台所の背中 ― 亡き妻が作った最後の雑炊

みかんと雑炊

ようやく笑い話にできるようになったので、亡くなった妻の話を書いてみようと思う。

妻は交通事故でこの世を去った。

あれは、まるでドラマのような夜だった。

俺が風邪で寝込んでいて、「みかんの缶詰が食べたい」とわがままを言ったのが、すべての始まりだった。

妻は「少し寝てなさい」と笑って、近くのコンビニへ買いに出かけた。

そのわずか数分後、暴走した車に撥ねられた。

俺はそんなこととは知らず、布団の中でうとうとしていた。

遠くで救急車のサイレンが聞こえ、「誰か事故でもあったのかな」と他人事のように思った。

喉が渇いてトイレに立つと、台所の明かりがついていた。

そこには、妻の後ろ姿が見えた。

「いつ帰ってきたの?」と声をかけても返事はない。

「みかん、どこ?」と尋ねても、やはり沈黙のまま。

今思えば異様な光景だったが、その時の俺は、ただ「機嫌が悪いのか」と思っただけだった。

俺はそのまま布団に戻り、再び眠りに落ちた。

一時間ほど経った頃、妻の携帯から着信があった。

出てみると、知らない男性の声。

「この携帯の持ち主が交通事故に遭い、現在意識不明です」と。

最初は何を言われているのか理解できなかった。

「妻が携帯を落として、拾った人が事故に遭ったのだろう」と、本気で思った。

しかし、家のどこを探しても妻はいなかった。

病院から伝えられた服装や特徴は、妻と一致していた。

半信半疑のまま、俺は病院へ向かった。

そして、そこで見たのは――冷たくなった妻の姿だった。

あのとき家で見た後ろ姿は、もうこの世のものではなかったのだ。

俺が聞いた救急車の音は、彼女を運ぶ音だった。

その後、警察の事情聴取や身元確認などで一日が過ぎ、俺は熱をぶり返して入院した。

翌日、妻の両親と共に家へ戻ると、台所から微かな香りがした。

鍋の中には、冷めた雑炊があった。

卵とネギとショウガがたっぷり入った、妻の味。

俺がショウガを苦手なのを知りながら、風邪をひくと必ず作ってくれた、あの雑炊。

家を出る時には確かになかった。

誰が、いつ作ったのか。

それはもう、考えるまでもなかった。

以来、俺はみかんの缶詰を食べられなくなった。

だが不思議なことに、ショウガだけは好きになった。

風邪をひくたびに、あの香りを思い出す。

湯気の向こうに、静かに微笑む妻の顔が見える気がする。

怖い話・不思議な体験・異世界体験談まとめ|ミステリー