
高校受験を控えたある日のことでした。
私は市販の問題集を使って、自室で静かに勉強に励んでいました。
問題を一通り解き終え、答え合わせを始めたときのことです。
どの問題もスムーズに確認できたのですが、ただ一問だけ、正解とされる答えに納得がいかないものがありました。
何度計算しても、自分の出した答え「A」が合っているとしか思えない。
しかし、付属の模範解答には「B」と記されていたのです。
解説を読んでも、どう考えても自分の解答の方が筋が通っている。
「これは出版社のミスだな」と、やや苛立ちながら、私は赤ペンで模範解答の「B」を斜線で消し、自分の答え「A」を書き加えました。
こうした印刷ミスや誤答は、市販の問題集にもたまにあることです。
特に珍しいことでもなく、私は気を取り直して一階に下り、夕飯を済ませてから再び部屋に戻りました。
すると、奇妙なことが起きていたのです。
あれほどはっきりと訂正を加えたはずの問題集が、まるで最初から正解が「A」だったかのような状態になっていました。
赤ペンで消した跡も、自分の書いた文字も、跡形もなく消えていたのです。
もちろん、誰かがいたずらで消した形跡などありません。
私は一人で勉強していたし、誰かが私の部屋に入った様子もありませんでした。
最初は自分の記憶違いかとも思いました。
人は記憶を思い違えることがあるし、過去に答えが変わっていたように感じることは、誰しも一度や二度は経験があるかもしれません。
でも、今回は確信がありました。
私ははっきりと「B」という誤答を目にし、それを赤ペンで「A」に修正したのです。
それなのに今、模範解答には最初から「A」とだけ記載されている――。
この出来事がただの記憶の錯誤だとは、どうしても思えませんでした。
※
実は、こうした「記憶と現実がずれている」ような体験は、これが初めてではありません。
過去にも、確率が極端に低い出来事が「当然のように起きた」ように記憶が塗り替えられたような経験が、いくつかありました。
なぜか、いつも「起こりにくいことが、起きやすい方へ」書き換わっていくのです。
※
私は物理や哲学に明るいわけではありませんが、ふと、パラレルワールドやタイムパラドックスの概念が脳裏をよぎりました。
「ある出来事によって世界が分岐する」という理論があると聞いたことがありますが、もしかすると、分岐というより“上書き”に近いのではないでしょうか。
つまり、ある時点で過去が変われば、それ以降の未来は自然と書き換えられ、私たちはその流れの中に違和感なく取り込まれてしまう。
本来とは違う未来にいるにもかかわらず、何の違和感も覚えずに過ごしているのかもしれません。
ただ、ごく稀に、私のように「何かが変わった」と気づいてしまう人がいるだけで――。
あの日の問題集は、今も私の本棚に残っています。
けれど、あのとき見た赤ペンの跡は、もうどこにもありません。
それだけが、妙に鮮明に記憶に残っているのです。