
バイト先の会社の寮で、幽霊騒ぎがあった。
解決したのは、霊を嗅げる人だった。
俺は入社して1年も経っていなかったので、よく知らなかった。
けれど、以前から気味の悪いことが起こっていたらしい。
特に出現率が高いのは、社員のTさんの部屋だという。
ある日、Tさんが、俺に相談してきた。
「この前もさ、顔洗って鏡を見たら、俺の後ろに怖い女が映ってたんだよ」
「ウワッと思って振り向いたら、まだ居るんだよ……せめて振り向いたら居なくなってほしい……」
Tさんは、精神的にかなり参っているようだった。
三ヶ月前には、先輩が連れてきた自称霊能者が、部屋を一周したそうだ。
「ここは大丈夫」と言って、お布施を受け取り、帰っていった。
その晩、鏡の女は、むしろ増えた。
Tさんは、そう言って、力なく笑った。
俺は、子供の頃から霊感が強い。
いわゆる『視える人』だ。
だからと言って、霊をどうこうできるわけではない。
けれど、仕事中もずっとウツロな目をしているTさんを、放っておくのも酷だった。
俺は、同時期に入ったバイトのZを誘って、寮へ行くことにした。
道すがら、聞いてみた。
「嗅げる人って、結局、何をするんだ?」
「臭いと思ったら、臭いって言う」
「それだけ?」
「それだけ。除霊とかは、無理」
Zは、鼻をこすりながら、まるで当然のように答えた。
Zは、子供の頃から霊嗅覚が強い。
いわゆる『嗅げる人』だ。
Zは、居酒屋のバイト仲間でもあった。
唐揚げの揚げ油が古くなると、匂いで当てる男だ。
本人は、霊を嗅げる人であることを『生活に何の役にも立たない特技』と呼んでいた。
それが何を意味するのか、寮での実践を報告する。
寮の窓のめくれたカーテン
寮は、築四十年は過ぎていそうな、鉄骨二階建てだった。
外階段の手すりは錆びて、廊下の蛍光灯は一本おきに切れていた。
俺たちが着くと、Tさんは、よほど一人が心細かったのか、わざわざ外まで出迎えてくれた。
けれど、俺は寮を見た時から、なんとなく嫌な感覚に襲われていた。
夜中に、パトカーの回転灯が集まっている場所を見るような、嫌な感じだ。
ふと、二階の窓の一つに目をやった。
閉じたカーテンが、不自然にめくれ上がっている。
そこから、妙に小さな顔のようなものが、こっちを見ている気がした。
俺には、それが『近づくな』という警告に思えた。
でも、極力明るく振る舞うTさんに気を使って、言えなかった。
俺は、見られるがままになっていた。
「えー……と、どうだ、Z。何か感じないか?」
「ん……いや、特に無いな。まあ、上がらせて貰おうか」
「おう、酒も用意しといたぜ。さ、さ、入れよ、な?」
ハッキリ言って、俺は、今日はやめておこうという気分になっていた。
けれど、下戸のTさんに酒を用意されては、退路が失われた。
Tさんの部屋に近づくほど、嫌な感覚が増していく。
廊下の突き当たりに、Tさんの部屋があった。
ドアの内側には、お札の代わりに、コンビニの割り箸袋が貼ってあった。
机の上には、塩を盛った小皿が三つ。
机の下に、小さな黄色い髪留めが落ちているのに気づいた。
Tさんのものとは思えなかった。
どれも、少し湿っていた。
案の定、さっきのめくれたカーテンの部屋だった。
飲んでも、気分が盛り上がるはずがない。
度胸付けのつもりで、缶ビールを開けた。
Zは、缶に鼻を近づけて言った。
「これ、冷蔵庫のニオイが移ってるな」
「今、それ要る情報か?」
さりげなく、カーテンを直しておいた。
Tさんによると、夜、寝ている時が、一番怖いのだという。
最近は、まともに眠れていなかったそうだ。
今日は、人がいることに安心したのか、飲んでもいないのにウトウトしはじめた。
「布団で寝たらいいですよ、Tさん」
「ん、ああ、スマンな……」
「明日も仕事だし、俺らも寝るか」
Tさんの寝息の合間に、小さな寝言が聞こえた。
「すみません、すみません……」
誰に謝っているのかは、わからなかった。
この部屋で、眠れるような気分ではない。
それでも、俺とZは、毛布を借りて横になった。
Zは、毛布のニオイを確かめて、「洗ってないな」と呟いた。
壁の薄い寮なのに、隣室のテレビの音が、やけに遠く聞こえた。
カーテン側は、なんとなく嫌だったので、離れたソファーを選んだ。
ソファーの上の黄色い服
俺の様子が変だったのか、Zが小声で聞いてきた。
「なあ……何か見たのか?」
俺も、小声で返す。
