今、十五歳になる娘が、まだ二つか三つの、幼い頃の話です。
当時、私たち家族は、私の祖母が遺した古い家に暮らしていました。
築五十年を超える、木造の平屋でした。
祖母は、両親の忙しかった私を、幼い頃から育ててくれた人でした。
私にとっては、母親のような存在でした。
両親は共働きで、家をあけることの多い人たちでした。
熱を出した夜も、運動会の朝も、いつもそばにいたのは祖母でした。
祖母は、私の手を握って、あの子守唄を歌ってくれました。
その手の、少しかさついた感触を、今でも覚えています。
私が結婚して家を出るとき、祖母は寂しそうに笑っていました。
「みっちゃんが幸せなら、それでいいんだよ」
その口ぐせを、私は今も、忘れられずにいます。
祖母は、少し古風で、しつけには厳しい人でした。
けれど、私のことになると、途端に甘くなりました。
近所でも評判の、優しいおばあさんでした。
その祖母が遺した家に住むと決めたのは、私自身でした。
あの家にいれば、まだ祖母のそばにいられる気が、したのです。
引っ越してきた日、私は仏壇に手を合わせて、報告しました。
「おばあちゃん、また、この家に戻ってきたよ」
線香の煙が、まっすぐ立ちのぼっていったのを、覚えています。
まるで、祖母が返事をしてくれたかのように。
その祖母は、娘が生まれる三年ほど前に、静かに亡くなりました。
最期は、長く患ったすえの、穏やかな旅立ちでした。
病室で、私はずっと、その手を握っていました。
祖母は、うわ言のように、私の名を何度も呼びました。
そして最後に一言だけ、はっきりと、言葉を残しました。
その言葉のことは、のちほど、書こうと思います。
祖母を看取ってからの数年は、私にとって、喪失の日々でした。
ふとした瞬間に、あの子守唄を口ずさんでいる自分がいました。
娘を授かったとき、私はそれを、天からの贈り物だと思いました。
失った温もりを、この子が埋めてくれるのだと。
けれど、まさかこんな形で、とは思いもしませんでした。
だから娘は、祖母の顔を、写真でしか知りません。
その写真さえ、仏壇の脇に、小さく飾ってあるだけでした。
娘が、まじまじと見るようなものでは、ありませんでした。
いえ、写真すら、あまり見せた覚えはありませんでした。
家には、祖母が使っていた古い簞笥や、仏壇が、そのまま残っていました。
畳の匂いと、線香のかすかな残り香。
その家で、娘は、すくすくと育っていきました。
昼間は庭で虫を追いかけ、夜は私の隣で眠る。
古い家は、子どもの声が響くと、少しだけ生き返るようでした。
祖母が生きていたら、どんなに喜んだだろう。
私は、よくそんなことを思っていました。
柱には、幼い私の背を測った、鉛筆の傷が残っていました。
台所には、祖母が使っていた古い鍋が、まだ置いてありました。
その家のどこを見ても、祖母の気配がありました。
夫は、この家を、少し不便だと言っていました。
水回りは古く、冬は隙間風が入ります。
それでも私は、この家を離れたくありませんでした。
だからこそ、はじめは、なにも疑っていなかったのです。
穏やかで、なんの変哲もない、幸せな毎日でした。
最初は、そう思っていました。
※
最初の違和感は、娘の呼び方でした。
夫がいるとき、娘はごく普通に、私を「お母さん」と呼びます。
けれど、二人きりになると、呼び方が変わるのです。
私の下の名前を、そっと呼ぶのです。
祖母が、私だけを呼ぶときに使っていた、あの愛称で。
「みっちゃん」
そう、内緒話でもするような、ひそめた声で。
その愛称を知っているのは、もう亡くなった祖母だけのはずでした。
夫でさえ、私をそう呼んだことはありません。
両親でさえ、私をただ名前で呼ぶだけでした。
「みっちゃん」は、祖母と私だけの、秘密の呼び名だったのです。
だから、娘がその名を口にしたとき。
私は、時間が巻き戻ったような、奇妙な感覚に襲われました。
目の前にいるのは、幼い娘のはずなのに。
その声色だけが、どこか、大人びていたのです。
「みっちゃん、ぼくを覚えてる?」
娘は、幼い女の子なのに、なぜか「ぼく」と言いました。
「みっちゃんに、また会いたかったから、生まれてきたんだよ」
背筋が、ひやりとしました。
けれど、幼い子の言うことだと、私は思おうとしました。
子どもは、大人の思いもよらないことを、口にするものです。
どこかで耳にした言葉を、真似ているだけだろう、と。
そう考えなければ、平静ではいられませんでした。
それでも、あの愛称のことだけは、どうしても説明がつきませんでした。
