
これは、私が三十二歳の春に、防波堤の上で経験した話だ。
私は平日は会社に勤めていて、週末になると一人で釣りに出る。
通うのは、家から車で四十分ほどの、古い漁港の外れにある長い防波堤だった。
もう五年は同じ場所に通っていたから、足元のコンクリートの継ぎ目の位置まで覚えていた。
どこで足を滑らせやすいか、どの角で風が巻くか、体が勝手に知っていた。
その日も、夜が明ける前に家を出た。
海沿いの道は霧が濃く、ヘッドライトの光が、白い壁に吸い込まれていくようだった。
対向車は一台も来なかった。
港に着いたのは、午前四時を少し回った頃だ。
駐車場には、私の車のほかに一台もなかった。
防波堤へ続く鉄の門は、いつもどおり腰の高さの鎖で閉じられていた。
私はその鎖をまたいで、奥へと歩いていった。
※
防波堤は、付け根から先端まで、二百メートルほどある。
先端には、赤い小さな灯台が立っている。
私はいつも、その灯台の手前まで歩いて、そこで竿を出すことにしていた。
霧のせいで、先端の灯台はまだ見えなかった。
潮の匂いがして、足元ではひたひたと波が鳴っていた。
私は慣れた手つきで仕掛けをこしらえ、最初の一投を海へ放った。
錘が水面を打つ音が、やけに近くで聞こえた。
そのとき、ふと、おかしなことに気づいた。
汽笛が鳴らないのだ。
この港には、沖に向けて、数分おきに低い汽笛を鳴らす設備がある。
霧の朝には、必ずと言っていいほど鳴っていた。
それが、その朝にかぎって、一度も聞こえてこなかった。
故障だろうか、と私は思った。
けれど、それだけではなかった。
海鳥の声が、まったくしないのだ。
いつもなら、夜明けの港にはウミネコの鳴き声が満ちている。
餌をねだって、足元まで寄ってくることもある。
その朝は、一羽も見当たらなかった。
海面も、おかしいほど平らだった。
風がないのに、波の形が、まるで作り物のように整っていた。
遠くの貨物船の灯りも、その朝は一つも見えなかった。
※
妙だな、とは思ったが、私はそのまま釣りを続けた。
三十分ほど経っても、当たりは一度もなかった。
それどころか、海の中に魚の気配そのものがないように感じた。
そろそろ場所を変えようかと、私は腰を上げた。
そのとき、霧の向こうに、人影が見えた。
防波堤の先端のほう、私より海側に、誰かが立っていた。
私は思わず身を硬くした。
門は閉じられていたし、私のほかに車はなかったはずだ。
あの人は、いったいどこから入ってきたのだろう。
その人は、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。
年の頃は六十ほどの、日に焼けた男だった。
古い形のゴム長靴を履き、肩から、布でできた魚籠をさげていた。
手には、電池式ではない、炎の揺れるランプを持っていた。
その火の色だけが、灰色の霧の中で、やけに暖かく見えた。
「釣れるかい」と、その人は静かに聞いてきた。
私は、いえ今朝はさっぱりで、と答えた。
「そうかい。きょうは潮が悪いな」と、男は海を見て言った。
その口調は、長くこの海を見てきた者の、落ち着いた声だった。
それから、缶詰工場のほうはまだ動いてるのか、と私に尋ねた。
私は返事に詰まった。
港の缶詰工場なら、私が子どもの頃にはもう、建物すら残っていなかった。
更地になって、今は釣り客の駐車場になっている。
「ああ、もう閉まっちまったかね」と、男は独りごちた。
その声に、驚いた様子はまるでなかった。
ずっと前から知っていたことを、確かめただけ、という口ぶりだった。
私は、この人とは話がかみ合わない、と感じはじめていた。
けれど、どこか怖いとは思えなかった。
私は、なんとなく気味が悪くなって、灯台のほうへ目をやった。
そして、息が止まった。
