小さなかぎ裂き

狐さん(フリー写真)

戦後暫く経った頃、地方のある農村での話。

村で一番の旧家の跡取り息子が失踪した。

山狩りをしても、池を浚っても見つからない。

お金か女性がらみのトラブルかと思い、人を雇って調べさせたが全く手掛かりがない。

※

一月も経った頃、夜中に屋敷の床下から声が聞こえる。

家の者が庭に出て見ると、失踪した息子が縁の下から転がり出て来た。

錯乱した状態で「女房が、子供が」と叫びながら床下を指差す。

懐中電灯を当ててみると、狐の親子が居た。

親狐は牙を剥いてこちらを威嚇すると、子狐たちを連れて逃げ去った。

※

そして息子は地方都市の精神病院に入れられ、その時に語った話。

失踪した日の夕方、彼は庭先で若い女が泣いているのに気付く。

どうして泣いているのかと尋ねると、家に蛇が居て、怖くて帰れないのだと言う。

それならば自分が助けてやろうと、男は女に付いて行き、山の中に入る。

見たこともない道を案内され、小さな小屋に辿り着いた。

柱に巻きついていた蛇を石に叩き付けて殺すと、女がお礼に料理と酒を振舞いたいと言う。

そして酔っ払った男に泊まって行けと勧める。

明かりを消してから暫くして、女が話し掛けて来た。

「もうお休みになりましたか」

男が黙っていると、女が布団から抜け出す気配がする。

しゅるしゅると着物を脱ぐ音がする。

するりと男の脇に温かい体が滑りこんで来る。

翌朝、もう少しここに居てくれないかと女が頼み込み、男はそうすることにした。

※

十日が経ち、更に一週間が経った。

女は昼間は外に働きに出て、夜も電球の下で細々とした仕事をしている。

女が働いている間、男はぶらぶらと遊んでいる。

明かりを消した後は、毎日のように交わりを持った。

「家が恋しいのではないですか」

女が尋ねる。

「そんなことはない。このままずっとここに居たいくらいだ」

男はそう答えて、女の体を抱き寄せる。

※

半年も経った頃、明かりを消した後のこと。

いつものように腿の間に差し入れようとした男の手をそっと掴み、腹の上に導くと、

「孕みました」

と女は告げた。

「もう一生、離れないでください」

「離れるものか」

男は誓う。

※

それから十年が経ち、三人の子供が産まれた。

女は相変わらずよく働き、男を養っている。

ある夜、男がふと家に帰ってみたいと漏らす。

「ずっと一緒に居ると言ったではないか」

女がなじる。

「いや、どうしても帰ってみたいのだ」

男が尚も頼み込むと、女が突然怒り出した。

「そんなに行きたいのなら、とっとと出て行くがいい。その代わり、二度と戻って来るな」

男は土間に突き落とされる。

眠っていたはずの子供達がいつの間にか母親の後ろに並び、こちらを見下ろしている。

皆の様子がおかしい。

目が光っている。歯を剥き出している。獣の匂いがする。

※

逃げ出した男が気が付いた時は、病院のベッドの上だった。

狐に憑かれたのだと村の者は噂した。

病院の医師は一笑に付した。病人の妄想に過ぎないと。

おそらく昼間は床下に潜み、夜中にどこかから食べ物を盗み出していたのだろう。

しかし、そのような暮らしを一月も続けて痩せ衰えているはずの男の体は、寧ろ以前より太っていた。

発見時に着ていたシャツは、失踪時に着ていたシャツと同じ物だった。

だが幾らか土埃が付いていたものの、洗い立てのように糊が効いていて、一月も着続けたものとは到底思えなかった。

背中の小さなかぎ裂きに、丁寧な繕いが当ててあった。

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