うちの町から、パンの匂いが消えた年の話だ。
私が大学二年の春のことだった。
実家は、私鉄の各停しか停まらない駅の、古い住宅地にある。
駅前に短い商店街があって、その真ん中に一軒のパン屋があった。
「むらせベーカリー」という。
昭和五十二年創業。間口二間の小さな店だ。
店主は二代目で、無口だが腕のいい人だった。
先代の頃は、隣の市から買いに来る客もいたらしい。
店の壁には、先代と二代目が並んだ白黒写真が飾ってある。
二人とも、同じ角度で粉だらけの腕を組んでいる。
朝六時にシャッターが開くと、通りの角まで焼きたての匂いが流れてくる。
うちの朝食は、二十年ずっとこの店の食パンだった。
母は週に三度、青い保冷袋を提げて買いに行く。
耳の固いところを私が食べ、柔らかいところを父が食べる。
母は耳を一枚だけ残して、午後の珈琲のときに囓る。
誰が決めたわけでもない配分が、二十年続いていた。
土曜の朝には、コロッケパンが揚がる。
揚げたては、紙袋の底が透けるほど熱い。
部活帰りの中学生が、自転車のまま店先に群がる。
あの行列が、町の体温みたいなものだった。
母とパン屋のおかみさんは、店先で十分は立ち話をする仲だった。
「今日は焼きが良うできたよ」と言われた日の食パンは、確かに少し甘かった。
ああいう関係も含めて、うちの朝食だったのだと思う。
そういう、どこにでもある町だった。
※
最初の異変は、四月の終わりだった。
郵便受けに、一枚のわら半紙が入っていた。
印刷の粗い、手作りのチラシだった。
見出しには、こうあった。
「パンは危険な食べ物です」
馬鹿馬鹿しい、と思いながら読んだ。
そこには、奇妙な統計が並んでいた。
「犯罪者の98%は、パンを食べています」
「パンを日常的に食べて育った子どもの約半数は、テストの成績が平均以下です」
「暴力的犯罪の90%は、パンを食べてから24時間以内に起きています」
「パンには中毒性があります。パンと水を与えられた被験者は、水だけにされると二日でパンを異常に欲しがります」
「新生児にパンを与えると、喉を詰まらせて苦しみます」
「各家庭が自分でパンを焼いていた18世紀、平均寿命は50歳でした」
差出人の名前はなかった。
隅に小さく「地域の食の安全を考える会」とだけあった。
私は笑って、チラシをゴミ箱に捨てた。
統計学の講義を取り始めたばかりの私には、いい教材に見えたくらいだ。
どの文も、嘘は書いていない。
ただ、意味もない。
比べる相手のない数字は、ただの飾りだ。
けれど飾りは、人の目を引くためにある。
犯罪者の98%はパンを食べる。当たり前だ。
その98%は、たぶん米も食べているし、水も飲んでいる。
そのときは、それで終わるはずだった。
後から考えれば、あのチラシはポストに「入っていた」のではない。
「配られて」いたのだ。
この住宅地の、ほとんど全部の家に。
それだけの労力を、誰かが無料でかけていた。
その不自然さに、当時は誰も気づかなかった。
連休が明けた頃、母の様子が変わった。
朝の食卓に、食パンが出なくなった。
「なんとなくね」と母は言った。
「ほら、ああいうのを読むとね。気になっちゃって」
「あれ、全部デタラメだよ」
「でも、嘘は書いてないんでしょう?」
言葉に詰まった。
嘘は書いていない。それがあのチラシの、いちばん嫌なところだった。
父は「くだらん」と言って、変わらずパンを食べていた。
ただ、会社に持っていく昼食に、母がパンを入れなくなった。
食卓で争いになるのが嫌で、父も黙った。
正面から争えば負けない話ほど、家の中では争われない。
一度だけ、私は母の前でチラシの数字を一つずつ潰してみせたことがある。
母は最後まで聞いて、それから言った。
「あなたの言うことは正しいと思う。でも、ご近所はそう思ってないのよ」
正しさの問題では、最初からなかったのだ。
隣の奥さんも、向かいの家も、同じチラシの話をしていた。
「怖いわよねえ。知らなかったわ」
「うちはもう、朝はご飯にしたの」
スーパーの米売り場が、心なしか混むようになった。
反対に、菓子パンの棚の前では、誰もが少し早足になった。
買うことより、買っているところを見られることを、みんなが避け始めていた。
回覧板に、二枚目のチラシが挟まっていたのは五月の半ばだ。
今度は「実例」が載っていた。
隣町で起きた傷害事件の犯人が、パン工場の夜勤明けだったこと。
市内の不登校児童の家庭の多くが、朝食にパンを食べていたこと。
出典は、どこにも書いていない。
それでも、回覧板という乗り物に乗った瞬間、紙切れは「町の公式な心配」に化けた。
むらせベーカリーの店先から、人が減った。
