昭和五十四年の秋のことだ。
私は十七で、夜間の高校に通っていた。
昼は、人形の町の問屋で荷造りをしていた。
北関東の、川に沿って細長く伸びた町だ。
雛人形の頭を作る職人が、当時はまだ二十軒ほど残っていた。
頭というのは、人形の顔の部分をいう。
桐の粉を膠で練って型に詰め、乾かして、胡粉を塗り重ねる。
町の空気は、いつも桐の粉の匂いがした。
乾いた、粉っぽい、少し甘い匂いだ。
学校は九時半に終わる。
自転車で川沿いの道を四十分こいで帰る。
街灯は、橋のたもとに一本あるきりだった。
問屋の仕事は、単純だった。
頭師の家を回って、出来上がった頭を集める。
綿を詰めた箱に並べて、荷札をつける。
それだけだ。
頭は、一箱に二十四入る。
数を数え間違えると、主人にひどく叱られた。
「人形の数だけは、絶対に間違えんな」
理由は教えてもらえなかった。
私は、数の合わない箱を出したことが一度だけある。
二十五入っていた。
主人は箱を開けて、しばらく黙って中を見ていた。
それから、一つを取り出して、新聞紙にくるみ、事務所の金庫にしまった。
翌日、金庫の中は空だった。
私は、それについて何も聞かなかった。
その道で、下宿の婆さんに一度だけ言われたことがある。
「道で人形を拾うたら、名をつけたらいけんよ」
私は笑って聞き流した。
婆さんは笑わなかった。
「名をつけたら、それはお前の身代わりになるすけ」
この町では、そういう言い方が普通にあった。
人形は身代わりだ、というのは、雛人形そのものの由来でもある。
形代を川に流して、厄を持っていってもらう。
それが元だと、問屋の主人にも教わった。
「だから頭だけは、絶対に川さ流しちゃいけねえ」
主人はそう言った。
「流した頭は、いつか誰かの顔になって戻ってくる」
下宿は、問屋から歩いて五分の、二階建ての古い家だった。
婆さんは一人で住んでいて、部屋を三つ貸していた。
私のほかに二人いたが、どちらも半年ほどで出ていった。
出ていく理由は、どちらも言わなかった。
婆さんは、それについても何も言わなかった。
夕方になると、婆さんは玄関の三和土に塩を置いた。
盛るのではなく、うっすらと撒くだけだ。
「掃くのが面倒でないんですか」
一度そう聞いたら、婆さんは笑った。
「掃くために撒くんじゃ」
撒いて、朝に掃いて、また撒く。
それを毎日やっていた。
※
最初にその男を見たのは、十月の終わりだった。
橋を渡ったところで、前から何かが来た。
自転車のライトが弱いので、輪郭が分かるまで少し間があった。
男だった。
六十くらいだろうか。
背をひどく丸めて、何かを引いていた。
乳母車だった。
それも一台ではない。
四台か五台を、紐で繋いで、数珠のように引いていた。
古い型で、車輪が細く、木の部分が黒く光っていた。
軋む音が、一定の間隔で鳴った。
きい、きい、と鳴って、そのあいだに、乾いた粉のような音が混じった。
私は道の端に自転車を寄せて、やり過ごそうとした。
すれ違うとき、男はこちらを見なかった。
見なかったが、私の自転車の前籠を見た。
それははっきりと分かった。
籠には、教科書と弁当箱しか入っていない。
男の目は、そこで一度止まって、それから前に戻った。
私は、通り過ぎてから振り返った。
乳母車の中には、それぞれ何かが寝ていた。
布がかけてある。
一番手前の一台だけ、布がずれていた。
人形の頭だった。
胡粉の白い顔が、街灯の光を返していた。
この町では珍しくもない。
問屋の倉庫には、それが箱で積んである。
ただ、その顔は、雛人形の顔ではなかった。
※
二度目に見たのは、十一月に入ってすぐの晩だった。
場所は、前と同じ橋のたもとだ。
今度は、私のほうが先に音に気づいた。
きい、きい、という軋みが、川下から近づいてくる。
私は自転車を降りて、橋の欄干のかげに寄った。
男は、前と同じ速さで通った。
乳母車の数は、変わっているように見えた。
数えようとしたが、闇に紛れて途中で分からなくなった。
今度は、布はどれもきちんとかけてあった。
ただ、いちばん後ろの一台だけ、布が平らだった。
中に何も入っていない。
そのことだけは、はっきり分かった。
男は、その空の一台を、いちばん最後に引いていた。
※
雛人形の頭は、みな同じ年格好をしている。
十五、六の娘の顔だ。
眉が高く、口が小さく、頬が丸い。
そういうふうに型が決まっている。
乳母車の中にあった顔は、そうではなかった。
目尻に、細い皺が三本入っていた。
口の端が下がっていて、頬骨が出ていた。
四十を過ぎた男の顔だった。
胡粉は塗られていた。
髪もついていた。
けれど、その顔で雛壇に飾る人形は、この世に一体もない。
私は自転車を止めていた。
止めたことに、しばらく気づかなかった。
