未来から来た男

母は毎晩、寝る前に台所のカレンダーへ、その日の欄に×をひとつ付けた。

一日も欠かしたことのない人だった。

風邪で寝込んだ日も、父と言い合いをした晩も、必ず起きてきて、鉛筆で×を書いた。

「なんでそんなことするん」

「終わった日は、終わったことにせんといかんの」

子どもの俺には、意味が分からなかった。

四十年経って、まだ分かっていない。

俺が育ったのは、愛知の常滑だ。

焼き物の町で、坂の多い町だった。

坂の擁壁は、焼き損じの土管を横に積んで作ってある。

雨が降ると、その土管の穴が全部、低く鳴った。

町のあちこちに窯があって、火が入ると、細い煙突から白い煙が上がる。

煙が上がっている家は、三日のあいだ、人の出入りが減る。

父は、窯師だった。

焚き口の傷んだ耐火煉瓦を積み直したり、煙道の詰まりを掻き出したりする仕事だ。

手が、いつも赤黒く粉を吹いていた。

窯出しの日だけは、俺も見に行くことを許された。

三日焚いて、そのあと何日も置く。

ようやく開けた口から、熱がゆっくり出てくる。

近づくと、まつ毛が縮れるような気がした。

中から出てくる土管は、詰めたときより一回り小さくなっている。

「痩せるんよ」と、父は言った。

「焼くと、みんな痩せる」

そのとき父は、少しだけ嬉しそうな顔をした。

あんな顔を見たのは、数えるほどしかない。

「窯は、冷ますのに、焚くのと同じだけ日ぃがかかる」

それが父の口癖だった。

「急いで開けたもんはな、外は焼けとっても、中はまだ生や」

窯の裏手には、たいてい「はざま」があった。

焼き損じや割れた匣鉢を捨てる、急な斜面のことだ。

草も生えない。

子どもにとっては、いちばん面白い場所だった。

割れた土管の破片は、色も形もひとつずつ違う。

俺たちはそれを拾い集めて、坂の下の空き地に並べた。

いちばん大きい破片を持っている者が偉い、という決まりがあった。

飼い主のいない三毛猫が一匹いて、いつも土管の中で寝ていた。

そいつを起こすと、必ず前足で一回だけ叩かれる。

二回は叩かない。

一回叩いて、また寝る猫だった。

坂の途中に、駄菓子屋が一軒あった。

婆さんが一人でやっていて、当たり棒を持っていくと、必ず一度は渋る。

「あんた、昨日も当たったやろ」

「当たったもんは当たったんよ」

そう言い返すと、婆さんは笑って、もう一本くれた。

俺は昭和五十七年の春、小学四年になった。

放課後は、たいてい友達とはざまで遊んだ。

ただ、父からは、ひとつだけ強く言われていた。

「煙が上がっとる三日のあいだは、はざまで人と口をきくな」

「なんで」

「煙の下は、まだ日ぃが動いとらん」

意味を訊いても、それ以上は答えなかった。

父は説明をしない人だった。

祖父も同じだったらしい。

窯焚きの三日間は、町全体の空気が少し変わる。

煙の匂いは、木を燃やす匂いとは違う。

もっと乾いていて、鼻の奥が痛くなるような匂いだ。

その匂いがすると、大人たちは早口になった。

坂を上がる足も速くなる。

子どもの俺には、その理由が分からなかった。

ただ、大人が急いでいるときは、こっちも急いだほうがいい。

それくらいのことは分かっていた。

母も、煙が上がっている日は、洗濯物を外に出さなかった。

理由を訊くと、煤がつくから、と答えた。

だが、風下でない日も同じだった。

そのことに気づいたのは、ずっとあとになってからだ。

母は、父の言い付けを、俺よりよく分かっていたのだと思う。

分かっていて、一度も口には出さなかった。

その人に初めて会ったのは、五月の夕方だ。

友達と別れて、ひとりで坂を下りていた。

はざまの縁の、土管を積んだところに、男の人が座っていた。

二十歳くらいに見えた。

白っぽいシャツを着て、鞄も何も持っていない。

俺が通り過ぎようとすると、声をかけられた。

「ちょっと、聞いてもいい?」

「なに」

「今は、何年の何月ですか」

変な人だと思った。

思ったが、当時の子どもに警戒心はない。

俺は素直に、昭和五十七年の五月だと答えた。

その人は、ふうん、と言って、少しだけ笑った。

笑い方が、大人にしては子どもっぽかった。

それから、その人は同じことをもう一度訊いた。

「今は、何年の何月ですか」

俺は、さっき答えたやん、と言った。

「うん。もう一回、聞きたくて」

俺はもう一度答えた。

その人は、両手で膝を挟むようにして、少し前かがみになった。

「ありがとう。助かった」

何が助かったのか、さっぱり分からなかった。

それから、五回会った。

いつも同じ場所で、いつも夕方だった。

その人は、自分は未来から来たのだと言った。

大学生だったのに、ある朝目が覚めたら、この坂の途中にいたのだという。

「じゃあ、どこに住んどるん」

「ここ」

「ここって、はざまやん」

「そうだね」

まともに答える気がないのだと思った。

未来のことも、いろいろ訊いた。

車は空を飛ぶのか。

飛ばない、と言われた。

戦争はあるのか。