いつもの赤い灯台が、なかった。
代わりに、白い木造の、古びた灯台が、霧の中にぼんやりと立っていた。
私が何度も写真に撮った、あの赤い灯台ではなかった。
形も、高さも、立っている場所も、まるで違っていた。
霧の濃さは変わらないのに、空の色だけが、少し青みを帯びはじめていた。
私は、自分が立っている場所が、ほんとうに、いつもの防波堤なのかどうか、わからなくなった。
※
「あんた、どこから来た」と、男が聞いた。
私は、駐車場のほうから、とだけ答えた。
男はしばらく私の顔を見て、それから少し困ったような顔をした。
「早いとこ戻ったほうがいい」と、男は言った。
「潮が変わる前にな。船が入ってくると、戻れなくなる」
私は、わけもわからず、うなずいた。
船が、という言葉が、なぜか胸の奥で冷たく響いた。
ポケットの携帯電話を出すと、画面は圏外で、時計は四時十二分で止まっていた。
何度押しても、その数字は、一向に動かなかった。
私は竿も道具箱も置いたまま、付け根のほうへ歩きだした。
歩きながら、一度だけ振り返った。
男は、白い灯台の下に立って、こちらを見ていた。
ランプの炎が、霧の中で、小さく揺れていた。
その向こうの海から、ぎい、ぎい、と、櫓を漕ぐような音が近づいてきていた。
エンジンの音ではなかった。
それが何の音なのか、私は確かめたくなかった。
私は早足になり、やがて駆け足になった。
鉄の門が見えてきたところで、ふいに、汽笛が鳴った。
低く長い音が、背中を押すように響いた。
同時に、海鳥の声が、一斉に戻ってきた。
振り返ると、霧は薄れ、先端には、いつもの赤い灯台が立っていた。
白い木造の灯台も、男の姿も、どこにもなかった。
私は門をまたいで、自分の車にたどり着いた。
携帯電話を見ると、時計はちゃんと動いていて、四時十九分を指していた。
家を出てから、まだ一時間も経っていない計算になる。
けれど、防波堤に置いてきたはずの私の道具箱は、なぜか助手席に載っていた。
私は、自分でそれを運んだ覚えが、まったくなかった。
竿だけが、今も見つかっていない。
シートには、乾いた海藻が一筋、貼りついていた。
前の晩、私は車をきれいに掃除したばかりだった。
※
それから何日かして、私は港の隅にある小さな資料館に立ち寄った。
漁の歴史を伝える、無料の小さな展示室だ。
それまで、前を通っても入ったことは一度もなかった。
なぜその日にかぎって足が向いたのか、自分でもわからない。
古い写真が、壁にびっしりと貼られていた。
私は、なんとなく、昔の灯台の写真を探していた。
白い木造の灯台は、すぐに見つかった。
昭和三十年代まで使われていた、という説明書きがあった。
今の赤い灯台は、その後に建て替えられたものらしい。
つまり、私が霧の中で見た白い灯台は、何十年も前に姿を消したもののはずだった。
そして、その隣の、漁師たちの集合写真に、目がとまった。
セピア色の、ずいぶん古い写真だった。
撮影されたのは、昭和の初め頃だと書かれていた。
前列の端に、見覚えのある顔があった。
古い形のゴム長靴を履き、肩から布の魚籠をさげた、あの男だった。
私が会ったその男の写真が、港の資料館に、昭和の漁師として飾られていた。
写真の下には、その人がずっと昔に時化の海で行方知れずになった、と小さく書かれていた。
私は、後になって、そういう体験を時空のおっさんと呼ぶことを知った。
けれど、あの人が私を助けてくれたのか、ただ道を間違えていただけなのかは、今もわからない。
ひとつだけ確かなのは、あの朝、汽笛が鳴るまでのあいだ、私はこの港のものではない時間を歩いていた、ということだ。
今も私は、あの防波堤に通っている。
ただ、霧の濃い朝にだけは、門の鎖をまたぐ前に、一度、汽笛が鳴るのを待つようにしている。