
「イツキのアトリエ」──それは、全国の公立図書館のうち、ごく限られた場所にだけ、ひっそりと存在すると噂されている一冊の画集の名前である。
しかし、それは出版社から刊行された正式な美術書ではない。
市販のスケッチブックに直接描かれた手描きの絵が、何の前触れもなく図書館の棚に紛れ込んでいるという。
このスケッチブックには貸し出し用のバーコードも貼られておらず、図書館の蔵書管理システムにも登録されていない。
いつからそこにあるのか、誰が持ち込んだのか、どの棚に置かれているのかさえ、誰にも分からない。
ただ、偶然それを見つけてしまった者たちは、皆一様に凍りついた表情でこう語る。
「絶対に、あの本に触れてはいけない」
中に描かれているのは、一組の男女が、顔の醜く歪んだ男に、さまざまな形で惨殺される様子だった。
しかもそれは、ただの想像画ではない。
息をのむほど精緻に描き込まれた血の飛沫、恐怖に歪む表情、切り裂かれた肉体──。
見開きごとに繰り返される、異なるバリエーションの殺戮。
そして、そこに現れる男の顔には、人間離れしたおぞましい憎悪が宿っており、それを見つめているだけで心が蝕まれていくという。
実際にこのスケッチブックを目にした者の中には、発狂したり、卒倒して意識を失った者もいるとされる。
恐ろしいのは、それだけではない。
このスケッチブックを破棄しようとした人間は、必ず絵の中と同じ運命をたどるという。
たとえ見つけてすぐに燃やしても、不幸が訪れることは避けられない。
それどころか、本は焼かれてもなお形を変え、別の図書館に現れるのだという。
何ごともなかったかのように、再びひっそりと棚に並び、次の犠牲者を待っている──。
そう、人の目につかない場所に隠しても、鍵のかかった部屋に封印しても無駄なのだ。
この「イツキのアトリエ」は、まるで意志を持っているかのように、自らの存在を人の前に現し、そして災厄を撒き散らす。
その名の「イツキ」が誰なのか、なぜこの画集が存在するのか、そして描かれている男女や男の正体は──誰にも分からない。
ただ一つ言えるのは、この本は、どこかの図書館で、今もひっそりと誰かの手に取られる瞬間を待っている、ということだ。
あなたの近くの図書館にも──すでにあるかもしれない。