母は毎晩、寝る前に台所のカレンダーへ、その日の欄に×をひとつ付けた。
一日も欠かしたことのない人だった。
風邪で寝込んだ日も、父と言い合いをした晩も、必ず起きてきて、鉛筆で×を書いた。
「なんでそんなことするん」
「終わった日は、終わったことにせんといかんの」
子どもの俺には、意味が分からなかった。
四十年経って、まだ分かっていない。
※
俺が育ったのは、愛知の常滑だ。
焼き物の町で、坂の多い町だった。
坂の擁壁は、焼き損じの土管を横に積んで作ってある。
雨が降ると、その土管の穴が全部、低く鳴った。
町のあちこちに窯があって、火が入ると、細い煙突から白い煙が上がる。
煙が上がっている家は、三日のあいだ、人の出入りが減る。
父は、窯師だった。
焚き口の傷んだ耐火煉瓦を積み直したり、煙道の詰まりを掻き出したりする仕事だ。
手が、いつも赤黒く粉を吹いていた。
窯出しの日だけは、俺も見に行くことを許された。
三日焚いて、そのあと何日も置く。
ようやく開けた口から、熱がゆっくり出てくる。
近づくと、まつ毛が縮れるような気がした。
中から出てくる土管は、詰めたときより一回り小さくなっている。
「痩せるんよ」と、父は言った。
「焼くと、みんな痩せる」
そのとき父は、少しだけ嬉しそうな顔をした。
あんな顔を見たのは、数えるほどしかない。
「窯は、冷ますのに、焚くのと同じだけ日ぃがかかる」
それが父の口癖だった。
「急いで開けたもんはな、外は焼けとっても、中はまだ生や」
※
窯の裏手には、たいてい「はざま」があった。
焼き損じや割れた匣鉢を捨てる、急な斜面のことだ。
草も生えない。
子どもにとっては、いちばん面白い場所だった。
割れた土管の破片は、色も形もひとつずつ違う。
俺たちはそれを拾い集めて、坂の下の空き地に並べた。
いちばん大きい破片を持っている者が偉い、という決まりがあった。
飼い主のいない三毛猫が一匹いて、いつも土管の中で寝ていた。
そいつを起こすと、必ず前足で一回だけ叩かれる。
二回は叩かない。
一回叩いて、また寝る猫だった。
坂の途中に、駄菓子屋が一軒あった。
婆さんが一人でやっていて、当たり棒を持っていくと、必ず一度は渋る。
「あんた、昨日も当たったやろ」
「当たったもんは当たったんよ」
そう言い返すと、婆さんは笑って、もう一本くれた。
俺は昭和五十七年の春、小学四年になった。
放課後は、たいてい友達とはざまで遊んだ。
ただ、父からは、ひとつだけ強く言われていた。
「煙が上がっとる三日のあいだは、はざまで人と口をきくな」
「なんで」
「煙の下は、まだ日ぃが動いとらん」
意味を訊いても、それ以上は答えなかった。
父は説明をしない人だった。
祖父も同じだったらしい。
窯焚きの三日間は、町全体の空気が少し変わる。
煙の匂いは、木を燃やす匂いとは違う。
もっと乾いていて、鼻の奥が痛くなるような匂いだ。
その匂いがすると、大人たちは早口になった。
坂を上がる足も速くなる。
子どもの俺には、その理由が分からなかった。
ただ、大人が急いでいるときは、こっちも急いだほうがいい。
それくらいのことは分かっていた。
母も、煙が上がっている日は、洗濯物を外に出さなかった。
理由を訊くと、煤がつくから、と答えた。
だが、風下でない日も同じだった。
そのことに気づいたのは、ずっとあとになってからだ。
母は、父の言い付けを、俺よりよく分かっていたのだと思う。
分かっていて、一度も口には出さなかった。
※
その人に初めて会ったのは、五月の夕方だ。
友達と別れて、ひとりで坂を下りていた。
はざまの縁の、土管を積んだところに、男の人が座っていた。
二十歳くらいに見えた。
白っぽいシャツを着て、鞄も何も持っていない。
俺が通り過ぎようとすると、声をかけられた。
「ちょっと、聞いてもいい?」
「なに」
「今は、何年の何月ですか」
変な人だと思った。
思ったが、当時の子どもに警戒心はない。
俺は素直に、昭和五十七年の五月だと答えた。
その人は、ふうん、と言って、少しだけ笑った。
笑い方が、大人にしては子どもっぽかった。
それから、その人は同じことをもう一度訊いた。
「今は、何年の何月ですか」
俺は、さっき答えたやん、と言った。
「うん。もう一回、聞きたくて」
俺はもう一度答えた。
その人は、両手で膝を挟むようにして、少し前かがみになった。
「ありがとう。助かった」
何が助かったのか、さっぱり分からなかった。
※
それから、五回会った。
いつも同じ場所で、いつも夕方だった。
その人は、自分は未来から来たのだと言った。
大学生だったのに、ある朝目が覚めたら、この坂の途中にいたのだという。
「じゃあ、どこに住んどるん」
「ここ」
「ここって、はざまやん」
「そうだね」