「ああ、ここに入る前に、気味悪いのを……Zは?」
「特に無いって。俺は見れないもん、嗅げるだけ」
「……何度聞いてもわかんねーよソレ……あの、さ、幽霊ってどんなニオイなの?」
「それぞれだな、モノによるよ。一つ言えるのは、人間のニオイじゃないって事かな」
Zが言うには、ニオイにも種類があるらしい。
線香のような『お供え系』。
湿った畳のような『土地系』。
古い電化製品のような『物持ち系』。
人に憑くタイプは、体温に近い、温い匂いがするという。
「で、今回のは?」
「今のところ、無臭。無臭すぎて、逆に怖い」
Zは、そう言って、部屋の隅の暗がりを睨んだ。
それは、少し解る。
俺も、霊は人間には視えない。
いつの間にか、電気が消えていた。
眠る前、部屋に、かすかに甘い匂いが漂った気がした。
化粧品のような匂いだった。
Zは、まったく気づいていなかった。
どうやら、寝ていたらしい。
そんな気はなかったが、体の向きを変えようとして、奇妙な音に気づいた。
ペタペタッ、ペタペタッ。
低いところから、聞こえてくる。
床に手をつく音。
何かが、床を這い歩いている。
そう判断している最中に、ペタペタのリズムが早くなった。
同時に、体が強烈に重くなった。
金縛りとは違う。
目を開けるにも、全力を使うような状態だった。
俺が見たのは、正座で、俺の胸の上に乗る女だった。
重さは、ほとんどなかった。
それなのに、肺が、押しつぶされるように動かない。
女の膝のあたりから、乾いた紙袋のような匂いがした。
昔のアイドルが着るような、黄色の派手な服を着ている。
服から出た手足は、普通だった。
でも、頭が、野球ボールほどしかない。
頭蓋骨を抜いて、干し上げたような質感をしていた。
やはり、人間には見えない。
「……Z……お……い……Z」
声を絞り出す俺に、人間外の女の顔が、近づいてくる。
Z! 気づいてくれ!
嗅げる人の分析
「ん……なんだ、どうし…… あ、くせーな、居るなコレ、クンクン……」
ニオイを嗅ぎながら、Zがこっちに近づいてくる。
見えないやつは、無敵だ。
「クンクン……この辺からだな……クン……え? なに、オマエの上に居んの? うっわ、マジにか……クンクン……」
「あ、コレはね、なんつーんだ、ペット売り場系のニオイだな……小動物。あんまりたいした霊じゃないのかも…… クンク…… ぇひっ!」
「な、何だ、ひょっとしてこの辺アタマじゃね? 人外の部分は臭ぇーんだ、コイツ、相当ブサイクだろ? クン…… ゴフォッ!」
「なんだろ、ハムスターとかじゃねえぞ、亀の食い残したエサが水槽の底に溜まっ」
「あ、もういいよ、居なくなったから」
俺の胸の重さは、すうっと消えていた。
Zは、自分の鼻を押さえて、むせていた。
「いや、すまん。ブサイクって言い過ぎた」
「幽霊に謝るな」
俺は、やっと息を吐いた。
Zがニオイ分析から表現に移るあたりで、大抵の霊は消える。
女性霊は、特に早く消える傾向がある。
幽霊にとって、ニオイを嗅がれるのは、余程ショックなのだろう。
一度やられると、二度と出て来ないらしい。
俺は、ソファーの上で、しばらく動けなかった。
カオルと呼ばれた朝
翌朝、Tさんは、久しぶりに熟睡できたと言った。
洗面所の鏡を見て、後ろに誰もいないことを、三回、確かめたそうだ。
その日のうちに、Tさんは、職場でこの話を披露した。
元々、冗談が好きなTさんの話だ。
ほとんどの人は、半信半疑で聞いていた。
けれど、寮の人たちは違った。
感謝と畏敬を込めて、Zのことを、下の名前で呼ぶようになった。
『カオル』と。
Zは、そう呼ばれるたびに、少し複雑な顔をする。
鼻の頭を掻きながら、「いや、俺は嗅いだだけだから」と言う。
その寮は、今も建っている。
後日、Zに聞いてみた。
「あのカーテンの小さな顔は、何だったんだ?」
「さあな。それは嗅いでないから」
Zは、肩をすくめた。
後日、寮の別の部屋の人も、Zに相談に来た。
Zは『俺は便利屋じゃない』と言いながら、毎回、鼻をつまんで部屋に入っていく。
嗅げる人というのは、案外、律儀なのだ。
出てくる霊のほうは、たいてい、最初の一嗅ぎで目を伏せる。
あのめくれたカーテンの窓は、あれから一度も、動いていないそうだ。
似たような体験談は本当にあった不思議な体験の実話 24選にも載せています。夜の怪異をもう少し読みたい方は『カン、カン』が招く影もあわせてどうぞ。