その番組には、名前がなかった。
平成五年の秋の話だ。
私は当時十六で、山梨の盆地の隅の、小さな町に住んでいた。
夜になると、周りの山が空より黒くなる町だった。
家は祖母と両親と私の四人暮らし。
私の部屋は二階の角で、窓から町営公園の時計台が見えた。
当時の私の楽しみは、深夜のテレビだった。
父は農協勤めで、母は家で洋裁の内職をしていた。
祖母は明治の生まれで、夜が深くなると、家の中の音に厳しくなった。
祖母には、口癖がひとつあった。
夜のテレビは、向こうからも見えるでな。
意味を聞いても、そういうもんじゃ、としか言わなかった。
テレビが珍しかった時代の、田舎の迷信だと思っていた。
茶の間のテレビは家族のもので、私の部屋には、従兄のお下がりの十四型があった。
アンテナ線を差し込むと、ぶうん、と低く唸ってから点く、古い型だった。
親が寝静まった頃、音を絞って、チャンネルをゆっくり回す。
砂嵐と通販番組の間に、たまに拾いもののような映画があった。
その夜も、そのつもりだった。
※
最初に映ったのは、公園だった。
夕方とも朝ともつかない、薄い水色の光の中の公園。
実写ではなかった。
セル画のような、少し色の褪せた絵だった。
画面の手前に砂場、奥にブランコと、時計台。
子供が五人、遊んでいた。
奇妙なのは、その子供たちに、顔がなかったことだ。
描いていない、というのではない。
どの角度を向いても、ちょうど陰になって、見えないのだ。
服だけは、はっきり描かれていた。
五人とも、同じ形の、白い上着を着ていた。
音は、風の音だけ。
オープニングもタイトルも、ないまま始まっていた。
画面の下に、白い文字がひとつ出た。
ちゃんねるは そのままに、と白い文字が出た。
当時はどの局も、そんな文言をよく出していた。
だから何とも思わなかった。
子供たちは、ただ遊んでいた。
砂場に山を作り、ブランコを漕ぎ、時計台の周りを走った。
筋も台詞もない。
それだけの絵が、十五分続いて、ふっと切れた。
次の週も、同じ時間に、同じ公園が映った。
私はなぜか、毎週それを待つようになっていた。
学校で、それとなく聞いて回った。
深夜の公園のアニメを知っている者は、ひとりもいなかった。
クラスでいちばんテレビに詳しいやつも、首を横に振った。
「そんな枠、ないだろ」
「あるんだよ。木曜の一時十五分」
「録って持ってこいよ」
だが後日、教室のテレビにテープを入れても、砂嵐しか映らなかった。
家のデッキでは、ちゃんと映る。
あの番組は、私の部屋のテレビでしか、再生できなかった。
従兄のお下がりの、あの十四型でしか。
それが、録画を始めたもうひとつの理由だった。
※
おかしい、と最初に思ったのは、新聞のテレビ欄だった。
その枠だけが、空白だったのだ。
前の番組と後の通販の間に、十五分ぶんの白い隙間がある。
誤植だと思った。
だが翌週も、その次の週も、そこだけ白かった。
二つ目は、時計台だった。
画面の奥の時計台の針が、動いているのに気付いた。
アニメの背景の時計は、普通、止まっているものだ。
針は深夜一時十五分を指し、放送の間に、きっかり十五分進んだ。
念のため、昼間に公園の時計台を見に行った。
実物の針は、三年前から二時七分で止まっている、と町の人は言った。
予算がなくて直せんのだ、と。
止まった時計が、画面の中でだけ、動いている。
逆なら、まだ分かる話だった。
時報と比べたから、間違いない。
絵の中の時計が、こちらの時間で動いていた。
私は二週目から、ビデオに録るようになった。
確かめたいことが、増えていたからだ。
※
三つ目の異変は、そのテープで起きた。
録った翌日の夕方、同級生のケンジを呼んで、再生した。
砂場の山が、なかった。
放送では、確かに子供が山を作っていた。
私は前の晩、この目で見ている。
だがテープの中の砂場は、最初から最後まで、平らだった。
「山なんか、最初からないぞ」
ケンジは笑った。
「寝ぼけて見たんだろ」
「録ったのは昨日の夜だぞ。寝ぼけようがない」
「じゃあ巻き戻してみろよ」
何度巻き戻しても、砂場は平らだった。
ただ、ブランコだけが、誰も乗っていないのに、小さく揺れ続けていた。
テープを止めても、目の裏で揺れが残った。
その日の帰り、私たちは町営公園に寄った。
確かめたいことが、あったからだ。
公園は、画面の構図と寸分違わなかった。
手前に砂場、奥にブランコ、時計台。
そして、砂場の隅に、山があった。
子供の膝ほどの、固く締まった砂の山だった。
「近所のガキが作ったんだろ」
ケンジはそう言ったが、声が少し硬かった。
表面が乾いて白くなるほど、日を経た山だった。
放送は、二日前だ。