夜、娘を寝かしつけたあと、私はよく考え込みました。
この子は、いったい、誰なのだろう、と。
そんなふうに思う自分を、私は恥じました。
我が子を、そんな目で見てはいけない、と。
けれど、あの声で名を呼ばれるたび、胸がざわつくのです。
※
次に気づいたのは、娘が口ずさむ唄でした。
昼寝の前や、機嫌のいいとき、娘は決まって同じ唄を歌いました。
古い、聞き覚えのある旋律でした。
それは、祖母が、私を寝かしつけるときに歌ってくれた子守唄でした。
今どき、どこにも売っていないような、古い唄です。
私は、その唄を、娘に教えた覚えはありませんでした。
「その唄、どこで覚えたの」
「知らない。むかしから、知ってるよ」
娘は、きょとんとした顔で、そう答えました。
むかしから、という言葉が、妙に胸に残りました。
その旋律を、私は一度、そっと録音してみたことがあります。
あとで聞き返すと、やはり、祖母の唄と同じでした。
節回しの、細かいところまで、そっくりでした。
教わらなければ、歌えるはずのない唄なのに。
夫にそのことを話しても、笑って取り合いませんでした。
「どこかで聞いて、覚えたんだろう」と。
けれど、あの唄が流れる場所を、私は一つも知りませんでした。
※
三つ目の異変は、家にまつわることでした。
あるとき娘は、庭の古い柿の木を指さして、こう言いました。
「あの木、あまいのは、上のほうだけなんだよ」
それは、祖母が生前、よく言っていたことでした。
低い枝の実は渋く、高い枝の実だけが甘い、と。
娘が、それを知っているはずはありませんでした。
またあるときは、仏間の簞笥の、いちばん下の抽斗を指さして、
「ここに、大事なものを、しまってたよね」
と言うのです。
その抽斗には、確かに、祖母が大切な手紙をしまっていました。
私しか、知らないはずのことでした。
娘は、仏間を、少しも怖がりませんでした。
むしろ、仏壇の前に座って、楽しそうに話しかけていました。
「ただいま」と、まるで自分の家に帰ったように。
あるとき、私はそっと、娘に尋ねてみました。
「だれと、お話ししてるの」
「ないしょ」
娘は、いたずらっぽく笑って、答えませんでした。
その笑い方が、どこか、祖母に似ている気がしました。
そのうしろ姿は、幼い子とは思えないほど、静かでした。
いちばん驚いたのは、ある絵を描いたときのことです。
娘は、画用紙に、一人の女の人の絵を描きました。
白い髪を結い上げた、着物姿の女の人でした。
「これ、だれ」と聞くと、娘はにっこり笑って、
「みっちゃんの、だいすきな人」
そう答えました。
それは、若い頃の祖母の姿に、よく似ていました。
娘が、見たことのないはずの面影でした。
その絵を、私は今も、大切にしまってあります。
捨てることも、飾ることも、どうしてもできないのです。
※
そして、もうひとつ。
娘は、夫のことを、なぜかひどく邪魔がりました。
夫が帰ってくると、娘は決まって不機嫌になりました。
「お父さんがいると、みっちゃんとお話しできない」
小さな声で、そう漏らすこともありました。
夫を嫌っているというより、二人きりの時間を、奪われるのが嫌なようでした。
まるで、私を独り占めしたいかのように。
祖母もまた、私を可愛がるあまり、少し独占欲の強い人でした。
その面影が、幼い娘に重なって、私は言葉を失いました。
あるとき、私は押し入れから、古いアルバムを見つけました。
色褪せた写真の中で、若い祖母が、赤ん坊の私を抱いていました。
その一枚を、なんとなく、娘に見せてみました。
娘は、しばらくじっと見つめて、こう言いました。
「これ、ぼくだよ」
赤ん坊の私ではなく、祖母のほうを、指さしていました。
私は、その小さな指先から、目が離せませんでした。
※
決定的だったのは、ある雨の夜のことでした。
夫は仕事で、家には私と娘の二人きりでした。
娘は、私の膝の上で、いつもの子守唄を歌っていました。
そして、ふと歌をやめて、こう言ったのです。
「みっちゃん、あのね」
「ずっと、そばにいられなくて、ごめんね」
私は、息が止まりそうになりました。
それは、祖母が最期に、私に言い遺した言葉と、同じだったのです。
入院先の祖母が、痩せた手で私の手を握り、そう言いました。
その場に居合わせたのは、私だけでした。
誰にも、話したことのない言葉でした。
窓の外で、雨の音が、いっそう強くなりました。
娘の小さな体が、私の膝の上で、あたたかく息づいていました。
その温もりが、なぜだか、涙が出るほど、いとおしく感じられました。