朝六時の匂いは変わらないのに、買う人だけがいなくなった。
ランドセルの子が、店の前で立ち止まって、また歩き出すのを見た。
買いに来たのに、誰かに見られるのが嫌で、引き返したように見えた。
店のガラス越しに、棚のパンが夕方まで残っているのが見えるようになった。
売れ残りの数は、チラシのどんな数字より正確に、町の変化を示していた。
六月に入ると、店主の娘が学校で「パン屋の子」と呼ばれている、という話が聞こえてきた。
市の広報に、学校給食のパンを減らせという投書が載ったのも、この頃だ。
投書の主の名前に、覚えはなかった。
ただ文面に、あのチラシと同じ言い回しがあった。
私は当てつけみたいに、むらせベーカリーで買い物をするようになった。
店主は相変わらず、無口だった。
ある朝、お釣りを渡しながら、ぽつりと言った。
「あんたんとこのお母さんは、悪うないよ」
「ああいうのはね、責めたら余計に意地になる。うちは、待つだけ」
待つだけ、と言ったその人の店が、結局なくなるのだが、それはもう少し先の話だ。
七夕の頃、三枚目のチラシが来た。
「お子さんを守れるのは、ご家族だけです」
数字は、もうほとんど載っていなかった。
載せる必要が、なくなったのだ。
公民館で「考える会」の集まりが開かれたのは、その頃だ。
築四十五年の、あの古い公民館だ。
和室の畳は日に焼けて、壁には防犯標語のポスターが貼ってある。
廊下の奥には、古い炊事場がある。
祭りの前には、ここで婦人会がおにぎりを握る。
そういう、町のまんなかの建物だった。
だから余計に、効いたのだと思う。
夏祭りの夜、会は境内の隅で麦茶を配っていた。
「お子さんの食を考える署名」の用紙が、机に置いてあった。
署名の欄の隣に、住所と家族の人数を書く欄があった。
冷たい麦茶の礼に、みんなするすると書いた。
うちわで仰ぎながら、笑いながら、書いた。
母が出かけると言うので、私もついて行った。
※
集まりには、三十人ほどが来ていた。
思ったより、多い。
前に立ったのは、初老の男だった。
灰色のジャケットに、銀縁の眼鏡。
声が、よかった。
低くて、ゆっくりで、聞く人を安心させる声だった。
男は、元は食品関係の研究所にいたと自己紹介した。
どこの研究所かは、言わなかった。
誰も、訊かなかった。
「私たちは、パンを売る人を責めているのではありません」
「ただ、数字を見てほしいのです。数字は、嘘をつきませんから」
拍手が起きた。
私は手元の資料をめくった。
例の統計が、グラフ付きで載っていた。
グラフにすると、無意味な数字は、ますます立派に見えた。
資料の最後の頁には、入会の申込書が付いていた。
会費は、無料だった。
金を取らない集まりほど、何を取っているのか分からないものはない。
質問の時間に、私は手を挙げた。
「その98%という数字ですが、パンを食べない人の犯罪率と比べないと、意味がないのではないですか」
会場が、しんとした。
男は怒らなかった。
にこにこと私を見て、こう言った。
「いい質問です。学生さんですか。数字に強い方は、貴重です」
そして、答えずに次の質問へ移った。
会の終わりに、用紙が配られた。
簡単なアンケートです、と若い女が言った。
家族の人数。朝食の内容。情報源は何か。
母は几帳面に、全部の欄を埋めていた。
帰り道、母は「あなた、失礼よ」と私を叱った。
反論された側ではなく、質問した側が叱られる。
このときの薄ら寒さを、私は今もうまく言葉にできない。
それでも私は、まだ「変な健康ブーム」程度に思っていた。
考えが変わったのは、七月の夜だ。
母が公民館の和室に手帳を忘れ、私が閉館間際に届けに行った。
和室の電気は、まだ点いていた。
襖の隙間から、例の男と、見覚えのない若い男女が見えた。
机の上に、ノートが広げてあった。
「第3期・パン。浸透率、想定より早い」
男の声が、そう言うのが聞こえた。
「回覧板に乗った時点で勝ちです。個人のチラシは疑われるが、回覧板は疑われない」
若い女が、何かをノートに書き込んだ。
私は手帳を持ったまま、廊下の暗がりに立っていた。
「次の数字は、もう少し雑でもいい。今回ので、この地区の基準値は分かりましたから」
笑い声がした。
三人とも、楽しそうだった。
悪意の声ではなかった。それが、かえって嫌だった。
実験がうまくいったときの、研究室の声だった。
基準値。
その単語が、耳の奥に張り付いた。
私は手帳を届けるのをやめて、そっと公民館を出た。
夜の商店街は、もうほとんど灯りがなかった。
むらせベーカリーのシャッターの前だけ、自販機の白い光が落ちていた。
歩きながら、自分の足音が妙に大きく聞こえた。
