
日高の国道沿い、冬のスタンド
昭和五十八年の冬、私は十九でした。
北海道の日高、国道沿いのガソリンスタンドで働いていました。
海側に開けた、風の強い場所です。
冬は、風のせいで雪があまり積もりません。
その代わり、路面が磨かれたように光ります。
あの土地では、それを黒い道と呼んでいました。
客の半分は、馬を運ぶトラックでした。
日高は馬の産地です。
牧場から競馬場へ、あるいは牧場から牧場へ、大きな箱を積んだ車が夜通し走ります。
運転手は、たいてい仮眠を取りながら来ます。
スタンドの裏の空き地が、その仮眠場所でした。
私を仕込んだのは、藤倉さんという先輩でした。
三十半ばで、無口な人です。
教え方も無口でした。
やって見せて、こちらがやって、違えば手で直す。
言葉はほとんどありません。
その藤倉さんに、一つだけ、しつこく言われたことがあります。
先輩は、窓を拭くとき、必ず後ろのガラスから拭きました。
普通は、運転席側からです。
客の顔が見える側から始めて、挨拶をしながら回ります。
藤倉さんは、逆でした。
後ろから始めて、最後に運転席へ回るのです。
「なんで、後ろからなんすか」
「そのうち分かる」
それだけでした。
※
馬運車の運転手が言ったこと
仮眠に来る運転手たちとは、よく話しました。
夜中の三時、四時に、缶コーヒーを片手に事務所へ入ってくるのです。
そのうちの一人、苫小牧から来る野々村さんという人が、こんなことを言っていました。
「馬はな、乗せる前に、箱の中を暖めとくんだ」
「暖めるんですか」
「冷えた箱に入れると、暴れる。だから、先に人が入って、しばらく座る」
人の体温で、箱の中の空気を少し動かしておく。
そういう手順だそうです。
「暖まったかどうかは、どうやって分かるんですか」
「窓に手ぇ当てりゃ分かる」
野々村さんは、当たり前のことのように言いました。
その話を、私は藤倉さんにしました。
藤倉さんは、うなずきもしませんでした。
ただ、「馬は正直だ」とだけ言いました。
いま思えば、あの人は、その話を私に聞かせるつもりで野々村さんを事務所に上げていたのかもしれません。
教え方が、そういう人でした。
※
伝票の書き直し
もう一つ、妙な決まりがありました。
給油伝票の書き直しです。
うちのスタンドでは、伝票を書き損じたら、その場で破らずに、事務所の綴りに挟むことになっていました。
そして、書き直すときは、必ず客を事務所へ呼びます。
「確認をお願いします」と言って、中へ入ってもらうのです。
私は、面倒な決まりだと思っていました。
書き直しなど、その場で直せば済む話です。
店長の千葉さんに一度訊いたことがあります。
「あれ、なんのためなんすか」
「時間だ」
「時間」
「客を、車から離す時間だ」
意味が分かりませんでした。
分からないまま、二年が過ぎました。
※
黒い道
あの国道の、峠に上がる区間を、地元では黒い道と呼んでいました。
風で雪が飛ばされて、路面が黒く光るからです。
ただ、呼び名の由来はもう一つあると、千葉さんは言っていました。
「昔は、あそこ、灯りがなかったんだ」
「街灯が」
「一本もない。月のない晩は、ヘッドライトの先だけが世界だ」
そういう道では、人は前しか見ません。
後ろを見る理由が、ないからです。
「後ろを見るのは、ミラーだけだ」
千葉さんは、そう言って笑いました。
「ミラーはな、映さんこともある」
その言い方が、冗談なのか本気なのか、当時の私には分かりませんでした。
いまも分かりません。
※
あの晩の一台
その晩は、二月の、風のない日でした。
風のない日は、かえって寒い。
音が遠くまで届きます。
午前一時を回ったころ、乗用車が一台入ってきました。
白いセダンです。
運転していたのは、二十代半ばくらいの男性でした。
ひとりです。
後部座席には、荷物もありませんでした。
私が給油に回り、藤倉さんが窓を拭きにいきました。
藤倉さんは、いつものように後ろのガラスから拭きました。
そこで、動きが止まりました。
手のひらを、ガラスに当てたまま、動かないのです。
五秒か、十秒か。
それから、ゆっくり運転席側へ回りました。
顔つきが、変わっていました。
眉のあいだに深い皺が寄って、車内を睨むように見ています。
客が、少し身を引いたのが分かりました。
怖い顔で見られたら、誰でもそうします。
給油が終わって、客がカードを出しました。
藤倉さんは、それを受け取って事務所へ入り、しばらくして戻ってきました。
そして、こう言ったのです。
「お客さん、このカード、うちの機械が受け付けません」
「え」
「不正の可能性があります。中で確認しますので、降りてください」