私は、娘の髪を、そっと撫でました。
この子が誰であっても、私の大切な子であることに、変わりはない。
そう思うと、こわさよりも、愛おしさが勝りました。
「……おばあちゃん、なの」
私は、思わずそう尋ねていました。
娘は、少しだけ微笑んで、それきり、すやすやと眠ってしまいました。
※
その夜のことを、私は今も、うまく説明できません。
娘が、祖母の生まれ変わりだったのか。
それとも、幼い子どもの、偶然の言葉だったのか。
答えは、どこにもありません。
ただ、あの古い家には、確かに、なにかがありました。
祖母の、私への想いが、まだ残っていたのかもしれません。
会いたい、そばにいたい、という、あの人の願いが。
お盆に、祖母の墓参りに行ったときのことです。
娘は、墓石の前で、ぴたりと足を止めました。
そして、小さな声で、「ただいま」と言いました。
私が教えたわけでは、ありませんでした。
墓石に刻まれた祖母の名を、娘はまだ、読めない年でした。
帰り道、娘は終始、機嫌がよさそうでした。
「今日は、いい日だったね」
そう言って、私の手を、ぎゅっと握りました。
その手が、あの日の祖母の手のように、あたたかく感じられました。
血のつながりというのは、不思議なものです。
顔かたちだけでなく、仕草や、声の調子までも、受け継がれていく。
娘の中に祖母を見たのは、私の思い込みだったのかもしれません。
けれど、あの愛称と、あの子守唄だけは、思い込みでは説明がつきません。
娘は、成長するにつれて、そういうことを言わなくなりました。
愛称で呼ぶことも、あの子守唄を歌うことも、いつのまにか、なくなりました。
ちょうど、あの古い家を離れ、今の家に引っ越した頃でした。
土地を離れたことと、関係があったのかどうかは、わかりません。
新しい家で、娘は、ごく普通の子どもになりました。
夜泣きもなく、あの唄も、二度と聞かれませんでした。
私は、それをどこかで、寂しく思っている自分に気づきました。
祖母が、本当に、いなくなってしまったような気がして。
人は、二度、死ぬのだと、聞いたことがあります。
一度目は、その命が尽きたとき。
二度目は、その人を、皆が忘れたとき。
もしそうなら、あの数年間、祖母は娘の中に、生きていたのかもしれません。
私を忘れられなくて、もう一度だけ、そばに来てくれたのかもしれません。
そう考えると、あの不思議な日々が、少しだけ、あたたかく思えるのです。
怖い話として、この体験を書くべきなのかもしれません。
けれど、私にとっては、少しも怖い記憶ではないのです。
むしろ、もう一度、祖母に会えた時間だったのだと、思っています。
だから私は、あの数年を、宝物のように思い返します。
祖母が、私を忘れずにいてくれた、その証として。
答えの出ないまま、娘はもう、十五になりました。
けれど、私の心の片隅には、今も、あの雨の夜の声が残っています。
幼い娘の口から、確かに、祖母の言葉が零れたのですから。
あの日、私は確かに、祖母にもう一度、会えたのだと思います。
たとえそれが、ほんの数年の、短い再会だったとしても。
今の娘は、ごく普通の、明るい十五歳です。
先日、当時のことを、娘に聞いてみました。
娘は、うっすらと、覚えているようでした。
「なんであんなこと言ったのかは、わからない」
「でも、お母さんを見てると、懐かしくて、しかたなかった気がする」
「大好きな人に、やっと会えたみたいな気持ち」
そう言って、娘は少し照れくさそうに笑いました。
今はもう、そんなことはないそうです。
私は、ほっとしたような、少しさびしいような、不思議な気持ちになりました。
※
ただ、ひとつだけ、気にかかっていることがあります。
先日の夜、眠っている娘の寝室から、かすかに歌が聞こえたのです。
あの、古い子守唄でした。
もう何年も、歌っていなかったはずの唄です。
そっと覗くと、娘は、静かに寝息を立てていました。
歌をやめて、私の名を呼んだのは、いったい誰だったのでしょう。
翌朝、娘に尋ねても、歌った覚えはないと言いました。
夢も、見ていないと。
それでも、私は確かに聞いたのです。
あの、古い子守唄を。
そして、そのあとに続いた、小さな寝言を。
「みっちゃん」と、私を呼ぶ、あの声を。
それ以来、私はときどき、夜中に耳を澄ますようになりました。
あの唄が、また聞こえてこないかと。
こわいような、それでいて、どこかで待っているような気持ちで。
いつか娘が、母になる日が来たら。
その子もまた、誰かの愛称を、そっと呼ぶのでしょうか。
あれは、なんだったのでしょうか。