。
賄いの飯粒を投げると、水が沸く。
ところが、端の樽を石段の近くに出して干した日は、一匹も上がってこなかった。
二度やって、二度そうだった。
三度目はやめた。
時計のことも書いておく。
帳場と洗い場に、同じ型の柱時計が掛かっていた。
どちらも同じ日に入れたものだと聞いた。
暮れに近づくと、洗い場のほうが遅れた。
一日で二分ほどである。
私は毎朝、帳場のほうに合わせて直した。
直しても、次の朝には遅れている。
寒の入りに近づくにつれ、遅れが大きくなった。
最後の三日は、朝ごとに七分ずつ遅れた。
止まるのではない。
振り子は動いていて、時間だけが後ろへ寄る。
※
十二月に入って、桶屋の谷口さんが蔵に来た。
箍(たが)の締め直しに、年に二度来る人だ。
八十近いのに、背中が真っすぐだった。
私は端の一本を持って行って、見てもらった。
谷口さんは、樽を回して、輪竹の重なりを指でたどった。
それから、私を見た。
「これ、どこの樽や」
「うちのですけど」
「うちのじゃない」
言い方が、はっきりしていた。
輪竹の巻きが、この土地のものと逆なのだという。
倉吉の桶屋は、右から左へ巻く。
この樽は、左から右へ巻いてあった。
「日本海の向こう側の巻きや」
谷口さんはそう言って、それ以上は喋らなかった。
帰りぎわに、もう一つだけ言った。
樽の底板に、鉋をかけた跡がないのだという。
新しい樽の底は、必ず鉋で仕上げる。
この樽の底は、削らずに使ってあった。
「削らんと使うんは、急ぎのときだけや」
「よそから来て、そのまま詰めたんやろな」
私は、いつの話ですかと訊いた。
谷口さんは、指で天井のほうを指した。
「わしの親父の、前や」
帰りに、門のところで一度だけ振り返った。
「あんた、あれを西に向けとくんは、六郎さんか」
はい、と答えた。
谷口さんは、うん、と言って帰った。
※
年が明けて、私は帳場の手伝いに回された。
暮れの忙しさが抜けて、帳面を整える時期だった。
そこで、貸し樽台帳を見た。
和紙を綴じた、分厚いものである。
表紙の裏に、明治の年号が書いてあった。
貸した先、本数、返った日を、縦に書いていく形だ。
私はそれを一冊ずつ繰った。
すると、毎年ちょうど一行だけ、変わった書き方の行があった。
「貸一」
それだけ書いて、返った日の欄が空いている。
日付は、どの年も同じだった。
寒の入りの前の日である。
※
私は、それを返ってきた記録だと読んだ。
「貸一」を、貸していた一本が返ったという意味に取ったのだ。
返却の欄が空なのは、その場で洗って詰め直したからだと思った。
筋が通る。
通ると思ったので、私は当主の柏木さんに、こう報告した。
「毎年、寒の入りの前に、一本余分に返ってきてますね」
柏木さんは、湯呑みを置いた。
置いてから、長く黙った。
「余分に、返ってきとる、か」
「はい」
「君は、この帳面を、左から読んだか」
意味が分からなかった。
柏木さんは、帳面を引き寄せて、私の指を右端に置かせた。
「うちの古い帳面は、右から書く」
「返った日の欄は、こっちや」
右端の列が、返った日だった。
私が空だと思っていた欄は、貸した先の欄だった。
つまり、あの一行はこう読む。
貸した先は書かれていない。
返った日も、ない。
一本、貸した。それだけである。
※
返ってきていたのではない。
あの樽は、毎年、うちから一本ずつ出て行っていた。
私は帳場の畳に手をついた。
明治から数えて、八十年ぶんある。
どこへ出したかも、書かれていない。
「六郎さんに訊きなさい」
柏木さんはそう言って、帳面を閉じた。
閉じる音が、思ったより大きかった。
※
六郎さんは、洗い場にいた。
端の一本を、湯で流していた。
洗う必要のない樽である。
私が帳面のことを言うと、六郎さんは手を止めなかった。
「あんた、あれの向きの理由を訊いたな」
はい。
「東は朝が来る方や、言うたやろ」
言いました。
「西は、返す方や」
それから、口を西へ向けて置き直した。
「西へ向けとくんは、こっちに返す気があるという印や」
「こっちが返す気でおるうちは、向こうは急がん」
私は、向こうとは誰ですかと訊いた。
六郎さんは、湯を止めた。
止めたのに、水の音が一呼吸だけ続いた。
※
それから、六郎さんは短く話した。
明治の終わりに、この蔵は一度、樽を借りたのだという。
よその蔵からではない。
川の増水で桶が割れた年に、どこからか一本、樽が流れてきた。
それに詰めて出荷して、その年を凌いだ。
返す先が分からないまま、蔵は残った。
「借りたもんは、返さんといかん」
「返せんなら、毎年、代わりを一本出す」