男は、もうかなり先まで行っていた。
乳母車の列が、街灯の光から出て、闇に入った。
軋む音だけが、しばらく残った。
次の日、問屋で主人にその話をした。
主人は、荷札を書く手を止めなかった。
「見なかったことにしとけ」
それだけだった。
私は食い下がった。
「あれ、うちの町の頭師さんですか」
主人は、ようやく顔を上げた。
「うちの町に、あの顔ば彫る職人はおらん」
「彫ったんじゃねえよ」
何を言われているのか、そのときは分からなかった。
主人は、それきり口をつぐんだ。
一週間ほどして、荷造りをしているときに、独り言のように言った。
「この町はな、頭の数が合わんときがあるんだ」
「合わんときは、たいてい、誰かが一人おらんようになっとる」
私は手を止めた。
「昔からですか」
「わしが子供の頃からだ」
「親父もそう言うとった」
主人は、それ以上は話さなかった。
かわりに、荷札を一枚くれた。
何も書かれていない荷札だった。
「持っとけ」
「これ、なんですか」
「名前ば書かんでええ荷札だ」
意味が分かったのは、ずっとあとだ。
※
異変は、そこから段を上がるように変わっていった。
最初は、音だった。
帰り道の同じ場所で、きい、きい、という音がするようになった。
男の姿は見えない。
音だけが、川のほうから聞こえる。
週に二度、三度と増えた。
次は、物だった。
十一月の頭、朝起きると、自転車の泥よけに白い粉がついていた。
桐の粉ではない。
指でこすると、ざらついて、少し湿っていた。
胡粉だった。
乾いた胡粉は、こすっても指につかない。
つくのは、塗ってすぐのものだけだ。
私は、前の晩に胡粉に触れていない。
※
三つ目は、人の口からだった。
十一月の半ば、下宿の婆さんが、風呂の焚き口の前で急に言った。
「お前、この頃、川の道ば通っとるかね」
「通ってます」
「そうかね」
婆さんは、それから木をくべながら、独り言のように続けた。
「昔、丑松さんいう頭師がおってな」
「腕はよかったが、ある年の秋から、いなくなったんじゃ」
「探したが、出てこんかった」
私は、乳母車の中の顔を思い出していた。
目尻の皺の入り方までが、はっきり浮かんだ。
「その人、いくつくらいで」
「四十四じゃ」
婆さんは、こちらを見なかった。
「その顔ば見たら、名を呼んだらいけんよ」
私は、その晩、なかなか眠れなかった。
三十年前にいなくなった人の顔が、なぜ胡粉で塗られているのか。
考えても、答えの出しようがない。
朝になって、婆さんに一つだけ聞いた。
「丑松さんは、頭を川に流したことがあるんですか」
婆さんは、火箸を置いた。
それから、初めてこちらを正面から見た。
「ようそんなことを思いつくね」
「一度だけ、あるそうじゃ」
「出来の悪いのを、まとめて流したと」
「その年の秋じゃ、いなくなったのは」
私は、返す言葉がなかった。
三つ目と四つ目のあいだに、もう一つあった。
時刻のことだ。
学校は九時半に終わる。
橋のたもとまでは、どんなに急いでも二十分はかかる。
その晩、私は九時半に校門を出て、橋のたもとで腕時計を見た。
九時三十四分だった。
時計は狂っていない。
翌朝、教室の掛け時計と合わせても、一分の違いもなかった。
私は、その四分をどこで使ったのか、いまも説明できない。
四分ではなく、十六分だ。
足りないほうではなく、余っているほうが問題だった。
四つ目は、紙だった。
十一月の終わり、町の広報が回ってきた。
薄い、両面刷りの紙だ。
裏面の下のほうに、尋ね人の欄があった。
古い欄で、何年も同じ人の名前が載り続けている。
その一番上に、写真があった。
男の顔だった。
目尻に、細い皺が三本入っていた。
口の端が下がっていて、頬骨が出ていた。
名前は、たしかに、それらしい二文字が並んでいた。
行方不明になった年は、昭和二十四年とあった。
三十年前だ。
写真の男は、そのとき四十四だった。
私は、その紙を持って問屋へ行った。
主人に見せると、主人は広報を裏返して、日付だけを見た。
「今月のか」
「はい」
「そうか」
それだけだった。
私は、堪えきれずに聞いた。
「この人、あの晩の乳母車にいました」
主人は、荷札を書く手を止めた。
止めたのは、その一度きりだ。
「見たんならな」
「もう、通らんほうがええ」
私は、次の日も、その道を通った。
ほかに道がなかった。
本当は、あったのかもしれない。
※
私は、その紙を折り畳んで、部屋の柱に画鋲で留めた。
なぜそうしたのかは分からない。
捨てたくなかったのだと思う。
その晩から、部屋の隅に、ひとつ置いてあった。
人形の頭だ。
胡粉の白い、まだ髪のついていないものだった。
問屋から持ち帰った覚えはない。
拾った覚えもない。
私は、それを窓際に置いて、しばらく眺めていた。
