マガガミさん

沼と倒木(フリー写真)

うちの母方の婆ちゃんが住んでいた村での話。

婆ちゃん家の村には山があるのだけど、その山の中に凄く綺麗な緑色の池がある。

限り無く青に近い緑色と言うか、透明気味なパステルカラーと言うか、とにかくめちゃくちゃ綺麗な池だ。

しかし、そこには近付くなと村の子供は言われていた。

何故なのか聞いても、答えはお決まりの

「子供は知らなくて良いこと。だけど決して近付くな」

だった。

でもやはり気になるし、婆ちゃんや村の大人から池の特徴は聞いていたから、そんな綺麗な池なら見てみたかった。

村の子もそれは同じだったようで、村へ行って遊ぶ度に、行ってみようという話にはなっていた。

ただやはり大人たちがあれだけきつく言うし、子供の中だけの噂話だけど

「あの池は行ったら二度と帰れない」

「底無しだから落ちたら確実に死ぬって聞いた」

などと言われていたから、実行には移せていなかった。

しかし中学生になって帰省した時、小さな頃から遊んでいた村の子(以下、太郎、二郎、花子。太郎と花子は双子の姉弟。二郎はその従兄弟)たちが、

「二度と帰って来られないなら、何でみんな池の特徴が分かるの?」

「こんな時代なんだから、本当に底無し池なら埋め立てられてる」

と現実的な意見を言っていて、俺もそれに賛同した。

そして最終的には、

「本当にそんな池あんの? 作り話かもよ?」

という話になり、それでお決まりの、

「確かめに行こうよ」

という流れになった。

結果、俺達三人は朝早くから待ち合わせをして、山へ向かった。

山自体は低い山だし、迷っても夜までには出られるだろうと高を括っていた。

特に俺と太郎と花子は、中学生になりたてだけど、二郎は二年生だし柔道をやっているから、

「最悪クマとか野犬が出ても巴投げして倒してやんよ(笑)」

などと言っていて、安心し切っていた。無理に決まっているのにな。

そんな話をしながら、結局三時間近く歩き回って疲れて来た頃、何かやけに木が密集している変な場所を見つけた。

上手く説明できないけど、そこだけ木の量がやたら多く、無理やり木を埋めたような感じになっていて、獣道すら無い。

「絶対ここだよ、見るからに怪しいし」

先頭切ったのは花子で、元々お転婆だったけど男三人が微妙に躊躇っているのに、木の隙間をずかずか進んで行く。

仕方なく俺達も花子に付いて進んだ。そしたら案の定、そこに池があった。

池は想像以上に透き通っていて、めちゃくちゃ綺麗だった。

でも木が多いためか薄暗いし、池の横にある汚い小屋が景観を台無しにしていた。

最初はみんなはしゃいでいたし、花子は用意していたらしい空のペットボトルに池の水を汲んだりしていた。

しかし、やはり隣の汚い小屋が気になって来た。

小屋は小屋と言うより長屋みたいな、ちょっと小屋にしては横長な建物で、見るからに汚いし怪しい。

山姥でも住んでいるのでは…と思えて来る。

そしたら二郎が、お得意の

「山姥がいたら巴投げで~」

と言い、小屋に入って行った。

俺達も後に続こうとしたが、ここまで空気だった太郎が、

「やや、俺は行かへん。ここに居る」

と言い出した。

花子は太郎のヘタレ具合にキレていたが、太郎は頑として譲らなかった。

「行きたかったら、花ちゃんと二郎ちゃんとで行ったらええやん。梅ちゃん(俺)は僕と一緒に居よう。な?」

と、何故か俺だけは引き留めた。

俺は正直、怖いながらも小屋に興味があったのだが、のび太を地で行くようなひ弱な太郎を置いて行くのも嫌だったので、残ることにした。

小屋に入って行った二人を見送りながら池の縁に座り、太郎と話をした。

「何であそこ入るん嫌なん、怖いんか?」

「あっこは嫌や。怖い」

「ほな、何で花子と二郎ちゃんは行って良かったんよ」

すると太郎は、

「花ちゃんは僕にいけずばっかりしよるし嫌い。二郎ちゃんは乱暴やのに口だけやから嫌い。やからええねん。死んでもかめへん。

やって花ちゃんはいつも偉そうにうるさいし、僕をミソカス扱いしよるし、二郎ちゃんはすぐシバく。

二人とも嫌いや。死んでもええねん、死んでくれたらええねんよ。

やから来たんや、マガガミさんに殺してもらいたかったんや」

悪口の中に聞き慣れない言葉が出て来て、聞き返した。

「マガガミさんて、何やねん」

「村の子らはみんな知らんよ。花子も二郎も知らん。アホやから知らんねん。

僕は知ってたんや、ここには、マガガミさんが居るねん。

キチヅの婆ちゃんがマガガミさんのことを僕には教えてくれたんやで、それは僕が賢いからやで」

「せやから、マガガミさんて何や!」

「梅ちゃんは僕に優しいから助けたる。けど、花子と二郎はあかん。死んでもええねん。

