佐藤大樹は誰なのか

前世の記憶があると言っても、それは鮮明なものではない。
生まれた瞬間から過去の記憶を持っていたわけではないし、何か特別な力を持っているわけでもない。
ただ、ふとした瞬間に、自分の中に「自分ではない何か」が混ざっているような感覚があった。
それが始まったのは、小学生の頃だった。
※
「間違った名前」
幼い頃から、俺は時々自分の名前を間違えていたらしい。
仮に俺の本名を「田中直樹」とすると、俺は時折「佐藤大樹」と名乗っていた。
親はその度に不思議そうな顔をし、最初は誰かがふざけて教えたのだろうと考えていたらしい。
だが、それが続くうちに、ただの子供の言い間違いとは思えなくなってきた。
それと同時に、俺は異常なほど交通事故を怖がっていた。
死そのものが怖いのではなく、なぜか「交通事故」だけが異様に恐ろしく感じられた。
※
「知らないはずの漢字」
小学校に入ると、漢字の勉強が始まった。
当然、自分の名前も習った漢字で書くようになり、先生もそれを指導していた。
ところが、ある日テストの解答欄に「さとう大樹」と書いてしまった。
その時、先生は冗談交じりに「このクラスにはそんな名前の子はいないよね」と言ってテストを返した。
その瞬間、俺は異変に気付いた。
「大樹」という漢字が読めなかったのだ。
ましてや「樹」などという字は、今まで目にした記憶すらない。
にもかかわらず、俺はそれを無意識に書いていた。
どうしてそんなことができたのか、自分でも分からなかった。
親に相談したところ、親戚が俺に変なことを吹き込んでいるのではないかと一時騒ぎになった。
その日から俺は、自分の名前を意識して書くようになり、「佐藤大樹」という名前を使うことはなくなった。
※
「禁じられた名前」
時間が経ち、中学生になった。
ある日、祖母が亡くなり、親戚が集まった。
普段会うことのない遠い親戚に「大きくなったね」と声をかけられながら、葬儀は進んでいった。
その席で、酔った親父が「佐藤大樹」の話を口にしてしまった。
「うちの息子、小さい頃にずっと自分のことを佐藤大樹って名乗ってたんだよ」
その言葉に、ある親戚がぽつりと呟いた。
「俺の親戚にも、佐藤大樹ってやつがいたな。交通事故で亡くなったけど…」
その瞬間、場の空気が変わった。
その名前は、我が家ではタブーとされていた。
親父も、母親も、親戚も、みんなその話を避けていたのだ。
俺は何も知らされていなかった。
だが、親父の言葉をきっかけに、封印されていたものが解けた。
その日から、家族の関係はぎくしゃくし始めた。
※
「自分は特別なのか」
俺の中に「佐藤大樹」という名前が蘇った。
もしかしたら、俺は彼の生まれ変わりなのかもしれない。
そんな考えに取り憑かれた。
だが、それを確かめる手段はなかった。
親父に詳しく聞くこともできず、悶々とした日々を過ごした。
その矢先、俺に反抗期が訪れた。
何にでも反抗したかった。
その燃料として「佐藤大樹」という存在を利用した。
「俺の人生は、俺のものじゃない!」
そんなことを叫びながら、親に反抗し続けた。
そしてある日、ついに親父が怒鳴った。
「そんなに気になるなら調べろ! 亡くなった人を勝手に自分の生まれ変わり扱いするのは、失礼なんだよ!」
そう言って、親戚の連絡先を書いた紙を投げつけた。
その瞬間、俺はようやく自分の愚かさに気付いた。
でも、もう後戻りはできなかった。
※
「彼の最期と、俺の誕生日」
翌日、俺は親戚に電話をかけ、佐藤大樹について聞いた。
彼は交通事故で亡くなった。
それを聞いた時、俺は恐怖よりも興奮を覚えていた。
「やっぱり俺は特別なんだ」
次に、彼の命日を尋ねた。
「5月18日だった」
その瞬間、背筋が凍った。
俺の誕生日は5月17日。
「死の翌日に生まれるなんて、そんなことがあるのか?」
だが、その驚きは俺の中で確信へと変わった。
それ以降、俺は自分を「佐藤大樹」と名乗るようになった。
親との関係は完全に壊れた。
高校に上がると、俺は一人暮らしを始め、家族とはほとんど連絡を取らなくなった。
※
「彼の家へ」
高校生になり、俺はついに佐藤大樹が住んでいた家を訪ねた。
電車を乗り継ぎ、住所を頼りにたどり着いたのは、立派なマンションだった。
その玄関を見た瞬間、頭の中に断片的な映像が流れ込んできた。
知らないはずの遊園地、学校の校門、誰かと一緒に座ったベンチ。
記憶なのか、ただの想像なのか分からないが、確かにそれを「知っている」と感じた。
俺は震える手で、マンションの一室の呼び鈴を押した。
誰も出てこなかった。
ただ、それだけだった。
俺は無言のまま帰宅し、家で一人泣いた。
それが何の涙なのか、今でも分からない。
※
「結局、俺は誰なのか」
それから俺は、景色を見るだけで知らない記憶が蘇るようになった。
ある時は涙が溢れ、ある時は気を失った。
もしかしたら、本当に生まれ変わりだったのかもしれない。
それとも、ただの思い込みだったのか。
今となっては、もう確かめる術はない。
だが、ひとつだけ分かることがある。
「俺は確かに、佐藤大樹だったのかもしれない」
そう思わなければ、今もこの世界で生き続けることが、怖くて仕方がないからだ。