それで八十年、続いているのだと言った。
私は、なぜ返さなくてよいと思わないのかと訊いた。
流れてきたものなら、拾ったのと同じではないか。
六郎さんは、首を振った。
「増水のとき、川から上がってきたんは、樽だけやない」
それきり、その話はしなかった。
あとで柏木さんに、明治の帳面の別の頁を見せてもらった。
川があふれた年の記録である。
その年の桶は、四本割れている。
割れた桶の分は、翌年に新しく作らせた記録があった。
樽の一本だけ、どこから来たのか書かれていなかった。
書いていないのではなく、書けなかったのだと思う。
「出した先は」
「分からん」
「じゃあ、どこへ出しとるんですか」
六郎さんは、洗い場の水口を見た。
井戸の水が、川へ落ちていく穴である。
私は、その穴を覗き込んだ。
石を積んだ暗い穴で、下のほうで水が鳴っていた。
樽が通る大きさではない。
六郎さんは、それを見ている私の肩を軽く叩いた。
「通る道を探しても、しょうがない」
「出るときは、出るんや」
それから、湯を張った桶を片づけはじめた。
話は終わり、という合図だった。
※
寒の入りの前の日、私は蔵にいた。
その日は、朝から人が少なかった。
昭三さんも、六郎さんも、朝の顔を見せなかった。
洗い場に行くと、端の一本がなかった。
前の晩、私は確かにそれを置いた。
戸締まりもした。
洗い場の戸は、内側から棒を落とす造りである。
朝、その棒は落ちたままだった。
落ちたままの戸を、私は外から開けたことになる。
それが、どういうことなのかは考えなかった。
考えないようにした、というのが正しい。
前の晩、寝る前に窓を開けたことも覚えている。
下宿の二階から、蔵の洗い場の屋根が見えた。
あの晩、その屋根の下に、明かりがあった。
洗い場に電球は一つだけで、紐で引く式である。
私は消して出た。
消したはずだと思いながら、私はそのまま寝た。
寝てしまえるのが、十九というものだった。
かわりに、輪竹だけが壁に立てかけてあった。
竹は、乾いていた。
私は、樽を担いだ覚えがない。
それなのに、その朝、掌に縄目の痕があった。
両手にある。
担いだときにできる、斜めの筋だった。
風呂から上がって石鹸で洗っても、夕方まで消えなかった。
帳場に戻ると、台帳のその年の頁に、一行増えていた。
「貸一」
字は、私の字だった。
※
六郎さんは、その年の春に蔵を離れた。
膝が悪くなって、里の家に帰った。
見送りに出たとき、あの人は私の手を見た。
掌のほうである。
「もう、あんたやな」
それだけ言って、バスに乗った。
その年の暮れに、昭三さんが一度だけこの話をした。
賄いの鍋をつつきながら、こう言った。
「わしはな、あれに触らんようにしとった」
十年いて、一度も端の一本を洗ったことがないのだという。
「洗うたら、覚えられる」
誰に、と私は訊かなかった。
訊かない代わりに、昭三さんの手を見た。
掌に、縄目の痕はなかった。
それで、私は納得してしまった。
帰り道、私は谷口さんの桶屋に寄った。
樽の輪竹の巻きの話を、もう一度聞きたかった。
谷口さんは、店の奥で竹を割っていた。
「逆巻きの樽は、わしも一つだけ見たことがある」
「若い頃にな。よそで見た」
どこですかと訊いたら、手を止めずにこう言った。
「上がったところや」
意味を訊き返したが、それきり答えなかった。
※
あれから四十年以上になる。
私は柏屋で蔵頭になって、数年前に退いた。
いまは、若い者が洗い場に立っている。
教えたことは、二つだけだ。
返ってきた順に洗う。
返ってこん樽を、待たない。
それと、端の一本のことである。
あの一本は、いまも洗い場の端にある。
私が置いた。
口は、西へ向けてある。
※
寒の入りの前の日だけ、あの樽から諸味の匂いがする。
洗っていない樽である。
内側は、乾いている。
若い者が首をかしげるので、木は覚えとるんや、と答えている。
昭三さんが私に言ったのと、同じ答え方になった。
台帳の頁は、私はもう繰らない。
何行あるかを、確かめない。
確かめないほうがいいと、いまは分かる。
あの帳面は、右から読むのだから。
若い者には、帳面の読み方だけは教えた。
右から読む、ということを。
読み方を知らないままだと、いつか私と同じ勘違いをする。
勘違いをした年に、その人の字で一行増える。
それだけは、避けてやりたかった。
寒の入りの前の日は、洗い場に入らせないことにしている。
理由は言っていない。
言えば、覗きに来るだろう。
十九の私なら、間違いなくそうした。
右から読めば、いちばん新しい一行が、いつも手前に来る。