翌週、テープの中の砂場から山が消えていた朝、私は登校前に公園へ回った。
砂場は、平らに均されていた。
箒の目のような筋が、渦を巻いて残っていた。
町営公園の砂場を、誰がそんなふうに均すのか。
役場に聞く勇気は、なかった。
※
二週目の放送は、子供が四人だった。
数え間違いかと思い、録画で確かめた。
四人だった。
遊び方も、変わっていた。
走り回らなくなり、五人・・いや四人で輪になって座り、順番に空を見上げていた。
何を見ているのかは、映らなかった。
四人の白い上着が、薄水色の光の中で、ぼんやりと明るかった。
順番が一巡すると、四人は同時に、こちらを向いた。
顔は、やはり陰になって見えなかった。
ただ、見られている、とはっきり分かった。
時計台の針が、そのときだけ、止まっていた。
針が再び動き出すと、四人はまた、空を見上げる遊びに戻った。
そして私は、画面の奥に、家々の灯りがあることに初めて気付いた。
公園の向こうの家並みに、ぽつぽつと窓の明かりが点いている。
見ているうちに、その灯りが、順番に消えていった。
右から二軒目、次に角の家、それから三軒目。
三軒目は一度消えて、少ししてまた点き、それからまた消えた。
その順番に、覚えがあった。
うちの町内の、消灯の順番だった。
私の部屋から見える家々は、毎晩だいたい同じ順に暗くなる。
そして三軒目の田代さんの家は、風呂上がりのおばさんが台所に戻るので、一度点き直すのだ。
背中が冷たくなった。
画面の中の公園は、どこかの公園ではなかった。
うちの町の、あの公園だった。
※
翌朝、学校でケンジに言われた。
「おまえんち、ゆうべも点いとったな」
「何が」
「テレビ。夜中の一時過ぎ。おまえの部屋の窓、青う光っとった」
「昨日は録画だけして、消して寝た」
「嘘つけ。カーテンの隙間から、ちらちら見えとったぞ」
ケンジの家は、うちの斜向かいにある。
その晩、私はテレビの主電源を抜いて寝た。
朝、コンセントは抜けたままだった。
だがケンジは翌日も、同じことを言った。
「ゆうべも点いとったぞ。青いやつ」
私は見るのをやめようと思った。
三週目の木曜は、早めに布団に入った。
だが午前一時が近づくと、目が冴えて、どうにもならなかった。
見なければ、と思っていた。
見なければ、こちらが何をされているのか、分からないままになる。
廊下に出ると、茶の間から光が漏れていた。
祖母が、点いていないテレビの前に、座っていた。
「ばあちゃん、何しとるの」
祖母は画面から目を離さずに言った。
「音がしたでな」
消えたブラウン管には、祖母と私が、灰色に映っているだけだった。
祖母を部屋に戻し、私は二階へ上がった。
点けるまで、ずいぶん長いこと、迷った。
結局、点けた。
点けなければ、祖母の言う「向こう」に、こちらの都合は伝わらない気がした。
今思えば、あれが最後の機会だったのだろう。
チャンネルを、変えるか、消すかしておく最後の機会だった。
※
ビデオのカウンターにも、妙なことが起きていた。
十五分の番組を録ったはずが、カウンターは毎回、十七分回っていた。
再生しても、十五分で画面は切れる。
残りの二分は、砂嵐でもなく、黒画面でもなく、ただ、ない。
数字だけが、二分ぶん多い。
私は昼間、公衆電話から放送局に電話をかけた。
番組の名前が分からないので、曜日と時間を伝えた。
電話口の男の人は、少し黙ってから言った。
「その時間は、放送しておりません」
「毎週見てるんです」
「編成上、その枠は、空いております」
それきり、取り合ってもらえなかった。
図書館へも行った。
新聞の縮刷版で、一ヶ月ぶんのテレビ欄を繰った。
どの週も、あの枠だけが白かった。
活字の海の中の、十五分ぶんの空白は、思ったより目立たない。
毎週見ていなければ、誰も気付かない大きさだった。
空白とは、そういうものかもしれなかった。
※
町の電器屋の隠居に、タカギさんという人がいた。
若い頃、放送局の送信所で技師をしていた人だ。
テレビの調子を見てもらうふりをして、それとなく聞いてみた。
タカギさんは、ブラウン管を叩く手を止めた。
「坊、あれを見とるんか」
先に言ったのは、向こうだった。
「あの十五分はな、局は何も流しとらん」
「流しとらんのに、電波だけが出とる」
「わしらの頃からや。編成表は、あの枠だけ、ずっと黒う塗り潰してあった」
タカギさんは、一度だけ測定車で調べに行ったことがあるという。
「発信源はな、塔やなかった」
「町のほうから、出とった」
タカギさんが新米だった昭和三十年代、送信所には、申し送りがあったという。
木曜の深夜、あの周波数に触るな。
