電話ボックス
公開日: 死ぬ程洒落にならない怖い話
もう十年近く前。そうだな、まだ街のあちこちに電話ボックスがあった頃の話だ。
ある三連休の前の金曜日。俺は大学の仲間としたたかに飲んだ。
深夜1時前、仕上げに屋台のラーメンを食べて解散。
そして、ふと思いついたんだ。明日は特に予定も無いから酔い覚ましに歩いて帰ろう、と。
終電は過ぎていたけど、タクシーに乗るのは簡単。でもそれだと二日酔いが酷いような気がしてさ。
携帯を持っていなかったから、電話ボックスで母親に「歩いて帰る」と電話しようと思った。
その頃は、幹線道路のバス停には大抵電話ボックスがあったんだよ。
※
最初のバス停で電話ボックスに入った。しかし、何か変だ。
微かな香水の匂い。よく見ると受話器が電話機の上に置いたままになっている。
受話器に耳を当てると、既に通話は切れていて、無機質な電子音だけが聞こえた。
酔っ払いが置き忘れたのだろうと思い、受話器をフックに戻した。
するとジャラジャラと音がして、返却口に十円玉が6枚。
ラッキー。十円玉2枚で母親に電話をかけ、残りの40円をポケットに入れて歩き出した。
でも、何か気になるよね。次のバス停でも電話ボックスを覗いてみた。
…やはり受話器が電話機の上に置いてある。そして香水の匂い。
受話器の向こうは電子音。受話器をフックに戻すと今度は十円玉が5枚。
次の電話ボックスでも、その次の電話ボックスでも同じ。
電話機の上の受話器。電子音と戻ってくる十円玉。もう19枚。
その次の電話ボックスが見えた時、歩き去る人影が見えた気がした。
むせるような香水の匂い。そこでも5枚の十円玉、合計24枚。
そして、その次の電話ボックス。電話ボックスから出て行く人影がはっきり見えた。
真っ赤なワンピースを着た女性が微笑んでいるように見えた。
俺は女性が遠ざかるのを待ち、電話ボックスに入った。
受話器を耳に当てる。叫ぶような声が聞こえた。
「なあ、お前K子だろ? もう、こんなこと止めろよ。止めてくれよ。
俺たち、寝られなくて参ってるんだ。一度、ちゃんと話しよう、な?」
俺は思わず電話を切った。ジャラジャラと戻ってくる十円玉。
「何故勝手に切るの? 邪魔しないでよ」
振り向くと、俺の背中から赤いワンピースの女性が覗き込んでいた。
闇の中に浮かぶ綺麗な白い顔がニコニコ笑って俺を見つめている。
「ねぇ、邪魔、しないでよ」
あまりに現実離れした綺麗な顔、怖くて怖くてとても生身の人間には見えなかった。
俺は電話ボックスを飛び出して全力で走った。家までの残り2キロメートルを多分6分台。必死で走り続けた。
家が見えたところでポケットの中の十円玉を全て取り出して捨てた。
背中からいつあの女性に声をかけられるか、本当に気が気ではなかった。
※
それから数日、着替えても風呂に入っても香水の匂いは消えなかった。
あの女性が人だったのか、そうでなかったのか、今も判らない。
深夜、幹線道路を彷徨いながら、あの女性は一体どれだけの無言電話をかけて歩いていたのだろうか。
何枚十円玉を持ち歩いていたのだろうか。
俺にとっては洒落にならない怖い経験だったよ。
もちろんそれからは飲んだ後に歩いて帰るのはやめた。