それには、少し間があってから、あるよ、と答えた。

俺が「どこで」と訊くと、その人は話を変えた。

この町のことも訊かれた。

坂の下に何があるか、窯はいくつあるか、といったことだ。

俺が知っている範囲で答えると、その人は、そのたびに小さくうなずいた。

いま思えば、あれは確かめる仕草だった。

知らないことを聞く顔ではなかった。

だから俺は、証拠を見せてくれと言った。

その人は、ポケットから小さな機械を出した。

煙草の箱より、少し小さい。

板のような形で、片面が黒く光っていた。

指で触ると、そこに絵が出た。

写真が撮れた。

音楽が鳴った。

ラジオも聞けたし、遠くの人と話せるのだとも言っていた。

いまなら誰でも持っているものだ。

だが昭和五十七年の小学生にとって、それは映画の中の道具だった。

俺は興奮して、いろいろ訊いた。

「これ、どこで買うたん」

「まだ売ってない」

「いつ売るん」

「君が大人になったころかな」

「ほんなら、俺も買えるやん」

その人は、そのとき初めて、返事をしなかった。

黒い面を指で撫でて、坂の下のほうを見ていた。

五回目に会った日、写真を撮ってもらった。

土管の壁を背にして、俺がひとりで立っている絵が、黒い面に出た。

自分の顔がその場ですぐ見えるということが、信じられなかった。

ただ、写真の背景がおかしかった。

俺の後ろにあるはずの土管の壁が、写っていない。

かわりに、草の生えた平らな土地が写っていた。

俺は、撮り直してと言った。

その人は、撮り直さなかった。

「これでいいんだ」

あの空き地に草が生えたのは、坂の擁壁が造り替えられた平成の初めからだ。

そのことに気づいたのは、四十を過ぎてからだった。

「これ、ちょうだい」

「紙にできないんだ。ごめんね」

「ほんなら、意味ないやん」

その人は笑って、機械をポケットに戻した。

それから、めずらしく自分から喋った。

「電池が切れたら、帰れると思う」

「切れそうなん」

「わからない。ずっと同じところで止まってる」

俺は、次の日も来ると言って坂を上がった。

翌日、放課後すぐにはざまへ行った。

誰もいなかった。

それきり、二度と会っていない。

三日は毎日、放課後に行った。

四日目から、行かなくなった。

行かなくなった理由が、自分でもよく分からない。

誰かに止められたわけでもない。

ただ、坂を下りる途中で足が向かなくなった。

そのまま夏になり、はざまの話は友達の間からも消えた。

不思議なのは、あの人のことを、友達の誰も見ていないことだ。

俺は五回とも、ひとりのときに会っている。

いちど、友達を連れて行こうとしたことはある。

その日は、坂の下で友達が転んで、膝を切った。

血が出たので、二人で駄菓子屋へ行った。

婆さんが赤チンを塗ってくれているあいだに、日が暮れた。

結局、はざまには行かなかった。

次の日には、煙が止まっていた。

おかしいと思い始めたのは、中学に上がってからだ。

思い出すたびに、細かいところが引っかかるようになった。

ひとつ目は、靴だ。

五回のうち二回は、雨上がりの夕方だった。

はざまの土は、雨のあと一日は乾かない。

俺の靴はいつも泥だらけになった。

あの人の靴は、一度も汚れていなかった。

濡れてもいなかった。

ふたつ目は、影だ。

あの坂は西向きで、夕方には、影が坂の下へ長く伸びる。

写真を撮ってもらったとき、俺の影も下へ伸びていた。

あの人の影だけが、坂の上のほうへ伸びていた。

当時は何とも思わなかった。

思い出してから、背中が冷えた。

いちど、確かめようとしたことがある。

高校のとき、同じ坂で、同じ時刻に自分の影を見た。

やはり下へ伸びた。

擁壁の向きは変わっていない。

西の空も、四十年前と同じところに沈む。

三つ目は、地名だ。

いちど、どこの町から来たのかと訊いたことがある。

返ってきた地名を、俺は覚えていた。

高校の地理室で、県内の古い地図を片っ端から調べた。

合併前の町名にも、合併後の町名にも、その名前は無かった。

司書の先生に訊くと、聞いたこともないと言われた。

「新しくできる町かもしれんね」

先生は冗談のつもりだったのだと思う。

俺は笑えなかった。

五つ目は、音だ。

あの機械からは、音楽が鳴った。

知らない曲だった。

歌詞は日本語で、女の人が歌っていた。

俺はその一節を、しばらく口ずさめるくらい覚えていた。

二十代の終わりに、その曲がラジオから流れた。

新曲として紹介されていた。

俺は車を路肩に停めて、最後まで聞いた。

曲名も、歌っている人の名前も、あえてここには書かない。

四つ目に気づいたのは、ずっとあとだ。

父が体を悪くして、実家を片付けた年だった。

台所の壁の裏から、古いカレンダーの束が出てきた。

母は、使い終わったカレンダーを一年ぶん、丸めて仕舞う人だった。

昭和五十七年のものもあった。

五月の欄には、律儀に×が並んでいた。

一日、二日、三日。

ずっと続いている。

途中で、五日ぶんだけ、抜けていた。