マガガミさんに殺してもらうねん」

段々と、ただの悪口から呪詛になって来た。いつの間にか二人とも呼び捨てになっているし。

太郎は口から唾を飛ばしながらずっと喋りまくっていたが、そのうち

「ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア。

ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア」

と、変な笑い声を上げ出した。

「ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア。

ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアひねヒョアヒョアひね。

ヒョアヒョアひねヒョアヒョアヒョアひねヒョアヒョアヒョアヒョ。

アヒョアヒョアヒョアヒョア」

気持ち悪かった。三角座りをしたまま、顔だけこちらに向けて笑っている太郎は、気が触れたようにしか見えなかった。

その時、花子と二郎がいくら何でも遅過ぎることに気が付いた。

太郎からも離れたかったので、俺は小屋へ向かった。

「そこに居れよ!二人見て来るから!」

そう声を掛けると、太郎は

「もう 遅いでェ」

と言って笑った。

その顔が気持ち悪くて吐き気がしたが、無視して中に入った。そこは、真っ暗で変な臭いがした。

何か焦げたような、腐ったような臭い。更に吐き気がしたが、中を進むと、突き当たりの部屋から

「ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア」

と、変な笑い声が聞こえた。

躊躇いながら中に入ると、そこには床に座り込んでいる花子と二郎が居た。

「ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア。

ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア」

「ヒョアヒョアヒョアヒョアひぬひぬひぬひぬヒョアヒョアヒョアヒョア」

二人とも、太郎と同じ笑い方をしていた。気持ち悪くて仕方無かった。

『取り敢えず誰か呼んで来なきゃ』

俺は振り返った。

すると目の前に白目が浮かんでいた。

失明した人のような、黒目に白い膜が張ったような、白目。二つの白目だけが、ぽかんと浮かんでいた。

意味の解らない悲鳴を上げ、俺は壁に後ずさった。

すると何だか、壁がネチャネチャしていることに気付いた。触ってみると、壁一面がネチャネチャしている。

すぐに逃げ出したくて仕方無かったが、白目は微動だにしないし、動いたら追い掛けて来そうで怖い。

白目はじっとこちらを見ていた。呪い殺されるんか俺、と思った。

目をこれ以上合わせたくなくて、顔を右に反らした。すると、

「やケ 遅いて ゆうた

やんかァ」

窓から顔を半分だけ出した太郎が居た。

太郎の両目は、浮かんでいる白目と同じになっていた。

「ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア。

ヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒョアヒィヒィヒィヒィひゃははははははは。

ひゃはははははははひゃはははははははヒョアヒョアヒョアヒョアヒョア」

太郎が笑っていた。花子も二郎も笑い出した。白目は浮かんだまま。もう耐えられなかった。

半狂乱になりながら、俺は走って小屋を出て山を降りた。

ずっと後ろから、

「ヒョアヒョアヒョアヒョア」

と聞こえて来ていた。

涙と鼻水を撒き散らして逃げた。

山を降りたら、まだ昼間だった。とっくに夜になっていると思ったのに。

山を降りて村に出て、最初に会ったのは太郎と花子の爺ちゃんだった。

「梅!何や、お前、お前は!お前はあぁぁァア!」

いつも優しかった姉弟の爺ちゃんは、口から泡みたいな唾を吐きながら凄い勢いで俺に近付いて来た。

「いったんか!いったんか!いったんか!」

凄い形相で俺を揺さぶり問い質す爺ちゃんに、俺は全て伝えた。

山に入って池と小屋を見たこと、太郎のした話、白目とネチャネチャの話、三人が狂った話、まだ山に居る話。

何度も舌を噛みながらも喋って、三人を助けてくれ、白目は何や、俺も呪われたんか、あそこは何なんや、と叫んだ。

爺ちゃんは、

「もうええ、もうええ、梅だけは大丈夫や、梅は助かった、大丈夫や」

と言いながら、俺を抱き締めてくれた。

俺だけは…? それじゃあ太郎たちは?