まともに答える気がないのだと思った。
未来のことも、いろいろ訊いた。
車は空を飛ぶのか。
飛ばない、と言われた。
戦争はあるのか。
それには、少し間があってから、あるよ、と答えた。
俺が「どこで」と訊くと、その人は話を変えた。
この町のことも訊かれた。
坂の下に何があるか、窯はいくつあるか、といったことだ。
俺が知っている範囲で答えると、その人は、そのたびに小さくうなずいた。
いま思えば、あれは確かめる仕草だった。
知らないことを聞く顔ではなかった。
だから俺は、証拠を見せてくれと言った。
その人は、ポケットから小さな機械を出した。
煙草の箱より、少し小さい。
板のような形で、片面が黒く光っていた。
指で触ると、そこに絵が出た。
※
写真が撮れた。
音楽が鳴った。
ラジオも聞けたし、遠くの人と話せるのだとも言っていた。
いまなら誰でも持っているものだ。
だが昭和五十七年の小学生にとって、それは映画の中の道具だった。
俺は興奮して、いろいろ訊いた。
「これ、どこで買うたん」
「まだ売ってない」
「いつ売るん」
「君が大人になったころかな」
「ほんなら、俺も買えるやん」
その人は、そのとき初めて、返事をしなかった。
黒い面を指で撫でて、坂の下のほうを見ていた。
※
五回目に会った日、写真を撮ってもらった。
土管の壁を背にして、俺がひとりで立っている絵が、黒い面に出た。
自分の顔がその場ですぐ見えるということが、信じられなかった。
ただ、写真の背景がおかしかった。
俺の後ろにあるはずの土管の壁が、写っていない。
かわりに、草の生えた平らな土地が写っていた。
俺は、撮り直してと言った。
その人は、撮り直さなかった。
「これでいいんだ」
あの空き地に草が生えたのは、坂の擁壁が造り替えられた平成の初めからだ。
そのことに気づいたのは、四十を過ぎてからだった。
「これ、ちょうだい」
「紙にできないんだ。ごめんね」
「ほんなら、意味ないやん」
その人は笑って、機械をポケットに戻した。
それから、めずらしく自分から喋った。
「電池が切れたら、帰れると思う」
「切れそうなん」
「わからない。ずっと同じところで止まってる」
俺は、次の日も来ると言って坂を上がった。
翌日、放課後すぐにはざまへ行った。
誰もいなかった。
それきり、二度と会っていない。
三日は毎日、放課後に行った。
四日目から、行かなくなった。
行かなくなった理由が、自分でもよく分からない。
誰かに止められたわけでもない。
ただ、坂を下りる途中で足が向かなくなった。
そのまま夏になり、はざまの話は友達の間からも消えた。
不思議なのは、あの人のことを、友達の誰も見ていないことだ。
俺は五回とも、ひとりのときに会っている。
いちど、友達を連れて行こうとしたことはある。
その日は、坂の下で友達が転んで、膝を切った。
血が出たので、二人で駄菓子屋へ行った。
婆さんが赤チンを塗ってくれているあいだに、日が暮れた。
結局、はざまには行かなかった。
次の日には、煙が止まっていた。
※
おかしいと思い始めたのは、中学に上がってからだ。
思い出すたびに、細かいところが引っかかるようになった。
ひとつ目は、靴だ。
五回のうち二回は、雨上がりの夕方だった。
はざまの土は、雨のあと一日は乾かない。
俺の靴はいつも泥だらけになった。
あの人の靴は、一度も汚れていなかった。
濡れてもいなかった。
※
ふたつ目は、影だ。
あの坂は西向きで、夕方には、影が坂の下へ長く伸びる。
写真を撮ってもらったとき、俺の影も下へ伸びていた。
あの人の影だけが、坂の上のほうへ伸びていた。
当時は何とも思わなかった。
思い出してから、背中が冷えた。
いちど、確かめようとしたことがある。
高校のとき、同じ坂で、同じ時刻に自分の影を見た。
やはり下へ伸びた。
擁壁の向きは変わっていない。
西の空も、四十年前と同じところに沈む。
※
三つ目は、地名だ。
いちど、どこの町から来たのかと訊いたことがある。
返ってきた地名を、俺は覚えていた。
高校の地理室で、県内の古い地図を片っ端から調べた。
合併前の町名にも、合併後の町名にも、その名前は無かった。
司書の先生に訊くと、聞いたこともないと言われた。
「新しくできる町かもしれんね」
先生は冗談のつもりだったのだと思う。
俺は笑えなかった。
五つ目は、音だ。
あの機械からは、音楽が鳴った。
知らない曲だった。
歌詞は日本語で、女の人が歌っていた。
俺はその一節を、しばらく口ずさめるくらい覚えていた。
二十代の終わりに、その曲がラジオから流れた。
新曲として紹介されていた。
俺は車を路肩に停めて、最後まで聞いた。
曲名も、歌っている人の名前も、あえてここには書かない。
※