理由を先輩に聞くと、先輩はこう答えたそうだ。
「あれは、うちの電波やない」
「うちの周波数を、間借りしとるだけや」
局の開設より古くから、あの枠はあった、という者もいた。
テレビより古い電波が、どこにあるのか。
タカギさんは、それ以上は調べなかったそうだ。
調べた同僚が、ひとりだけいた。
その人は測定車ごと転勤になって、それきり年賀状も来なくなった、とだけ言った。
どの家か、とは聞けなかった。
タカギさんも、それきり口をつぐんだ。
帰り際、背中に一言だけかけられた。
「チャンネルは、変えんほうがええぞ」
※
三週目が、最後の放送になった。
公園には、誰もいなかった。
子供の姿が、ひとりも、ない。
砂場は平らで、時計台の針だけが動いていた。
ブランコが、二つ並んで、揺れていた。
風の音が、いつもより近かった。
十分ほど、それだけが続いた。
そして、画面が、動いた。
三週間、一度も動かなかった視点が、ゆっくりと横に流れ始めたのだ。
公園の柵を越え、水銀灯の下を過ぎ、坂道を上っていく。
私はその道を知っていた。
郵便局の角。
田代さんの家の生け垣。
斜向かいの、ケンジの家の塀。
毛布を握る手が、汗で滑った。
視点は、急がなかった。
歩く速さだった。
誰かが、夜道を歩いて、うちへ向かっている速さだった。
水銀灯の光が、画面の中で、ちらちらと瞬いた。
私は振り向いて、自分のカーテンを見た。
閉まっている。
隙間から、青い光が、廊下側の壁に揺れていた。
テレビの光だ。
そのはずだ。
画面に、目を戻した。
視点は路地の突き当たりで止まり、それから、ゆっくりと上を向いた。
二階の、角の窓。
画面の中に、私の部屋の窓があった。
カーテンの隙間から、青い明かりが、ちらちらと漏れていた。
外から、見上げる構図だった。
私が今、内側から見ているはずの窓を、何かが外から見上げていた。
画面の下に、白い文字が出た。
かえないで いてくれて ありがとうございました。
それで、終わりだった。
砂嵐にもならず、すとん、と通販番組が始まった。
※
私はテレビを消し、コンセントを抜き、朝までカーテンの前に座っていた。
カーテンを開ける勇気は、出なかった。
翌週から、その枠に番組が現れることは、二度となかった。
新聞の空白も、いつの間にか詰まっていた。
テープは三本とも、砂嵐だけになっていた。
カウンターの数字だけが、どのテープも十七分を差していた。
ケンジは、番組のことを覚えていなかった。
「公園のアニメ? 何だそれ」
おまえの家の青い明かりの話だぞ、と言っても、首をかしげるだけだった。
覚えているのは、私とタカギさんだけだった。
タカギさんは店を畳む前の年、私にぽつりと言った。
「まだ出とるよ、たまにな」
「今はどこの町か、知らんがな」
祖母は、番組が終わった次の年に、眠るように旅立った。
仏壇の整理をしていたとき、祖母の手文庫から、古い新聞の切り抜きが出てきた。
昭和二十九年の、地方版だった。
町営公園の完成を報せる、小さな記事だった。
写真の中の真新しい公園に、砂場と、ブランコと、時計台が写っていた。
そして砂場の隅に、小さな山が写っていた。
完成したばかりの、誰も遊んでいないはずの公園に、だ。
祖母がなぜ、その記事を仕舞っていたのかは、分からない。
夜のテレビは、向こうからも見えるでな。
あの口癖を、祖母がいつから言っていたのか、もう聞くことはできない。
※
あれから三十年になる。
私は今も、寝る前に必ずカーテンを閉める。
隙間を残さないように、端を重ねて閉める。
家族には、冷え性だからと言ってある。
深夜にテレビを消すと、消える寸前の一瞬、画面に薄い水色がよぎる気がすることがある。
公園の、あの光の色だ。
気のせいだと思うことにしている。
数年前、法事で町へ帰った。
公園は、まだあった。
砂場は使う子もないのか、雑草が縁を囲んでいた。
時計台は、とうに撤去されたと聞いていた。
だが、跡地のコンクリートの丸い土台だけが、妙に新しく見えた。
甥に聞くと、変なことを言った。
「夜になると、あそこだけ明るいんだよ」
「街灯もないのにさ」
薄い水色にね、と甥は言った。
私は、それ以上聞かなかった。
ただ、ひとつだけ、今も考えることがある。
あの番組は、私たちの町を、そっくりそのまま映していた。
消灯の順番も、風呂上がりの癖も、ブランコの揺れ方も。
だとすれば、あちら側から見れば、映されていたのはこちらだ。
あの十五分、見ていたのは、こちらではなかった。
見られていたのだ、チャンネルを変えずに。
あれは、この世界の縮図だったのだと、今でも思う。
画面のこちら側とあちら側の、どちらが縮図なのかは、今も分からない。