狐の嫁入り

fox_by_mirrorcradle

俺の実家は山と湖に囲まれた田舎にある。

小学校6年の時の夏休みに、連れ二人と湖に流れ込む川を溯ってイワナ釣りに行く事になった。

雲一つも無いようなよく晴れた日で、冷たい川の水がやけに気持ち良かった事を覚えている。

俺らにとっては何度も通い詰めた谷。ポイントも殆ど把握していて、イワナ止めの滝に着く頃にはビクも一杯になっていた。

イワナ釣りというのは、川を溯りながら釣りをし、これ以上は魚が登れないような落差の大きい滝(イワナ止めの滝)まで釣り上がり、そこで釣りは終了というものだ。

釣りが終わったら川を下って帰るんだけど、その日の俺らは魚も十分釣れたので、帰り道も足取りは軽かった。

冗談を言ったり、川に入って泳いだりもしながら大きな淵まで下った頃、いきなり小雨が降って来た。

天気予報では降水確率0%だったので不思議に思ったんだけど、それより驚いたのは、太陽は依然としてギラギラ輝いていて、どこにも雨雲なんて無かったこと。

「おかしなこともあるもんだ」と連れと話していると、突然、谷にこだまするほど大きな音で

「ケーーーーン」と動物の鳴き声のようなものが辺りに響いた。

そして、次の瞬間。

川の対岸の薄暗い杉林の中に、川上に向かってゆっくり歩いて行く10人程の人の行列が現れた。

黒い紋付き袴を着た男達だったんだけど、行列の中程に一人だけ、白無垢を着た女がいた。

俺らはもう完全に凍り付いていたんだけど、何か本能的に『逃げるべき』と思ったわけ。

連れの一人が走り出すと、もうみんな一目散。川に沿って全力疾走した。

湖面が見えてくる頃には、不思議な雨もいつの間にか上がっていて、漸く生きた心地がしたんだけど、出てきた場所はなんと湖の対岸。

溯った川とは全く別の川の河口だった。

小さい湖だから、家に帰るのはそれほど大変ではないんだけど、恐怖のあまりどうやって帰ったのか全く記憶が無い。

なんとか家に辿り着くと、祖母が俺の顔を見るなり血相を変えて飛んできて、

「そんな死人みたいな顔して!山で何を見てきた!」

と怒鳴ると、いきなり念仏を唱え始めた。

一緒にいた祖父に事のあらましを話すと、

「狐の嫁入りか。多分心配は無いと思うけど、魚は返しに行け」

と言うので、祖父に連れられて湖まで行き、ビクの中の魚をぶちまけた。

魚はもうとっくに死んでいて、白い腹を見せてプカプカと浮いていた。

高校を出て大学に入った年の夏休み、帰省中にあの時の二人と海釣りに行く事になった。

しかし、出発直前になって俺は寒気と吐き気と高熱に冒されて、行く事が出来なくなった。

一晩寝ると症状は嘘のように回復したが、人生最大の悲しい知らせが待っていた。

友人二人が、道中の車の事故で亡くなっていた。

二人が他界してから10年以上が経った先週、いつもの通勤電車の中、目の前に座っていたサラリーマンが読んでいた渓流釣りの雑誌をぼんやり見ていると、突然、

『もしかすると二人はあの時、魚を返さなかったのかもしれない』

という考えがふつふつと沸き上がってきた。

二人は祖父母を早くに亡くし核家族で、誰も魚を返さなければいけない事を教えてくれなかったのではないか。

だからあの時魚を返した俺だけが事故の日に高熱を発し、難を逃れたのではないか。

なぜ俺は魚を返さなければいけない事を二人に伝えてやれなかったのだろう。

もうどうしようも無い事だとは解っていながら、そう考えると居ても立ってもいられなくなった。

その日の内に会社に休暇願いを出し、ようやく仕事が片付いて今日から休み。今、帰省中。

あの二人とよく一緒にファミコンしたりして遊んだ部屋でこれを書いている。

明日は二人の墓参りに行って、伝えられなかった事を謝るつもり。

あと、あの時俺を助けてくれた祖父母の墓にも参ってこよう。

窓の外からやけに湖の波の音が聞こえてくる。

二人の時も祖父母の時も、葬式で死ぬほど泣いたはずなんだけど、何かまた泣けてきた。

関連記事

お婆さんの願い

会社の仕事を終え、夜の帰り道。 最寄り駅から自宅まで歩いていると、帰路途中の家のドアが開いていて、お婆さんが手招きをしていた。 『高いところにあるものを取って欲しいとか、そ…

駅(フリー写真)

不思議な老人と駅

今年の夏に体験した話。 雨がよく降る火曜日のこと。その日は代休で、久々に平日をゆっくり過ごしていた。 妻はパート、子供達は学校。 久しぶりの一人の時間に何をして良いや…

死臭

人間って、死が近づくと死臭がするよね。 介護の仕事をしていた時、亡くなるお年寄りは3、4日前から死臭を漂わせてた。 それも、その人の部屋の外まで臭うような、かなりハッキリした臭い…

湖(フリー素材)

白き龍神様(宮大工13)

俺が中学を卒業し、本格的に修行を始めた頃。 親方の補助として少し離れた山の頂上にある、湖の畔に立つ社の修繕に出かけた。 湖の周りには温泉もあり、俺達は温泉宿に泊まっての仕事…

田んぼ

蛇田

自分の住んでいる所は田舎の中核都市。 田んぼは無くなっていくけど家はあまり建たず、人口は増えも減りもせず、郊外に大型店は出来るものの駅前の小売店は軒並みシャッターを閉めているよう…

山道

迷子の標識

9年前の12月23日、東京から沼津までバイクで旅に出た。 夜の帰り道、1号線から熱海方面に適当に折れようとした。深夜の2時頃、前を走るブルーバードが曲がった南方向に私もついてい…

田舎の風景(フリー写真)

闇をさまよう女性

ある村に伝わる不気味な伝説がある。 その名は「クギヌシ様」と呼ばれる。 どこから現れるのかは分からないが、黒い帽子をかぶった女性の姿をしており、村に悪をもたらすと言われて…

祭祀(長編)

近所に家族ぐるみで懇意にしてもらってる神職の一家がある。 その一家は、ある神社の神職一家の分家にあたり、本家とは別の神社を代々受け継いでいる。 うちも住んでいる辺りではかな…

思い出のテトリス

祖母が亡くなった時の話。 祖父母4人の中で一番若い人で一番大好きな人だったから、ショックで数日経ってもまだ思い出しては泣いてた。 ある日の夕方、自室のベッドで横になってやっ…

山(フリー写真)

山に棲む大伯父

もう100年は前の事。父方の祖母には2歳離れた兄(俺の大伯父)が居た。 その大伯父が山一つ越えた集落に居る親戚の家に、両親に頼まれ届け物をしに行った。 山一つと言っても、子…