目に見えない存在の加護

地下鉄(フリー写真)

その日はいつも通りに電車に乗って会社へ向かった。

そしていつものようにドアに寄り掛かりながら外の景色を眺めていた。

地下鉄に乗り換える駅(日比谷線の八丁堀駅)が近付いて来て、網棚に上げておいた荷物を取ろうと、体を後ろに捻った瞬間だった。

「ぱしっ!」と顔に何か乾いたものが当たった。何だか判らない。敢えて言うなら布みたいなもの。強風に煽られたジャケットの襟が顔に当たるような、そんな感触だった。

驚いて振り返ったが、他のお客さんはみんな座席に腰を下ろしていて、俺にちょっかいを出せそうな位置には誰も居ない。

顔を押さえる俺を、みんな怪訝そうに見ている。

何が何だか解らなかったけれど、とにかく付けていたハードコンタクトレンズがズレて目の奥に入り込み、痛くて仕方が無かった。

それでいつも乗る地下鉄を一本遅らせることにして、駅のトイレに寄り洗面台でレンズを直した。

鏡に向かってレンズを直していたら、外が急に騒がしくなった。

『何だろう?』と思い、改札を通って駅構内へ入ろうとしたら、ホームから営団の駅員が

「入らないで下さい!すぐに地上に避難して!」

と、こちらに向かって叫んでいる。

びっくりして訳が解らないまま、とにかく指示通りに階段を駆け上がって地上へ出た。

そしたらすぐ目の前の車道に消防車が急停車し、消防隊員が俺と入れ替わりに階段を駆け下りて行った。

地下鉄サリン事件だった。

もしあの時、『何か』が目に当たってコンタクトがズレなかったら、俺の乗った電車はサリンの充満する霞が関駅に滑り込んでいた。

誰が助けてくれたのかは判らない。でもあれ以来、目に見えないものの存在を信じるようになった。

ここから先は蛇足だけれど……。

『死んだ人間』に『生きた人間』が救えるのなら、『生きた人間』が『生きた人間』を救うのは当然だ、とも思ったので、機会を作って色々なボランティアに参加するようにしている。

関連記事

手を繋ぐ親子(フリー写真)

おとうさん、こっち!

お隣に、両者とも全盲のご夫婦が住んでいらっしゃいます。 この話は、ご主人から茶飲み話に伺ったものです。 ※ ご主人は16歳の時に、自転車事故で失明されたそうです。 当然…

巻き戻った時間

記憶から消えない記憶

子供というのは、混乱すると訳の分からない行動をとってしまうものだ。 これは、幼い頃の自分に起きた、今でも信じがたい不思議な出来事である。 ※ 当時は5月の節句。 …

朝顔

幼い私が消えていた小一時間の記憶

アサガオが咲いていたから、あれは夏のことだったと思います。 当時、私は5歳で、庭の砂場で一人遊びをしていました。 いつものように、小さなシャベルで山を作ったり壊したりしな…

知らない女の子

東日本大震災での被害はほとんどなかったものの、津波で水をかぶった地域。 地震発生後、町内で一番高いところにある神社に避難していく途中、見慣れない女の子が猫を数匹抱えて走る姿を数多…

すたか駅

消えた駅『すたか』と提灯の山

それは、ある晩のことだった。 京都駅からJR線に乗り、長岡京へ向かっていた私は、仕事疲れもあってか、ついウトウトと居眠りしてしまった。 気づいたときには、電車はすでに見知…

運が良いね

今から話すお話は3年前、僕がまだ高校2年生だった時の話です。 その頃、僕はとあるコンビニでバイトをしていました。そのバイト先には同い年の女の子と、50過ぎくらいの店長、あと4人程…

手を握る(フリー写真)

義母と過ごした時間

思いつくままつらつら書いたので、長くなってしまいました。 苦痛な方はどうぞスルーしてください。苦労を支え合った義母との思い出です。 ※ 私が妊娠7ヶ月頃のこと。 大阪で…

前世

前世の記憶を語る少年

「前世」という概念すら知らないはずの幼い子どもが、突如としてそれを語り出すという話が、時折存在する。 米国・オハイオ州では、ある幼い男児が語る前世の記憶が、1993年にシカゴで…

ニワトリ

6月のある日の夕方に家に居ると、外出中の母親から電話がかかってきた。 かかりつけの病院に行って母の代わりに薬をもらって来てくれという内容だった。 俺は家を出て徒歩で病院に向かった。…

山の神様と冥界への道

私の父親は山好きです。当然、山関連の友人も多く、私も山へ行く度にそうした方々と話をしました。 そして、その友人の中にAさんという方が居ます。 私が彼と最後に話をしたのは高校…