その五日は、飛び飛びだった。

連続していない。

俺は、その日付を紙に書き出して、しばらく見ていた。

母の×は、鉛筆の押し方に癖がある。

右下がりの線を先に引いて、あとから左下がりを重ねる。

だから交点が、いつも少しだけ右に寄る。

抜けている五日の欄には、その交点の跡すら無かった。

消しゴムで消した紙は、光にかざすと繊維が毛羽立って見える。

俺は台所の窓に五月の頁をかざして、一枚ずつ確かめた。

毛羽立ちは、どこにもなかった。

書いて消したのではない。

はじめから、書かれていない。

あの人に会ったのは五回だ。

会った日の記憶と、抜けている日付は、たぶん重なる。

たぶん、というのは、俺のほうに確かな記録がないからだ。

一日も欠かしたことのない人の帳面から、五日だけが抜けていた。

母に訊こうと思ったが、その頃にはもう、母は日付が分からなくなっていた。

父の遺した仕事帳が、納屋から出てきたのは、その翌年だ。

窯師は、どこの窯にいつ火が入ったかを記録している。

焚き始めの日と、焚き上げの日と、窯出しの日。

昭和五十七年五月の頁を開いた。

俺の書き出した五つの日付は、すべて、どこかの窯の「焚き三日目」に当たっていた。

五つとも、である。

頁の欄外に、父の字で、短い書き足しがあった。

はざま、人影。

口きかず。

五つの日付すべてに、同じ二行が書いてあった。

父は、見ていたのだ。

見ていて、俺には何も言わなかった。

言えば、俺がもう一度行くと思ったのだろう。

父が仕事帳をつけ始めたのは、祖父から仕事を継いだ年だという。

その祖父の帳面も、納屋の同じ箱に入っていた。

昭和二十年代のものだ。

紙が茶色くなって、開くと粉が落ちた。

俺は、焚き三日目の欄だけを追っていった。

祖父の字でも、同じ二行が、何度か出てきた。

はざま、人影。

口きかず。

その回数を数えるのは、途中でやめた。

あの五日は、母にとって、無かった日やった。

父に確かめたことは、一度だけある。

もう口がうまく回らなくなった頃だ。

俺は、はざまで人に会った話をした。

父は目だけを動かして、しばらく天井を見ていた。

それから、短く言った。

「口、きいたか」

「きいた」

「答えたか」

「答えた」

父は、それきり何も言わなかった。

手を出して、俺の手首を握った。

握力はほとんど残っていなかった。

それでも、離すまでに、ずいぶん時間がかかった。

父が亡くなったあと、母を施設へ移した。

面会に行くと、母はたいてい、窓のほうを見ている。

日付を訊いても、答えられない。

ただ一度だけ、こちらを見て、はっきりこう言ったことがある。

「今日は、まだ終わっとらんよ」

俺が理由を訊く前に、母はまた窓を見た。

その日は、坂の上の窯に火が入って、三日目だった。

あとで確かめて、そうと分かった。

いま、俺は五十三になる。

町に窯は少なくなったが、まだいくつか残っている。

父の仕事は継がなかった。

継がなかったのに、頼まれて、年に何度か焚き口を見に行く。

他に見られる人間が、もういないからだ。

焚き口の煉瓦は、火の当たり方で減り方が違う。

どこが先に痩せるかを、父は手で覚えていた。

俺は目でしか覚えていない。

それでも、二十年見ていれば、だいたい分かるようになる。

分かるようになってから、父の口癖の意味が、少しだけ変わって聞こえるようになった。

冷ますのに、焚くのと同じだけ日ぃがかかる。

急いで開けたものは、外は焼けていても、中はまだ生だ。

あれは、窯の話ではなかったのかもしれない。

去年の秋、坂の上の窯に火が入った。

三日目の夕方、俺ははざまの縁を通った。

土管を積んだところに、人が座っていた。

白っぽいシャツで、鞄は持っていない。

二十歳くらいに見えた。

顔は、確かめていない。

確かめなかったのは、怖かったからではない。

顔を見れば、二十歳の頃の自分に似ているかどうかを、考えてしまう。

考え始めたら、たぶん、口をきく。

向こうが口を開きかけたのは、気配で分かった。

俺は足を止めなかった。

目も合わせなかった。

そのまま坂を上がった。

四十年遅れて、父の言い付けを守ったことになる。

家に帰って、台所のカレンダーを見た。

その日の欄には、まだ何も書いていない。

俺は鉛筆を持って、しばらく突っ立っていた。

結局、×は付けなかった。

付けていいものかどうか、いまも決めかねている。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

ミステリーを応援する

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

¥240 の一度きりのお支払いで応援いただけます。
お礼として、以後ずっと広告を非表示にいたします(継続課金はありません)。

くわしく見る →

メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。