乗り過ごした先の、知らない駅

霧の中の古びた駅

今年の春、実家に帰省するために乗った地方私鉄の話である。大学を出発したのが朝の七時で、乗り継ぎを含めて四時間ほどで実家に着く予定だった。最初の特急電車で一時間半走った後、ローカル線に乗り替えた。朝寝坊をしていたせいか、座った瞬間から眠くなった。窓側の席に座り、肘掛けにもたれかかると、すぐに意識が遠くなった。

目を覚ましたのは、電車が停車する音で、ブレーキの摩擦音と微かな振動を感じた。最初、自分がどこにいるのか理解できず、ぼんやりとした意識のまま外を見た。プラットフォームは無人だった。駅舎も見えない。単にどこか途中の駅で停まったのだろうと思い、再び目を閉じた。だが何分か経っても電車は動かない。目を開けると、車内も誰もいない。乗客が降りたのか、それとも最初からこの電車に乗っていたのは俺だけなのか。記憶が曖昧だった。

念のため電車から降りてみることにした。ドアは自動ではなく、手動で開けるタイプだった。外は薄ぐもりで、空の色が少し変だった。どう変かと聞かれても説明しにくい。ただ、いつもの天気とは異なる印象を受けた。駅名標を探したが見当たらない。あるのは古い木製のベンチと、錆びた時刻表のボックスだけだった。

ベンチに座って周囲を観察すると、駅の奥に商店街のような通りが伸びているのに気付いた。歩いてみることにした。商店街に入ると、最初の印象は「普通」だった。電灯があり、看板があり、シャッターが開いている店もある。ただし、何もかもが微かにズレていた。看板の文字が読みづらい。まるで、自分が読みこなせない言語であるかのように。目で追っても意味が頭に入ってこない。文字ではなく、単なる図形に見える。

時計を探した。商店の軒先に三つの時計が見えた。全て同じ時刻を指していた。午前十時五十三分。別の場所に行くと、別の時計があったが、やはり午前十時五十三分だった。自分の腕時計を見ると、それは午前十一時二十分を指していた。

人間がいた。店から出てきた女性だったと思う。俺に気付いても、彼女は視線をそらした。というより、俺を見なかった。まるで、俺が存在していないかのように。他の人間も同じだった。何人か見かけたが、全員が俺を無視した。というか、俺の視界には入っているが、彼らの視界には俺は存在しないのだろう。その判断が正しいのかどうかは分からない。

商店街の奥まで歩いて、引き返すことにした。来た道を戻り、駅に戻った。電車はまだそこにあった。俺が乗り込むと、すぐにドアが自動で閉じた。手動と自動の境界が曖昧なのか、それとも俺が気付いていないだけなのか。席に座ると、少し遅れて電車が動き出した。

窓から外を見ると、さっきの駅に着いたときと同じ景色が逆順に流れ始めた。雑然とした植生、田畑らしき茶色い区画、木々。何分か乗ると、見覚りのある駅に着いた。次の駅だ。ここから先は混雑していた。乗客が乗り込み、いつもの景色が戻った。

実家に着いて、母に今日の電車の乗り継ぎについて聞いてみた。「乗り替えのローカル線は何駅あるんだ」と。母は不思議そうな顔をして、「何言ってるの。乗り替えのローカル線は六駅だよ」と答えた。俺が途中で降りた駅について説明すると、母は言った。「そんな駅、時刻表に載ってない。うちの路線ではそこまでいかない」と。

その夜、今日撮った写真をスマートフォンで確認した。駅のプラットフォーム、商店街、時計。全て撮ったはずだった。だが、カメラロールには何も記録されていなかった。午前十時から十一時半の間に撮ったはずの写真が、全て消えていた。削除した覚えはない。

あれが本当に何だったのか、今でも分からない。ただ、それ以来、ローカル線での乗り継ぎを避けている。理由を聞かれても、説明できない。実は何も起こっていないのかもしれないし、別の何かが起こったのかもしれない。その程度のことだ。

怖い話・不思議な体験・都市伝説まとめ|ミステリー

広告なしで読む

月額 380円(初月無料)または 1,480円 の買い切りで、
広告のない、静かな読書体験をお届けします。

いつもお読みいただきありがとうございます。
いただいたご支援は、サーバー代やドメインの維持・更新費用に大切に使わせていただきます。

プランを見る