幼い私が消えていた小一時間の記憶

朝顔

アサガオが咲いていたから、あれは夏のことだったと思います。

当時、私は5歳で、庭の砂場で一人遊びをしていました。

いつものように、小さなシャベルで山を作ったり壊したりしながら、夢中になって遊んでいたのです。

ふと顔を上げた瞬間――

生け垣の向こう側に、着物を着た見知らぬお婆さんが立っていました。

そのお婆さんは、ニコニコと微笑みながら、じっとこちらを見つめていたのです。

私は最初、特に気にすることもなく遊びを続けていました。

けれど、時間が経ってもそのお婆さんはそこに立ったまま、私を見つめ続けていたのです。

やがて私は不思議な気持ちになり、砂場から立ち上がって、生け垣の方へと歩み寄りました。

生け垣を挟んで、私とお婆さんは見つめ合いました。

どれほどの時間が過ぎたのか――まるで、時が止まったような感覚でした。

そのとき、突然――

「○美!」という母の怒鳴るような声が、真上から雷のように響きました。

驚いて振り向く間もなく、私は母に力強く抱きしめられていました。

「どこに行ってたの! 庭から出ちゃダメって言ったでしょう!」

母は泣きそうな顔で、必死に私を叱りました。

その直後、祖母も髪を振り乱して駆け寄ってきて、

「良かった……寿命が縮んだわよ!」

と言って、私の頭を何度も撫でてくれました。

話を聞けば、私の姿が庭から見えなくなったため、母と祖母は家の中からご近所まで、約一時間も私を探し回っていたのだと言います。

けれど私は、確かにずっと庭にいたのです。

生け垣の向こうに立つお婆さんを、ただ見つめていただけなのです。

「ずっと庭にいた」と何度も説明しましたが、誰も信じてくれませんでした。

その日は散々母に叱られ、私は夕方まで泣き続けました。

不思議なことに――

あのお婆さんがその後どうなったのか、私は全く思い出せません。

ただ、母の声が響いたあの瞬間に、パチンと音を立てるようにお婆さんの姿が消えたような気がしています。

あるいは、異なる世界のスイッチがカチッと切り替わったような、妙な感覚でした。

今にして思えば、お婆さんと見つめ合っていたあの時間、私の周囲から一切の音が消えていたように感じるのです。

庭に面した茶の間とキッチンでは、母と祖母が家事をしていたはずです。

そして、その境のガラス戸は全開になっていたのですから、本来なら鍋の音や足音、話し声が聞こえていてもおかしくなかったはずです。

けれど、私はその間、何も聞こえていませんでした。

ただ、静かに――

あの着物姿の、見知らぬお婆さんと向き合っていただけだったのです。

その日以来、私はあの体験を誰にも話すことなく、大人になりました。

けれど今もなお、夏の陽射しとアサガオの匂いがふと記憶を呼び起こすたび、
あの生け垣の向こうに立っていた微笑みを思い出してしまうのです。

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