
私が小学校に上がる前のことです。
当時、私は同じような外観の小さな棟がいくつも並ぶ、集合団地に住んでいました。どの棟もよく似ていて、子どもにとっては区別がつきにくい作りでした。
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ある日、友達と外で遊び疲れ、夕方になって家に帰ろうとしました。
「ただいまー」と声をかけながら、何の疑いもなく自分の部屋の戸を開けたのですが、そこには見慣れない光景が広がっていました。
室内は薄暗く、テレビの明かりだけがぼんやりと点いており、その前には初老の男性――おじいさんが一人座っていました。
私が戸を開けたのに気づいたその人は、ゆっくりとこちらを振り向きます。
『うわっ、間違えた……!』
私はその瞬間、何も言えずに慌てて戸を閉めました。
冷静になって考えると、自分の家は10棟の2階なのに、今いたのは隣の9棟の2階。私は棟を一つ間違えていたのです。
そこで急いで10棟に移動し、再び「ただいまー」と声をかけながら戸を開けました。
ところが――そこも、さっきとまったく同じ部屋だったのです。
暗がりの中、テレビの明かりに照らされた部屋で、同じおじいさんがまたもやこちらを振り向いているのです。
『えっ……?』
一瞬、背筋が凍るような感覚に襲われ、私はまたも何も言わずに戸を閉めてしまいました。
混乱と恐怖で頭が真っ白になり、『あれっ、あれっ?』と心の中で繰り返しながら階段を降りました。
自分の家は10棟のはずなのに、なぜか私はまた9棟の前に立っていたのです。
もう訳がわからず、不安で足がすくんでしまいました。
そして思わず、「おかーさーん!!」と大声で叫びました。
すると、10棟の2階、自分の部屋の窓から母が顔を出し、「あんた何してんの!」と不思議そうに言いました。
「おかあさん!!」
私は今にも泣きそうになりながら再び叫ぶと、母は心配そうに玄関から出てきてくれて、ようやく自分の部屋に戻ることができました。
※
その後、家族に話したところ、9棟の2階に住んでいるのは、おじいさんではなく、数年前にご主人を亡くしたおばあさんだと教えられました。
ならば、私が見たあの初老の男性は一体……?
今でも、あの時の出来事が何だったのかはわかりません。
真昼の幻だったのか、それとも何か別の世界の入り口を開けてしまったのか。
大人になった今でも、ふとあの薄暗い部屋と、こちらをじっと見つめていたおじいさんの表情が、頭の中に鮮明に蘇ることがあります。