不思議なお菓子の箱

不思議なお菓子

私の家は、両親がギャンブル好きだったため、いつも貧しい暮らしをしていました。

学校の給食費も支払いが遅れることが多く、その度に恥ずかしい思いをしたのを覚えています。

親がパチンコや競馬に夢中になっている間、家に残された私は、姉と二人で留守番をして過ごしていました。

晩御飯は親が帰ってきてから一緒に食べる決まりだったので、夕方はいつも空腹のまま。家にはお菓子もなく、ただお腹を空かせて待つことがしばしばでした。

それでも、たまに戸棚に買い置きのお菓子があると、姉と半分こして食べるのが楽しみでした。

ところが、不思議なことが起こるのです。

私と姉が食べているお菓子が“減らない”ことが、何度もあったのです。

当時、私が大好きだったのは「ハンコください」という、きのこの山に似たチョコレート菓子でした。

ある日、その箱を姉と開けて、一つひとつ数えながら綺麗に半分こし、ティッシュの上に並べて食べていました。

すると、気づけば空になったはずの箱が、いつの間にか再び満タンになっていたのです。

私と姉は驚き、声を上げてキャーキャー騒ぎました。

満タンになった「ハンコください」を食べ終えると、また箱は満タン。

嬉しくて、大事に戸棚にしまい、翌日、両親の前で自慢気に食べてみせました。

けれど、その時はもう増えることはなく、しょんぼりしながら箱を捨てました。

しばらく経ったある日。

親が夜遅くまで戻らず、空腹でたまらなかった私は、戸棚を探し回りました。

すると、そこには新品の「ハンコください」の箱がありました。

姉と二人で開けて食べ始めると、やはりあの時と同じように、箱の中身は減らず、何度食べても満タンのまま。

この“不思議なお菓子”に、私たちは何度も助けられました。

今でも、あの体験は姉と一緒に語り合うことがあります。

「きっと、あまりにもお腹を空かせていた私たちを、神様が憐れんでお菓子を足してくれていたんだよね」

姉はそう言います。

空腹が生んだ幻覚だと言われれば、それまでかもしれません。

けれど私にとって、あの「減らないお菓子」は、確かに存在しました。

幼い私たちを支えてくれた、温かく、不思議で、忘れられない大切な思い出です。

関連記事

未来は書き換えられている

書き換えられた模範解答

高校受験を控えたある日のことでした。 私は市販の問題集を使って、自室で静かに勉強に励んでいました。 問題を一通り解き終え、答え合わせを始めたときのことです。 どの問…

失われた時間

2001年の秋。 風邪ひいて寒気がするので、大久保にある病院に行くため西武新宿線のつり革につかまってた。頭がぐわんぐわんと痛みだして、ギュッと目を閉じて眉間にしわ寄せて耐えてた。…

異世界で過ごした日々

これまで3回ほど異世界に行ったことがあります。 1回目は多分、9歳か10歳の頃。2回目は23歳の頃、3回目は10年前の36歳の頃でした。 あの世界に行くのはいつも決まって、…

有名な家

もうかれこれ10年前の話。当時、まだ自分は9歳だった。 諸事情で祖母と二人暮らしをしていたが、小学生半ばの頃に母親とも一緒に暮らすことになった。 それまで祖母とは小さな漁師…

ガラス窓(フリー写真)

ガラスに映る人

私はN県の出身で、私が住んでいる街には、地元では有名なカトリック系の女子大があります。 私の母はその大学の卒業生でもあり、その頃講師として働いていました。 当時中学生だった…

牛(フリー写真)

ミチ

私の母の実家は一度、家が全焼してしまう大火事に遭いました。 当時住んでいたのは、寝たきりのおばあちゃんと、母の姉妹6人だけ。 皆が寝付いて暫く経った頃、お風呂を沸かすために…

巻き戻った時間

記憶から消えない記憶

子供というのは、混乱すると訳の分からない行動をとってしまうものだ。 これは、幼い頃の自分に起きた、今でも信じがたい不思議な出来事である。 ※ 当時は5月の節句。 …

子供にしか見えない

その友人親子は夕方に近くの公園まで散歩をするのが日課でした。 友人の仕事の関係上、いつも日暮れ前には帰宅していましたので、夕食ができるまでの間に4歳になる息子と毎日遊んであげてい…

プルタブ(フリー素材)

不思議なプルタブ

小学5年生の夏、集団旅行に行った帰りの事。 貸し切りの電車の中、友人と缶ジュースを飲みながら雑談していた。 私はスポーツ飲料を飲み干し、その缶を窓辺に置いて網棚の上から荷物…

癒しの手

不思議なおっさん

自分が小学生の頃、近所で割と有名なおっさんがいた。 いつもぶつぶつ何か呟きながら町を徘徊していた人だった。 両親も含めて、奇妙な人だから近寄らない方が良いと誰もが言っていた…