言い方が、わざと強かった。
客は、青くなりました。
あとで聞いた話では、その人はカードを使うのがその日が初めてだったそうです。
だから、自分が何か間違えたのだと思い込みました。
びくびくしながら、車を降りて、藤倉さんについて事務所へ入っていきました。
※
事務所での一言
私は、給油機の横に立ったままでした。
何が起きているのか、まるで分かりません。
ガラス越しに、事務所の中が見えます。
藤倉さんが、伝票の綴りを開いて、客に何か言っています。
客が、急に振り向きました。
それから、両手で顔を覆いました。
膝から力が抜けて、パイプ椅子に座り込みました。
私は、そのとき初めて、走って事務所へ行きました。
藤倉さんは、私を見て、短く言いました。
「表、見てこい。後ろのガラス」
外へ出ました。
白いセダンの、後ろのガラスです。
私は、そこで足が止まりました。
ガラスが、内側から曇っていました。
誰も乗っていない車の、後ろのガラスだけが、内から白くなっているのです。
そして、その曇りの真ん中が、掌の形に拭ってありました。
内側から、拭いた跡です。
指の跡も、四本ありました。
私は、後ずさりしました。
事務所へ戻ると、藤倉さんが客にこう言っているところでした。
「お客さん。今夜は、この車で峠を越さんでください」
※
先輩が見ていたもの
客が帰ったあと、藤倉さんは事務所の椅子に深く座って、煙草に火をつけました。
私は、訊かずにいられませんでした。
「藤倉さん。何が、いたんですか」
「いない」
「え」
「誰も乗ってなかった。おまえも見たろう」
「じゃあ、なんで」
藤倉さんは、煙を天井へ吐きました。
「後ろのガラスから拭くのは、曇りが内から来ているのか、外から来ているのかを、手のひらで確かめるためだ」
外から曇るガラスは、冷たい。
内から曇るガラスは、暖かい。
触れば、一秒で分かります。
暖房を切って走ってきた車の、後ろだけが暖かい。
それは、人が乗っていた場合にしか起きません。
「乗ってない車で、そうなってたら」
「まだ、降りてないってことだ」
藤倉さんは、そう言いました。
「降りてない、というのは」
「言わせるな」
そこで、話は終わりました。
※
あの客からは、二週間後に手紙が来ました。
スタンドの住所宛てで、名前は書いてありませんでした。
便箋一枚に、こう書いてありました。
あの晩、峠を越さずに帯広の兄の家に泊まった。
翌朝、車を見たら、後部座席の足元のマットが濡れていた。
自分は、後ろのドアを一度も開けていない。
それだけです。
署名も、返信先もありませんでした。
藤倉さんは、その手紙を読んで、綴りに挟みました。
「返事は」
「書かん」
「なんでですか」
「書いたら、あの人が、もういっぺん思い出す」
藤倉さんは、綴りを閉じました。
「忘れられる人は、忘れたほうがいい」
※
綴りに書いてあった数
その夜、藤倉さんは伝票の綴りを開いて、いちばん後ろの頁を見せてくれました。
そこには、日付と、車種と、方向だけが書いてありました。
金額の欄は、ありません。
頁の上に、鉛筆でこう書いてありました。
「書き直し」
数えたら、十一件ありました。
いちばん古いのは、昭和三十四年でした。
「三十四年って、店長より前ですよね」
「初代の店長だ。千葉さんの親父さん」
「その人が、始めたんですか」
「そうだ」
藤倉さんによると、初代の店長は、開店の翌年に一度、峠でひどい目に遭ったそうです。
詳しいことは、誰にも話さなかった。
ただ、その年から、あの二つの決まりを作りました。
後ろのガラスから拭くこと。
伝票を書き直すと言って、客を車から離すこと。
降ろした客を、事務所で三十分は帰さない。
そのあいだに、車の中の温度が、外と同じになります。
「温度が同じになったら、どうなるんです」
「降りる」
藤倉さんは、それだけ言いました。
※
初代の店長が峠で遭ったことについては、断片しか伝わっていません。
千葉さんが子どものころに、一度だけ、父親が口を滑らせたそうです。
吹雪の晩に、峠の途中で車が停まった。
エンジンは動いている。
ただ、アクセルを踏んでも進まない。
後ろが、重かった。
荷物は何も積んでいなかったのに、後ろだけが沈んでいた。
降りて、確かめようとしたら、後ろのガラスが内から曇っていた。
そこまでで、父親は話をやめたそうです。
「そのあと、どうしたかは、聞いてない」
千葉さんは、そう言いました。
「ただ、親父は、それから三十年、冬に峠を越さんかった」
※
十一という数の意味
私は、その十一件を、救った数だと思っていました。
実際、そう考えるほうが気持ちのいい話です。
二十四年で十一人。