顔は、まだ描かれていなかった。
眉も、目も、口も入っていない。
のっぺりとした白い面だけがあった。
私は、その頭を、手のひらに載せた。
軽かった。
桐の粉と膠でできたものは、驚くほど軽い。
そして、私は言ってしまった。
「うし」
なぜその音が出たのかは、いまも分からない。
声に出したとたん、部屋の温度が下がったような気がした。
気がしただけかもしれない。
※
その次の週から、川の道で音がしなくなった。
男も見なかった。
胡粉もつかなくなった。
何も起こらない日が続いた。
私は、春に高校を出て、町を離れた。
頭は、下宿に置いてきた。
置いてきたつもりでいた。
荷物を解いたら、鞄の底に入っていた。
私は、それを机の抽斗にしまって、四十年、開けなかった。
※
四十年のあいだに、一度だけ、抽斗を開けかけたことがある。
娘が小学生の頃だ。
机を整理していて、鍵のかかっていない抽斗を見つけた。
「おとうさん、ここなに入ってるの」
私は、思ったより強い声で止めた。
娘は驚いて、それきり触らなかった。
妻には、古い仕事の道具だ、と言った。
嘘ではない。
私は、その晩、抽斗の前でずいぶん長く座っていた。
開ければ済むのだ。
開けて、川に返せばいい。
けれど、頭を川に流してはいけない、というのが、あの町の作法だった。
返す先が、初めからなかった。
※
去年、町から封書が来た。
問屋の主人の三回忌の知らせと、一緒に、町の広報が入っていた。
その人の娘さんが、律儀に送ってくれたのだ。
私は、懐かしくて、隅から隅まで読んだ。
裏面の下のほうに、尋ね人の欄が、まだあった。
昔と同じ体裁だった。
一番上の写真を見て、私は紙を取り落とした。
十七の私だった。
問屋の前で撮った写真だ。
半袖のシャツで、髪が短く、少し笑っている。
私がその写真を撮ったのは、十七の夏だ。
名前も、私の名前だった。
私は、震える手で、その欄の続きを読んだ。
尋ね人は、全部で四人載っていた。
一番古い人は、昭和二十四年からになっていた。
その次が、昭和三十八年。
その次が、昭和五十四年。
そして、いちばん下に、平成の年号が一つ。
四人だ。
私は、あの晩の乳母車の列を思い出した。
数えようとして、数えきれなかった列だ。
その下に、こう書いてあった。
昭和五十四年の秋から行方が知れない、と、私の顔の下に書いてあった。
私は、その年の春に高校を出て、この町を出た。
出たはずだ。
就職して、結婚して、子供も育てた。
四十年、一日も欠けずに、私はこちら側にいた。
記憶は、全部ある。
それなのに、あの町では、私は昭和五十四年の秋から見つかっていないことになっている。
※
机の抽斗を開けた。
頭は、まだ入っていた。
胡粉は四十年ぶんだけ黄ばんでいた。
顔は、描かれていた。
私は描いていない。
描いたのが誰かも分からない。
目尻に、細い皺が三本入っていた。
口の端が下がっていて、頬骨が出ていた。
四十を過ぎた男の顔だ。
それは、いまの私の顔ではない。
私は、もう六十を過ぎている。
その顔は、私が四十四だった年の顔だった。
私は、あの晩の婆さんの言葉をずっと思い違いしていた。
名をつけたら身代わりになる、と婆さんは言った。
私は、人形が私の身代わりになるのだと思っていた。
逆だったのだろう。
名をつけた側が、名をつけられた側になる。
そういうことなのだと思う。
思うだけで、確かめようがない。
※
私は、四人の年号をもう一度並べてみた。
昭和二十四年、昭和三十八年、昭和五十四年、そして平成の一つ。
間隔は、十四年、十六年、そのあとが二十いくつかになる。
規則があるようで、ない。
ただ、私が名を呼んだのは昭和五十四年の秋だ。
その年に、私は載った。
載ったのに、私は生きて、四十年働いて、家庭を持った。
辻褄が合わない。
合わないのに、紙のほうは平気な顔をして毎年配られている。
妻には、まだ話していない。
話しても仕方がないというより、話し方が分からない。
※
先週、川沿いの道を四十年ぶりに通った。
橋のたもとの街灯は、新しいものに替わっていた。
頭師の家は、もう一軒も残っていない。
桐の粉の匂いは、しなかった。
かわりに、橋の上で、きい、きい、と鳴る音がした。
振り返ったが、誰もいなかった。
私は、その音を聞きながら、ひとつだけ確かめたいことがあった。
乳母車は、あの晩、四台だったのか五台だったのか。
どうしても思い出せない。
思い出せないほうが、いいのかもしれない。
数が合わないということは、まだ一台、空いているということだ。
私は、机の抽斗を閉めた。
鍵はかけていない。
かけたところで、意味がない気がする。
四十年、あれは私の家にいる。
名を呼んだのは、私のほうなのだから。