通い猫

猫のイラスト(フリー素材)

本山さんは、私が出会った女性の中で最もキュートな女性の一人である。

この話は私の部屋で伺った。本山さんが中学生だった頃の話だ。

当時、裕福ではなかった本山さんは、一家でアパートの一階に住んでいた。

現在よりも野良猫や野良犬の多かった時代。

彼女が住むアパートの裏手にある駐車場には、猫がひっきりなしにやって来たが、その中で「モチ」と名付けられた一匹の猫を本山さんは今だ覚えている。

モチはぶち猫のオスだった。

シッポは千切れ、十センチ程しか無かった。触ると「サトウの切りモチ」のようで、そこからモチと本山家で呼ばれるようになったという。

「最初は駐車場でご飯をあげたりしていたんだけど……うちのママが窓を開けてるせいで、気付けばお家に入り込んで来るの」

本山宅にのっそりと入り込むモチだったが、なぜか窓に掛かるカーテンの陰から先には進まなかった。

「不思議だったのよねぇ。カーテンに包まれて、鎮座して、外をじぃっと眺めてるの。エサとかもねだらないし。

『いや、自分ここで大丈夫っすから』とでも言いそうな仏頂面で、いつの間にかやって来て、いつの間にか居なくなっているの」

モチは鳴きもしなかった。ただカーテンが猫の形そのままに盛り上がっているので、モチの存在にはすぐに気付く。

見つけると本山さんは妹と揃って笑うのが常だった。

「モチさーん、お尻出てますよー」

「出てますよー」

本山さんがお尻をつつくと「んんなぁ」と毎回短く鳴く。

ミルクを勧めると「そこまで仰るなら……」と言わんばかりに時間をかけて口を付ける。

顎を撫でられると「まぁ世話になってるんで……」と言わんばかりの渋い顔つきで耐える。

「なんだろ、イメージだけど高倉健さんみたいなにゃんこだったの。控えめで。何もねだらないで。今思い返すとあの子がトイレしているところも見たことなかったなぁ」

モチが本山宅に通い猫をしていた時期は約一年間。

無理やりにでももっと世話をしてあげれば良かったと本山さんは言う。

「たまにね、まぁにゃんこだから仕方ないんだけど、たまに『もう辛抱たまらん!』って感じで、ごろんごろん寝転がるの。

ほんの数分なの。数分すると、『寝転がったのは自分じゃないっす』みたいなとぼけた顔でまた座り直すのが可愛くて可愛くて」

よく言われる話だが、猫は死期が近付くといつの間にか姿を消すという。

モチの姿が一週間ほど見えなくなった頃、そんな話が本山家では出た。

心配している姉妹に向けて、母親は仕方のないことだと諭した。

いくら律儀な猫だからと言ってお別れを言う訳ではない。モチは高齢だったし、きっと誰も居ない場所で静かに息を引き取ったのだろう。

母親の説明に妹は泣いていたが、中学生だった本山さんは納得していた。

だが――モチは違った。

本山さんは確かに最後の挨拶を受け取ったのだという。

ある夜、本山さんは夢を見ていた。

悪夢だった。

宗教施設に連れて行かれる夢だった。

「夢の中で私は、白い衣装のおじさんにあれこれ説法されているの。狭くて暗い部屋で。とっても逃げられる雰囲気じゃなくて。

話を聞いている私はその内、『まぁこういう結末でもいいかぁ』って思うの。中学生のくせして『人生ここで終っても仕方ないかな』って思っちゃったの。

当時は色々あったから、あんまり生に執着が無かったのね」

本山さんに説法する宗教者は、ある液体を差し出してきた。

透き通ったグラスの中に、目視で分かる濁った赤色が見える。

グラスを受け取った本山さんは嫌な予感しかしなかった。だが断る気も起きなかった。

ぐっと口に近付けた瞬間、グラスが弾け飛んだ。

驚いてグラスの飛んだ先に視線をやると猫が居た。複数の猫が居た。

その中心に一匹。白地で黒斑でシッポが十センチ程の猫。モチにしか見えなかった。

「にゃあああ」

そう鳴いた猫の表情は、見慣れた無表情だった。

「にゃあああ……」

鳴き声を耳に残しながら、本山さんは覚醒した。深夜だった。暗いはずの室内が妙に明るい。

窓の外、駐車場がある場所が明るい。真っ赤。何かが燃えている。窓と近い場所で燃えている、と本山さんは瞬時に理解した。

煙が入り込んできていた。

後日知ったことだが放火だった。

飛び起きた本山さんは家族を起こし、隣人たちと避難した。通報した警察がやって来る頃には火はアパートに移り、隣人側の壁を酷く焦げさせたという。

「周りの大人達からとっても褒められたのを今でも憶えてる。私のおかげで命が助かったって、アパートの人は感謝してくれた」

もしあのまま夢から覚めなかったら……と考えるとぞっとする、と本山さんは言う。

煙の入り次第で、一家が全滅していた可能性もあった。夢から二度と覚めることがなかったかもしれないのだ。

――以来、モチの姿は二度と見なかった。

今も思い返すという。

夢の中で見たモチの無表情は、本山さんには心配している風にしか思えなかった。

まるで卒業する生徒を見守る教師のようだったという。

「律儀な子だったから、最後にうちにも恩を返したかったんだろうなぁ…って私は思ってる」

本山さんは照れたように笑う。

「人に信じてもらえないかもしれないけど、信じてもらえなくて全然構わないけど、モチは最後までうちのことを見守ってくれていたんだろうなぁって、私には解ったの」

今でもシッポの短いぶち猫を見つけると、モチのことを思い返す――本山さんは目を細めながら、そう言った。

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