誰かに数えられているような、足音だった。
数日後、母が会の名簿整理を手伝うと言い出した。
私は代わりに行くと申し出た。名簿が見たかったからだ。
公民館の物置で、段ボールを開けた。
一番下に、手書きの綴りがあった。
表紙には、何も書いていない。
中身は、日付と地名と数字の表だった。
「第1期・電磁波。○○台。浸透率31%」
「第2期・外国産の米。△△町。浸透率44%」
どちらも、聞いたことのある騒ぎだった。
数年前、隣の学区で「電線の近くの家は危ない」という噂が流れたことがある。
その前は、特定の産地の米を避ける運動が、どこかの町であった。
全部、同じ綴りの中にあった。
そして最後の頁に、こうあった。
「この地区は、数字に従う。検証の必要なし。次段階へ」
頁の隅に、小さな書き込みがあった。
「集会での質問者、一名。学生。影響は限定的」
指先が、冷たくなった。
私のことだった。
あの「いい質問です」の笑顔のまま、男は私を数字にしていたのだ。
私は綴りを元に戻し、何も見なかった顔で名簿を整理して帰った。
それ以外に、どうすればよかったのか、今でも分からない。
※
八月の終わり、考える会は解散した。
正確には、消えた。
公民館の予約台帳から名前が消え、あの男も、若い二人も、誰も見なくなった。
連絡先を知っている人は、一人もいなかった。
三十人も集まっていたのに、誰も、何も知らなかったのだ。
会のアンケート用紙だけが、どこかへ持ち出されていた。
アンケートには、こんな設問があった。
「あなたは、ご近所からの情報と、テレビの情報、どちらを信じますか」
今思えば、あれも測定だった。
警察に相談した人も、いたらしい。
けれど、嘘の統計を配ることは、罪にはならなかった。
誰も脅されていない。誰も金を取られていない。
ただ、パン屋が一軒消えただけだ。
むらせベーカリーは、年明けに店を閉めた。
シャッターに貼られた挨拶の紙には、「長らくのご愛顧」とだけあった。
店を畳む少し前、最後にコロッケパンを買いに行った。
店主は釣り銭と一緒に、揚げたてをひとつ、おまけに袋へ入れた。
「あんた、あの会合で手ぇ挙げたんだってね」
「……はい。何も変わりませんでしたけど」
「変わらんでもね、覚えとる人間は覚えとる。それでええんよ」
それが、店主と交わした最後の会話になった。
母は今でも、なんとなくパンを買わない。
デタラメだったと分かった今でも、だ。
「だって、気持ち悪いじゃない。一度ああいうのを読むとね」
一度入れられた数字は、否定されても、抜けない。
彼らはたぶん、それも知っていた。
大学で統計の教授が言っていた。
「数字で嘘をつく方法は山ほどある。一番簡単なのは、本当の数字を、意味があるように並べることです」
教授は、こうも言った。
「広告は商品を売るために数字を使う。では、商品のない数字は、何を売っていると思いますか」
教室では、誰も答えられなかった。
私は今なら、少しだけ答えられる気がする。
秋になって、私は卒論のテーマを決めた。
地域社会における疑似統計の伝播、というものだ。
指導教官は面白がったが、書き進めるたびに、あの和室の灯りを思い出して手が止まった。
調べれば調べるほど、同じ型の騒ぎが、あちこちの町で見つかった。
電磁波。米。古い予防接種の噂。
どれも、いつの間にか始まり、いつの間にか消えていた。
そして、どの町にも「会」の連絡先を知る人はいなかった。
あの夏、私の町で行われていたのは、パンの追放運動ではなかった。
彼らが測っていたのは、パンの害ではない。この町が、数字にどこまで従うかだった。
何のための測定だったのかは、今も分からない。
分からないことが、一番怖い。
去年、別の県に住む友人が、写真を送ってきた。
彼女のマンションの掲示板に貼られていたという、一枚のわら半紙。
「水道水は危険な飲み物です」
並んでいる統計の文体に、見覚えがあった。
隅の小さな文字も、同じだった。
「地域の水の安全を考える会」
友人は笑い話のつもりで送ってきた。
「うちの町にも変なのが来たよ」と。
私は、すぐには返信できなかった。
やめておきなさい、と打って、消した。
あの町で「質問者一名」と書かれた人間の忠告など、たぶん何の役にも立たない。
私はあのチラシの、最後の一行を思い出す。
ゴミ箱に捨てる前に読んだ、いちばん下の小さな一行だ。
「パンを食べる日本人のほとんどは、重大な科学的事実と、無意味な統計の区別がつきません」
あの一行だけが、チラシの中で唯一の、本当の調査結果だったのだ。
多分、どの町でも、最後の一行までは誰も読まない。
彼らはそれも、数字で知っている。