年に一人にも満たない、地味な仕事です。
それでも、十一人は峠を越さずに済んだ。
そう思って、私はその綴りを大事にしていました。
綴りの意味が違うと分かったのは、店を辞める年です。
千葉さんが、二代目の店長として、初めてその話をしてくれました。
「あれな、助けた数じゃないんだ」
「違うんですか」
「うちで、書き直しをやった数だ」
「同じことじゃ」
「うちの店に寄った車だけを、数えてる」
私は、綴りの十一行を思い出しました。
日付が、ばらばらでした。
三十四年、三十七年、四十一年。
間隔に法則がありません。
千葉さんは、こう続けました。
「うちに寄らんかった車のことは、うちには書けん」
あの国道には、スタンドが三軒ありました。
後ろのガラスから拭く店は、うちだけです。
ほかの二軒は、運転席側から拭きます。
普通の拭き方です。
※
藤倉さんが辞めた日
藤倉さんは、私が辞める半年前に、先に店を出ました。
理由は、誰にも言いませんでした。
最後の日、私は裏の空き地まで見送りに行きました。
雪の少ない、明るい日でした。
藤倉さんは、自分の軽トラの後ろのガラスに、手のひらを当てていました。
癖です。
「藤倉さん」
「おう」
「なんで辞めるんですか」
藤倉さんは、手を離して、こちらを見ました。
「触りたくなくなった」
「え」
「毎晩、何十台も触ってると、そのうち、触るのが怖くなる」
私は、そのとき意味が分かりませんでした。
いまは分かります。
確かめる仕事というのは、いつか必ず、確かめてしまう日が来る仕事です。
藤倉さんは、それが来る前に降りたのだと思います。
「おまえは、まだ若い」
「はい」
「若いうちは、触っとけ」
軽トラは、国道を東へ出ていきました。
峠とは、反対の方向でした。
※
二十年後の峠
私は、二十一でスタンドを辞めました。
札幌に出て、運送の仕事に就きました。
結婚して、子どもが二人できました。
その話を、家では一度もしていません。
平成十五年の、やはり二月でした。
親戚の法事で、日高へ帰りました。
帰りは夜になりました。
あの国道です。
スタンドは、三軒とも、とうに廃業していました。
更地になった場所を、ライトが照らして通り過ぎました。
更地になったスタンドの跡には、看板の土台だけが残っていました。
コンクリートの四角い塊です。
法事の帰りに、私はそこに車を停めました。
降りて、給油機のあったあたりに立ってみました。
風の音しかしません。
事務所は、この向きでした。
ガラス越しに、藤倉さんと客が見えた位置です。
二十年たっても、体が場所を覚えていました。
私は、そこでしばらく、自分の車のほうを見ていました。
ライトを点けたままにしてありました。
後ろのガラスは、まだ何ともありませんでした。
そのときは、まだ。
※
峠の手前で、私は暖房を切りました。
窓が曇りやすくなるからです。
そのとき、ルームミラーに、白いものが見えました。
後ろのガラスです。
私は、路肩に停めました。
エンジンを切って、しばらく座っていました。
それから、降りて、後ろへ回りました。
あの晩、私の車の後ろのガラスは、内側から曇っていました。
手のひらを当てました。
暖かい。
外気は、氷点下十度近くありました。
私は、その場に立ったまま、三十分待ちました。
車のほうを見ないようにして、路肩の雪を蹴っていました。
藤倉さんの言った時間です。
三十分たって、もう一度触りました。
冷たくなっていました。
曇りも、消えていました。
※
十二人目
札幌に戻ってから、私は千葉さんに手紙を書きました。
返事は、奥さんから来ました。
千葉さんは、その前の年に亡くなっていました。
手紙には、あの綴りが同封されていました。
薄い、藁半紙の綴りです。
十一行の下に、空欄が一行だけ、線が引いてありました。
誰かが埋めるつもりで、あらかじめ引いてあったのです。
私は、そこに書きました。
日付と、車種と、方向。
金額の欄は、ありません。
十二人目の欄は、私が埋めることになりました。
いま、その綴りは私の家の抽斗にあります。
子どもたちには、見せていません。
ただ、長男が今年、免許を取りました。
納車の日、私は一つだけ言いました。
「窓を拭くときは、後ろのガラスから拭け」
「なんで」
「そのうち分かる」
藤倉さんと、同じ答え方になってしまいました。
夜の道で乗せた覚えのない相手に気づく話としては、こちらの一編にも似た冷たさがあります。
また、通ってはいけない道が人を選ぶ感覚については、この話を思い出します。
いまでも、冬に長く走った日は、車を降りる前に後ろへ回ります。
手のひらを、ガラスに当てます。
たいていは、冷たい。
たいていは、です。