四つ目に気づいたのは、ずっとあとだ。
父が体を悪くして、実家を片付けた年だった。
台所の壁の裏から、古いカレンダーの束が出てきた。
母は、使い終わったカレンダーを一年ぶん、丸めて仕舞う人だった。
昭和五十七年のものもあった。
五月の欄には、律儀に×が並んでいた。
一日、二日、三日。
ずっと続いている。
途中で、五日ぶんだけ、抜けていた。
※
その五日は、飛び飛びだった。
連続していない。
俺は、その日付を紙に書き出して、しばらく見ていた。
母の×は、鉛筆の押し方に癖がある。
右下がりの線を先に引いて、あとから左下がりを重ねる。
だから交点が、いつも少しだけ右に寄る。
抜けている五日の欄には、その交点の跡すら無かった。
消しゴムで消した紙は、光にかざすと繊維が毛羽立って見える。
俺は台所の窓に五月の頁をかざして、一枚ずつ確かめた。
毛羽立ちは、どこにもなかった。
書いて消したのではない。
はじめから、書かれていない。
あの人に会ったのは五回だ。
会った日の記憶と、抜けている日付は、たぶん重なる。
たぶん、というのは、俺のほうに確かな記録がないからだ。
一日も欠かしたことのない人の帳面から、五日だけが抜けていた。
母に訊こうと思ったが、その頃にはもう、母は日付が分からなくなっていた。
※
父の遺した仕事帳が、納屋から出てきたのは、その翌年だ。
窯師は、どこの窯にいつ火が入ったかを記録している。
焚き始めの日と、焚き上げの日と、窯出しの日。
昭和五十七年五月の頁を開いた。
俺の書き出した五つの日付は、すべて、どこかの窯の「焚き三日目」に当たっていた。
五つとも、である。
頁の欄外に、父の字で、短い書き足しがあった。
はざま、人影。
口きかず。
五つの日付すべてに、同じ二行が書いてあった。
父は、見ていたのだ。
見ていて、俺には何も言わなかった。
言えば、俺がもう一度行くと思ったのだろう。
父が仕事帳をつけ始めたのは、祖父から仕事を継いだ年だという。
その祖父の帳面も、納屋の同じ箱に入っていた。
昭和二十年代のものだ。
紙が茶色くなって、開くと粉が落ちた。
俺は、焚き三日目の欄だけを追っていった。
祖父の字でも、同じ二行が、何度か出てきた。
はざま、人影。
口きかず。
その回数を数えるのは、途中でやめた。
あの五日は、母にとって、無かった日やった。
※
父に確かめたことは、一度だけある。
もう口がうまく回らなくなった頃だ。
俺は、はざまで人に会った話をした。
父は目だけを動かして、しばらく天井を見ていた。
それから、短く言った。
「口、きいたか」
「きいた」
「答えたか」
「答えた」
父は、それきり何も言わなかった。
手を出して、俺の手首を握った。
握力はほとんど残っていなかった。
それでも、離すまでに、ずいぶん時間がかかった。
父が亡くなったあと、母を施設へ移した。
面会に行くと、母はたいてい、窓のほうを見ている。
日付を訊いても、答えられない。
ただ一度だけ、こちらを見て、はっきりこう言ったことがある。
「今日は、まだ終わっとらんよ」
俺が理由を訊く前に、母はまた窓を見た。
その日は、坂の上の窯に火が入って、三日目だった。
あとで確かめて、そうと分かった。
※
いま、俺は五十三になる。
町に窯は少なくなったが、まだいくつか残っている。
父の仕事は継がなかった。
継がなかったのに、頼まれて、年に何度か焚き口を見に行く。
他に見られる人間が、もういないからだ。
焚き口の煉瓦は、火の当たり方で減り方が違う。
どこが先に痩せるかを、父は手で覚えていた。
俺は目でしか覚えていない。
それでも、二十年見ていれば、だいたい分かるようになる。
分かるようになってから、父の口癖の意味が、少しだけ変わって聞こえるようになった。
冷ますのに、焚くのと同じだけ日ぃがかかる。
急いで開けたものは、外は焼けていても、中はまだ生だ。
あれは、窯の話ではなかったのかもしれない。
去年の秋、坂の上の窯に火が入った。
三日目の夕方、俺ははざまの縁を通った。
土管を積んだところに、人が座っていた。
白っぽいシャツで、鞄は持っていない。
二十歳くらいに見えた。
顔は、確かめていない。
確かめなかったのは、怖かったからではない。
顔を見れば、二十歳の頃の自分に似ているかどうかを、考えてしまう。
考え始めたら、たぶん、口をきく。
※
向こうが口を開きかけたのは、気配で分かった。
俺は足を止めなかった。
目も合わせなかった。
そのまま坂を上がった。
四十年遅れて、父の言い付けを守ったことになる。
家に帰って、台所のカレンダーを見た。
その日の欄には、まだ何も書いていない。
俺は鉛筆を持って、しばらく突っ立っていた。
結局、×は付けなかった。
付けていいものかどうか、いまも決めかねている。