爺ちゃんの孫は太郎たちで、俺じゃないのに、何で心配しない?

色々パニックになったが、何故か俺は自分の体に付いたネチャネチャが気になり、爺ちゃんを引き剥がした。

そして、自分の体に付いたものを見た。

それはマヨネーズに似ていた。ただし色は黒と赤の斑。ネチャネチャ具合がマヨネーズな感じ。

そして、とても臭かった。鼻をツンとさせる臭い。

その辺りで記憶が途切れた。

次に気付いたら、俺は婆ちゃん家の広間で寝ていて、周りには大人が沢山居た。

両親は号泣しながら正座していて、他の人たちもそれは同じ。

太郎たちの両親もそこに居たけど、泣きながら俺を見たまま黙っていた。

そこで俺は自分の体が動かないことに気付いた。縛られていた訳ではないのに、何故か動かない。

声も出せない。

ただ目が開けられるだけの状態。

何だこれ…と、またパニックになっていたら、太郎の婆ちゃんがやっと話し掛けて来た。

「梅ぼん、婆ちゃんの右の目、見てみい」

太郎の婆ちゃんの右の目は昔、事故で失くしたので、義眼が填まっている。

それは知っていたし、今更見て何になるんだろうと思ったが、言われるままに見た。

「どしてん、別にいつもとおんなじや、焦点は変やけど、婆ちゃんの目や」

先程まで出なかった声が出た。

途端に大人たちはワアッと歓声を上げて、

「良かった良かった、梅は助かった」

と抱き合って泣き出した。

両親は俺を抱き締めて泣いたし、太郎たちの両親まで泣きながら

「良かったなあ、梅ちゃん、良かったなあ」

と喜んでいた。

でも、それが気持ち悪かった。

自分の子供は気が狂ったかもしれないのに、何で恨み言も言わずに喜んでいるのだろう、そう思った。

「他の三人は? 太郎やらはどしてん」

俺は聞いた。けど大人たちは、

「何ゆうてんねん、朝からずっと家に居るがな。梅ちゃん、これに懲りたら二度と『一人で』山に行ったらあかんよ」

と言った。

何だ、そう言うことになったんか。

俺は『一人で山に入った』ことになったんか。

太郎らは婆ちゃん家の蔵かどこかに閉じ込められたんやなあ。気が触れてたもんな。

そう理解したから、何も言わなかった。

それから二、三日経ち、俺は両親と地元に帰ることになった。

あれ以来、太郎たちには会わなかった。

村の人たちが見送ってくれたが、その中にも太郎たちは居なかった。

俺が二十代半ばになった今も、婆ちゃんは健在で、季節ごとに俺は村に行く。

村人たちは相変わらず優しいし、太郎たちの両親も変わらない態度だが、太郎たちは相変わらず居ない。

太郎たちのことを周りに尋ねると、花子は嫁いで東北、太郎と二郎は二人で同じ会社に入り、揃って海外に居るとのこと。

学生の時は三人とも東京の学校に行ったと言っていた。

本当かどうかは、あれから会っていないから知らない。

白目やネチャネチャの正体も、マガガミ様が何かも、太郎たちの行方も判らない。

太郎が言っていた『キチヅの婆ちゃん』という人も村には居ない。

あれから何年も過ぎた今に至るまで、俺には何も害は無いし、変化も無い。

白目やネチャネチャも、あれ以来見ていない。

両親や村人に詳しいことを尋ねてみたこともあったが、

「夢でも見たんだろう。お前は一人で山に入って、熱射病になって山から降りて来た」

「池? そんなもの知らないよ、初耳だ」

と言われた。

あの時、散々池について噂し合った子供たちに同じことを尋ねても、

「池なんて知らない」

と平然と言われる。

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